生まれ変わりという考え方は、二千数百年のあいだにインドから中国を経て日本へ伝わりました。ただし、伝わるあいだに中身が変わっています。どこで何が加わり、何が落ちたのかを、成立年と文献名をつけて並べます。
並びは成立の古い順で、重要さの順ではありません。
仏教は、変わらない自己を認めません。ところが中国で輪廻が受け入れられるとき、慧遠は「体は尽きても、たましいは滅びない」と論じました。移っていく不滅の主体を立てたことになります。
これはインドの仏教が退けた立て方に近いものです。『ミリンダ王の問い』では、生まれ変わる者は「同じでも別でもない」と説明されていました。中国では、その微妙な位置づけではなく、はっきりした主体が置かれています。
この変化は、当時の中国でも論争になりました。范縝は「たましいは体とともに滅びる」と反論し、刃と切れ味の喩えを用いています。梁の武帝は六十余名に反駁を書かせました。受け入れる側の内部で、正面から争われた論点です。
『日本霊異記』は因果応報の話を集め、『往生要集』は六道のありさまを描いて、後の地獄絵の元になりました。ですが日本で広く受け継がれたのは、輪廻そのものより祖霊の観念のほうです。
柳田国男は、この違いを自分ではっきり書いています。『先祖の話』の生まれ替りを扱った節で、それは六道輪廻とは異なるとし、神と呼ばれる地位に登ると生まれ変わる機会は無くなる、と述べました。同じ「生まれ変わり」という語で、別のことが語られています。
ただし由谷裕哉は、柳田研究において生まれ替りの問題が本格的に扱われてこなかったとも記しています。定説として固まった論点ではありません。
いま日本語で「生まれ変わり」として語られるもののうち、魂が学びのために生まれる時代や親を選ぶ、という形の語り方は、十九世紀のフランスで生まれた心霊主義に由来すると整理されています。古代インドから伝わった輪廻とは、別の系統です。
出典=竹倉史人『輪廻転生』講談社現代新書2015年。同書は生まれ変わりの観念を再生型・輪廻型・リインカネーション型の三つに分け、三つめを近代に生まれたものと位置づけています。
「輪廻転生」という日本語がいつ定着したかは、確認できませんでした。「輪廻」単体は818年の用例まで遡れますが、複合語としての初出は辞典に見あたりません。近代の造語かどうかも判断できていないため、書いていません。
また「仏教伝来以前の中国に輪廻の観念が無かった」ことを正面から論じた文献は、書誌までしか確認できていません(本文が有料で開けませんでした)。01節ではその旨がわかる書き方にしています。
| 出典 | 使った箇所 | 状況 |
|---|---|---|
| 『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』4章4節5・6章2節 | 01節 | 原文と成立年代を確認 |
| 『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』5章10節(五火二道説) | 01節 | 原文を確認 |
| 『ミリンダ王の問い』第二篇(車と灯の喩え) | 01・02節 | 校訂と英訳を確認 |
| ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』8章2節 | 01節 | 原文を確認 |
| 余英時「O Soul, Come Back!」『ハーバード・アジア研究誌』47巻2号 1987年 | 01節 | 書誌のみ(本文は有料で未読) |
| 慧遠『沙門不敬王者論』第五「形尽神不滅」(404年・『弘明集』巻五) | 01・02節 | 目録で所収を確認 |
| 范縝『神滅論』(『弘明集』巻九に反論とともに収録) | 01・02節 | 原文と論争の経緯を確認 |
| 景戒『日本国現報善悪霊異記』(822年ごろ・全116話) | 01節 | 成立年と構成を確認 |
| 源信『往生要集』(985年・十門)第一門「厭離穢土」 | 01節 | 成立年と構成を確認 |
| 柳田国男『先祖の話』第77節「生まれ替り」 | 01・02節 | 節の位置と本人の記述を確認 |
| 由谷裕哉「柳田國男の祖霊観と霊山観との関わり合い」2020年 | 02節 | 記述を確認 |
| 竹倉史人『輪廻転生』講談社現代新書 2015年 | 01・02節 | 三分類を確認 |
| 吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」『宗教研究』84巻2号 2010年 | 01節 | 書誌を確認 |