軸 2 / 死をめぐる問い

臨死体験は何を示すのか

心停止などの状態から生還した人の報告に、一定の共通点があることは記録されています。それが何を示すのかについては、説明が分かれています。記録された事実と、その意味づけを分けて並べます。判定はしません。

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何が記録されているか

報告に繰り返し現れる要素

穏やかさ、自分の身体を外から見ること、暗がりを漂うこと(しばしばトンネルと語られる)、光への気づき、亡くなった人との出会い、生涯を一度に見返すこと、境界での引き返し。ムーディは一九七五年に百五十人への聞き取りから要素を挙げ、ケネス・リングは五つにまとめました。

どれくらいの割合で起きるか

二〇〇八年から二〇一四年にかけて十五の病院で行われた調査では、二千六十件の心停止のうち百四十人が聞き取りに応じ、四十六パーセントが何らかの記憶を報告し、九パーセントが臨死体験の基準を満たす体験を報告しました。数は記録されており、ここまでは解釈が分かれません。

文化によって、細部は変わる

インドで集められた四十五例では、ヒンドゥーの神が現れる報告が多くを占めました。日本では川が、西洋ではトンネルと光が語られます。一方で、文化の影響が小さいと考えられる子どもの報告では、身体を離れること・暗がり・光の三つが見られます。共通する部分と、変わる部分がある——ここまでが記録です。

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解釈を並べる

この問いだけ、名簿が違います。四十二の伝統をそのまま並べると、大半が「この問いを立てない」になり、表が空になります。問いの側が新しく、答える相手が限られているためです。そこで並べるのは、記録された事実をどう説明するかという立場にしました。一つの答えは六十字前後にそろえてあります。

説明の候補(脳と身体の側)
酸素の低下
脳に届く酸素が減ると、視覚をつかさどる部分の働きが乱れ、光の点やトンネルのような像が生じるのではないかとされる。出典:ブラックモアとトロシャンコ「トンネルの生理」1989年
脳内の物質
痛みを抑える物質が放出され、それが報告されている強い安らぎの感覚をもたらしているのではないか、という説明が置かれる。出典:カー「ストレス性の辺縁葉機能不全」1982年
側頭頭頂接合部
手術前の検査でこの部位を電気で刺激すると、高い位置から自分を見る報告が得られる。再現できる現象として扱われる。出典:ブランケらの脳刺激研究(臨死の体外離脱とは質的に異なるとの指摘もある)
死にゆく脳の活動
生命維持装置を止めた四人のうち二人で、心機能の低下から数秒後にガンマ波が急増したことが報告されている。出典:ボルジギンら『米国科学アカデミー紀要』2023年5月
記憶の組み立て直し
体験は起きている最中にではなく、あとから語られるときに組み立て直されたものではないか、という見方が置かれる。出典:フレンチ『ランセット』358巻 2001年
説明の候補(体験の側)
死後を垣間見たとする説明
報告が互いに似ていることを、同じところを見たからだと説明する。最も古くからあり、いまも広く取られている受け取り方である。出典:ムーディ『Life After Life』1975
意識は脳に還元できないとする説明
脳の活動が乏しいはずの状態で明晰な体験が語られることを、意識が脳だけの産物ではない手がかりと見る立場である。出典:パーニア『科学は臨死体験をどこまで説明できるか』(小沢元彦訳・三交社2006年)/ヴァン・ロンメルら『ランセット』358巻 2001年
文化と期待が像を作るとする説明
共通する部分は身体の仕組みから、細部は育った文化から来るとする二層の説明。インドではヒンドゥーの神が現れる例が多い。出典:スティーヴンソンのインド45例/ブラックモアのインド12例
判定を保留する立場
記録された事実と、その意味づけを切り離す。何が起きたかは言えても、何を示すかはまだ言えないという位置に立つ。出典:AWARE研究 2008〜2014
古い伝統のなかの位置づけ
仏教・チベット
死と次の生のあいだに現れる像として、あらかじめ詳細に説かれている。近年の報告との重なりが繰り返し指摘されてきた。出典:『バルド・トドゥル』(14世紀カルマ・リンパ)
仏教・浄土教
臨終に仏が迎えに来るという描写があり、光と人影という点で報告と重なる。ただし体験の記録ではなく、経典の記述である。出典:『阿弥陀経』/『観無量寿経』上品上生(授手迎接)
キリスト教
(カトリック)
臨終の幻視の記録は古くからある。ただし公式の教えは、それを死後の世界が在ることの証拠としては扱っていない。出典:グレゴリウス1世『対話』第4巻/『カトリック教会のカテキズム』67
イスラム教
(スンナ派)
死から復活までの隔ての状態が説かれる。臨死の報告を教えの裏づけとして用いることは、一般には行われない。出典:クルアーン 23章100節(バルザフ)
神道(祖霊の観念)
亡くなった人に会ったという語りは、民間の伝えのなかに古くからある。教義として定められたものではない。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
神智学
身体から精妙な体が離れる現象として説明した。十九世紀後半の、交霊をめぐる関心のなかで体系化された枠組みである。出典:神智学協会(1875年創設)
現代スピリチュアル
死後の世界がある証拠として受け取られることが多い。語り手ごとに内容が異なるため、個別に出典を示して扱う。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
唯物論・無神論
脳が停止しつつある過程で生じる体験であり、死後の世界が在ることを示すものではないとされる。説明は身体の側で足りるとする。出典:ブラックモア『生と死の境界』(原著1993年)
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どこで割れているか

一つめ 説明が競合しているのではなく、層が違う

酸素の低下、脳内の物質、側頭頭頂接合部、死にゆく脳の活動——これらはどうやって起きるかの説明です。死後を垣間見たという受け取り方は、何であるかの説明です。前者が正しくても後者が消えるとは限らず、後者を取っても前者は否定されません。同じ土俵で争っているように見えて、問いが違います。

二つめ 同じ材料が、両方の側に使われる

脳の活動が乏しい状態で明晰な体験が語られるという同じ事実が、一方では「脳では説明できない」証拠として、もう一方では「死にゆく脳がまだ活動している」証拠として引かれます。二〇二三年に報告されたガンマ波の急増は、その典型です。事実の取り合いではなく、事実の置き場所の違いです。

三つめ 古い伝統は、これを証拠として使っていない

チベットの中間の期間の記述も、浄土教の来迎の描写も、報告と重なるところがあります。それでもカトリックもイスラム教も、臨死の報告を教えの裏づけとしては用いません。証拠として使うのは、主に十九世紀以降に現れた枠組みのほうです。この違い自体が、この問いの見どころになります。

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出典の確認状況

どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
ムーディ『Life After Life』1975(150人への聞き取り)01・02節照会済
ケネス・リングによる五要素の整理01節照会済
AWARE研究 2008〜2014(2,060件・140人・46%・9%)01・02節数値まで確認
ボルジギンら『米国科学アカデミー紀要』2023年5月(ガンマ波)02・03節掲載誌と年月を確認
スティーヴンソンのインド45例(ヤムラージが現れる)01・02節照会済
ブラックモアのインド12例/子どもの報告の三要素01・02節照会済
ブランケらの脳刺激研究(側頭頭頂接合部)02節照会済
『バルド・トドゥル』02節照会済
クルアーン 23章100節(バルザフ)02節照会済
神智学協会(1875年創設)02節照会済
『阿弥陀経』(臨終の来迎)/『観無量寿経』上品上生(授手迎接)02節原文を確認
グレゴリウス1世『対話』第4巻(593年頃)/『カトリック教会のカテキズム』67(私的啓示)02節照会済
柳田国男『先祖の話』1946年02節照会済
ブラックモアとトロシャンコ「トンネルの生理」1989年(『臨死研究誌』8巻1号)/カー「ストレス性の辺縁葉機能不全」1982年(『アナビオシス』2巻1号)/フレンチ『ランセット』358巻 2001年02節掲載誌と巻号を確認
ブラックモア『生と死の境界』由布翔子訳・読売新聞社 1996年(原著1993年)02節邦訳の版元と年を確認
パーニア『科学は臨死体験をどこまで説明できるか』(小沢元彦訳・三交社2006年)02節邦訳の版元と年を確認
ヴァン・ロンメルら『ランセット』358巻 2001年(オランダの前向き研究)02節掲載誌と巻号を確認
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」(刊行年と版元をつけた一覧)01節系譜のページに集約
ブランケらの脳刺激研究(臨死の体外離脱とは質的に異なるとの指摘もある)01節章節を特定
ブラックモア『生と死の境界』(原著1993年)01節章節を特定