立場 / インドに始まる系統

仏教・浄土教

この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。

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問いごとの答え(23件)

死んだらどうなるのか

臨終に阿弥陀仏の来迎を受け、浄土に生まれる。輪廻の仕組みを説明するのではなく、そこから出る道として語られる。出典:『無量寿経』第十八願/『阿弥陀経』(臨終の来迎)

死者と生者はつながれるのか

浄土に往生した者は、仏のはたらきを得て再びこの世に還り、遺された者を導くと説かれる。往き来は一方通行ではない。出典:曇鸞『往生論註』(往相・還相)/親鸞『教行信証』

生まれる前の私はいたのか

前の生を論じない。いま願いが向けられているという一点のほうが、繰り返し前に置かれることになる。出典:『無量寿経』第十八願/親鸞『教行信証』

名を残すことに意味はあるのか

名を残せない者として自分を見ている。そこから、名によらずに救われていく道が説かれることになる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条

祈りは届くのか

称名は願い事の言葉ではないとされる。すでに向けられている仏の呼び声に、応えて称えるものだと説明されている。出典:浄土真宗本願寺派の公式解説/『無量寿経』第十八願

意識はどこから来るのか

起源を論じない。自力では立ちゆかない者として自分を見るところから、委ねる道が説かれていくことになる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条

他者とどう関わるのか

自力では他者を救えない者として自分を見る。そこから、ともに委ねられている者として他者が見られる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条

運命は決まっているのか

自力のはからいでは定まらないとされる。委ねたところで、すでに向けられている願いのはたらきが説かれる。出典:『無量寿経』第十八願/親鸞『教行信証』

臨死体験は何を示すのか

臨終に仏が迎えに来るという描写があり、光と人影という点で報告と重なる。ただし体験の記録ではなく、経典の記述である。出典:『阿弥陀経』/『観無量寿経』上品上生(授手迎接)

生まれ変わりはあるのか

繰り返しはあるが、そこから出ることが説かれる。往生した者は戻らず、還るとしても導く側として還るとされる。出典:曇鸞『往生論註』(往相・還相)/親鸞『教行信証』

欲は満たすべきか、減らすべきか

欲を断ちきれない者として自分を見る。断てないままで委ねる道が、そこから開かれていくことになる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条

私とは何か

自力では立ちゆかず、はからいを離れられない者として自分を見る。そこから、仏に委ねる道が説かれていく。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条

神とは何か

阿弥陀仏は、世界を造った者ではなく、誓いを立てて仏となった存在として説かれる。救う相手として立つ。出典:『無量寿経』(法蔵菩薩の四十八願)

幸せとは何か

この身のままでは満たされないと見る。委ねたところに、安らぎが与えられると説かれていく。自力での達成は置かれていない。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条

生きるとは何か

自力で積み上げることを目的としない。委ねたうえで、いまの生をそのまま生きることが説かれていく。はからいを離れることが説かれる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条

現実は心が作るのか

この問いを主題としない。浄土は仏の願いによって建てられたものとされ、人の心が作るとは説かれていない。出典:『無量寿経』第十八願

成功とは何か

自力で成し遂げることを、そもそも目指さない。委ねることが、この道での成就とされている。成就は委ねた先に置かれる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条

時間とは何か

時そのものを主題としない。臨終という一点と、そこに向けられている願いのほうが繰り返し語られている。出典:『無量寿経』第十八願/『阿弥陀経』(臨終の来迎)

宇宙とは何か

この世界のほかに、数えきれない仏の世界があるとされる。宇宙は一つに限られないという形をとる。数は数えきれないとされる。出典:『阿弥陀経』/浄土三部経

天国・地獄・浄土はどこにあるのか

西方に十万億の仏土を過ぎたところにあると経に説かれる。ただし遠さは隔たりを意味せず、念仏によって結ばれるとされる。出典:『阿弥陀経』「從是西方過十万億佛土」

善悪はどこで決まるのか

自力では善をなしきれない者として自分を見る。そこから、はからいを離れて委ねる道が説かれていくことになる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条

なぜ生まれてくるのか

生まれてきた理由よりも、この生をどう終えるかに重心が置かれる。目的は、浄土に往生することとして定められている。出典:浄土三部経/親鸞『教行信証』

なぜ苦しみがあるのか

自力では苦を抜けられない者として自分を見る。そこから、仏の力に委ねる道が開かれていくことになる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条

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