立場 / 西アジアに始まる一神教

キリスト教(カトリック)

この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。

01

問いごとの答え(23件)

死んだらどうなるのか

死の直後に一人ひとりの裁きがあり、なお清めを要する者はその過程を経る。そして終わりの日に、身体を伴って復活するとされる。出典:コリントの信徒への手紙一 15章42〜44節/『カトリック教会のカテキズム』990・1030〜1032

死者と生者はつながれるのか

生者と死者は一つの交わりのうちにあるとされ、死者のための祈りが営まれる。聖なる人々への取り次ぎを願うことも認められる。出典:聖徒の交わり(旧訳・諸聖人の通功)/第二マカバイ記 12:45

生まれる前の私はいたのか

魂は神によって直接に創られるとされる。親から生み出されるのでも、前から在ったのでもないとされる。出典:『カトリック教会のカテキズム』366/ブラガ教会会議561年 第6条

名を残すことに意味はあるのか

施しを人に見せるなと説かれる。人に見られて得た評価は、すでに報いを受け取ったものだとされる。出典:マタイ6章1〜4節/コリントの信徒への手紙一 4章5節

祈りは届くのか

主の祈りが型として与えられている。聞き入れられないときは、求め方のほうが問い直されると説明される。出典:マタイ6章9〜13節/『カトリック教会のカテキズム』2734〜2741

意識はどこから来るのか

魂は神によって直接に創られるとされる。親から受け継ぐものではないと、はっきり区別されている。出典:『カトリック教会のカテキズム』362〜365

他者とどう関わるのか

隣人を自分のように愛せ、が最も大いなる戒めの一つとされる。律法の全体がここにかかると語られている。出典:マタイ22章37〜40節/ルカ10章25〜37節(良きサマリア人)

運命は決まっているのか

自由は与えられたものとされる。恩寵は自由と競い合わず、むしろ自由を育てるものとして説明されている。出典:『カトリック教会のカテキズム』1731〜1742

臨死体験は何を示すのか

臨終の幻視の記録は古くからある。ただし公式の教えは、それを死後の世界が在ることの証拠としては扱っていない。出典:グレゴリウス1世『対話』第4巻/『カトリック教会のカテキズム』67

生まれ変わりはあるのか

認めない。生は一度きりのものとされ、死の後に一人ひとりの裁きがあると説かれる。やり直す機会は置かれていない。出典:ヘブライ人への手紙 9:27

欲は満たすべきか、減らすべきか

節制が四つの枢要徳の一つに数えられる。快を否定するのではなく、程よさに保つことが説かれている。出典:『カトリック教会のカテキズム』1809・1866(七つの罪源)

私とは何か

人は身体と魂からなる一つの存在とされる。魂だけが本当の私だとはされず、終わりの日に身体を伴って復活する。出典:『カトリック教会のカテキズム』362〜365・990

神とは何か

一つの神が三つの位格として在るとされる。そのうちの子が人となったことが、教えの中心に置かれている。出典:ニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年)

幸せとは何か

人の心は神のうちにしか安らがないとされる。地上の善は、そこへ向かう途上に置かれている。途上であることが前提になる。出典:アウグスティヌス『告白』第一巻第一章/『カトリック教会のカテキズム』1718

生きるとは何か

生きることは、神との交わりのうちに歩むことだとされる。隣人への愛が、その具体的な形になる。愛は行いのなかで確かめられる。出典:新約聖書/カトリック教会のカテキズム

現実は心が作るのか

世界は神が無から造ったものとされる。心が作るのではなく、人もまた造られた側に置かれることになる。出典:『カトリック教会のカテキズム』296〜298

成功とは何か

地上の成功は目的ではないとされる。神との交わりと、隣人への愛のほうが問われることになる。地上の達成は目的にならない。出典:アウグスティヌス『告白』第一巻第一章/『カトリック教会のカテキズム』1718

時間とは何か

時は世界とともに造られたとされる。世界より前に時があったのではない、という形が取られている。出典:『カトリック教会のカテキズム』296〜298

宇宙とは何か

神が無から造ったとされる。世界には始まりがあり、造られたものとして神からはっきり区別される。世界は神と同じものにはならない。出典:『カトリック教会のカテキズム』296〜298(無からの創造)

天国・地獄・浄土はどこにあるのか

天国と地獄に加えて、清めを受ける状態が置かれる。近年の教えでは、場所というより神との関係のありようとして説明される。出典:『カトリック教会のカテキズム』1023〜1037

善悪はどこで決まるのか

神を愛することと隣人を愛することが、最も大いなる二つの戒めとされる。律法全体がここにかかると語られる。出典:マタイ22章37〜40節/レビ記19章18節

なぜ生まれてくるのか

神が意図して創造した。人は神との交わりのうちに生きるために存在し、その生は繰り返されない一度きりのものとされる。出典:創世記 1:27/ヘブライ人への手紙 9:27

なぜ苦しみがあるのか

苦しみは、人に自由が与えられていることの代償として説明される。加えて、キリストの受難と結ばれる。出典:『カトリック教会のカテキズム』309〜314

02

同じ系統のなかで並べて読む