この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。
死から復活までのあいだ、隔ての状態(バルザフ)に置かれる。復活の日に身体を伴って起こされ、行いに応じた報いを受ける。出典:クルアーン 23章100節ほか
遺された者が死者のために祈願することは認められる。一方で、死者を呼び出そうとする行いは強く退けられる。出典:クルアーン/サヒーフ・ムスリム 1631(遺言の書)
子孫が「われは汝らの主ではないか」と問われ、答えた場面が記される。読み方は一様ではないとされる。出典:クルアーン 7章172節(アラストの契約)
現世の生は、遊びと戯れと飾りと、互いへの誇示にすぎないと記される。誇示が名指しで挙げられている。出典:クルアーン 57章20節
われに祈れ、われは応えようと記されている。定時の礼拝と、時を選ばない願いの祈りが区別されている。出典:クルアーン 40章60節・4章103節
魂について与えられた知識はわずかだと記されている。問うこと自体は退けられていないが、答えは限られる。出典:クルアーン 17章85節
自分のために望むものを兄弟のために望むまでは、信仰者ではないと伝えられる。喜捨も義務とされる。出典:サヒーフ・ブハーリー 13/クルアーン 2章177節(喜捨)
善も悪も含めた定めを信じることが、信仰箇条の一つに数えられる。起こる前から記されているとされる。出典:サヒーフ・ムスリム 8a(ジブリールのハディース)/クルアーン 57章22節
死から復活までの隔ての状態が説かれる。臨死の報告を教えの裏づけとして用いることは、一般には行われない。出典:クルアーン 23章100節(バルザフ)
認めない。生は一度きりのものとされ、死から復活までのあいだは隔ての状態に置かれると説かれる。戻ってくる道は無い。出典:クルアーン 23章100節(バルザフ)
断食は定められるが、極端な禁欲は戒められる。断食もし食べもする、と預言者が述べたと伝えられる。出典:クルアーン 2章183節/サヒーフ・ブハーリー 5063
私は神に創られた僕であり、預けられた命をいつか返す者とされる。自らを主とすることは、強く戒められる。出典:クルアーン 51:56
神は唯一で、並ぶものが無いとされる。分けることも像にすることも許されず、最も重い戒めとされている。出典:クルアーン 112章(純正章)
現世の幸せは仮のものとされる。神に従うことのうちに、真の満ち足りがあると説かれている。現世と来世がはっきり分けられる。出典:クルアーン/ハディース
生きることは、神に仕えることだとされる。日々の勤めと、他者への務めが、その具体的な形になる。勤めは日々に割り当てられる。出典:クルアーン 51:56/ハディース
世界は神が「在れ」と言うことで在るとされる。人の心が作る余地は置かれず、造る側と造られる側が分けられている。出典:クルアーン 2章117節
現世の成功は仮のものとされる。真の成功は、審判の日に報いを得ることだと説かれている。報いは審判の日に置かれる。出典:クルアーン/ハディース
世界には定められた期限があるとされる。時は神のもとで数えられており、人の側からは測りきれない。出典:クルアーン 2章117節
神が在れと言えば在るとされる。天と地は神のしるしであり、読み取るべきものとして置かれている。読む務めが人に課される。出典:クルアーン 2章117節
楽園と業火が、それぞれ段階を持つ場所として具体的に描かれる。庭・川・木といった描写が、繰り返し細かく置かれている。出典:クルアーン 55章46節以下・56章27〜56節
善悪は神が命じることによって決まるとする見方が、後に主流となった。理性が独自に定めるのではないとされる。出典:アシュアリー派の立場(アシュアリー没935年)
神が人を創り、地上における代理者として置いた。創られた目的は神に仕えることであると、経典に明示されている。出典:クルアーン 51:56/2:30
苦しみは試練として置かれる。耐えることに報いがあるとされ、意味は現世で完結しないと説かれている。出典:クルアーン 2章155節ほか