立場 / 中国に始まる系統

儒教

この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。

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問いごとの答え(22件)

死んだらどうなるのか

死後を主題として語らない。孔子は、生をまだ知らないのに死を知ろうとすることを退けた。そのかわり、祖先を祀る務めが重んじられる。出典:『論語』先進篇

死者と生者はつながれるのか

祖先を祀ることが務めの中心に置かれる。孔子は、祭るときはそこにいますがごとくせよと説いた。存否を問わず、態度を問う。出典:『論語』八佾篇 第12章

生まれる前の私はいたのか

まだ生を知らないのに、どうして死を知ろうかという構えが取られる。生まれる前も、主題に入らない。出典:『論語』先進篇 第12章

名を残すことに意味はあるのか

徳を立て、功を立て、言を立てる。この三つは久しくとも廃れないとされ、朽ちないものと呼ばれている。出典:『春秋左氏伝』襄公二十四年(三不朽)/『論語』衛霊公篇(版により第19章・第20章)

祈りは届くのか

天に罪を得たならば祈る所はないとされる。孔子は病のときの祈願にも、私の祈りは久しいと答えている。出典:『論語』八佾篇 第13章/述而篇 第35章

意識はどこから来るのか この問いには答えない

この問いを立てない。関心は、人と人のあいだをどう整えるかにあり、心の起源は主題に入っていない。出典:『論語』述而篇 第20章

他者とどう関わるのか

「仁とは何か」への答えとして、己の欲せざる所を人に施すな、が置かれている。関係の結び目が問われる。出典:『論語』顔淵篇 第2章・第22章/衛霊公篇 第24章(レッグ訳では第23章)

運命は決まっているのか

命を知らなければ君子たりえないとされる。定めを受け取ったうえで、なすべきことを果たすことが説かれる。出典:『論語』為政篇 第4章/堯曰篇 第3章

生まれ変わりはあるのか

生まれ変わりを説かない。子孫が続いていくことのほうに重心が置かれ、個人が繰り返すという枠組みそのものを持たない。出典:『論語』先進篇

欲は満たすべきか、減らすべきか

礼は、欲を滅ぼすためではなく養うために作られたと説かれる。分を定めることで、争いを避けるとされる。出典:『荀子』礼論篇/『論語』顔淵篇 第1章(克己復礼)

私とは何か

私は関係のなかで定まる。父子・君臣・友といった結び目のどこに立つかによって、なすべきことが決まるとされる。出典:『論語』顔淵篇 第11章/『孟子』滕文公上(五倫)

神とは何か

天という語は用いるが、人格を持つ神としては論じない。孔子は怪力乱神を語らなかったと伝えられている。出典:『論語』述而篇 第20章

幸せとは何か

幸せを主題としない。務めを果たし、学び続けることのうちに、おのずと喜びがあるとされている。喜びは結果として現れてくる。出典:『論語』学而篇

生きるとは何か

生きることは、関係のなかで務めを果たすことだとされる。学び続けることが、そのまま道とされている。学ぶことに終わりは置かれない。出典:『論語』学而篇 第1章

現実は心が作るのか この問いには答えない

この問いを立てない。関心は、人と人のあいだをどう整えるかにあり、世界の成り立ちは主題にならない。出典:『論語』述而篇 第20章

成功とは何か

成功は、地位や富ではなく、人として完成に近づいたかで測られる。名は後からついてくるとされる。名は後からついてくるとされる。出典:『論語』学而篇

時間とは何か

天は何も言わないが、四季はめぐり万物は生じると語られる。時を論じるより、その運行が示される。出典:『論語』陽貨篇 第19章

宇宙とは何か

宇宙の成り立ちを主題としない。天という語は用いるが、その構造を論じることは避けられている。孔子は語らなかったと伝えられる。出典:『論語』述而篇 第20章

天国・地獄・浄土はどこにあるのか

死後の場所を説かない。祖先を祀る場は現世の側に置かれ、そこに向かって礼が営まれる。行き先ではなく、祀る態度のほうが問われる。出典:『論語』先進篇・八佾篇

善悪はどこで決まるのか

仁とは人を愛することだとされる。自分がされたくないことを人にしない、という一語が全体を貫くと語られる。出典:『論語』顔淵篇 第22章/衛霊公篇 第24章

なぜ生まれてくるのか

生まれる理由を主題としない。孔子は、生をまだ知らないのに死を知ろうとすることを退けた。問われるのは務めのほうである。出典:『論語』先進篇

なぜ苦しみがあるのか

苦しみの起源を論じない。天命として受け取ったうえで、なすべきことを果たすほうが問われることになる。出典:『論語』為政篇 第4章