祈るという行いは、世界のほとんどの伝統にあります。ただし「何に向かって、何を期待して祈るのか」は同じではありません。願いを聞き届ける相手を置く立場、置かない立場、祈りを別のものへ置き換える立場を、同じ体裁で並べます。判定はしません。
並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。
一神教とヒンドゥー教の信愛の道は、応える相手をはっきり置きます。置かない側もあります。上座部は、池に沈んだ岩に浮かべと祈っても浮かばないという喩えで、祈願が行き先を変えないと説きます。ジャイナ教では、解脱した魂は世界に働きかけません。同じインドのなかで、この線が正面から分かれています。
浄土教は、称名を願い事の言葉ではないとします。すでに向けられている呼び声への応答だという説明です。正教は短い祈りを絶えず繰り返す道を伝え、スーフィズムは神の名を唱えることを隔たりを取り去る行とします。シク教は、願うことより憶えていることに重心を置きます。祈りの形は残しながら、中身が願望から別のものへ移っています。
孔子は、病に伏したとき祈願を勧められて「私が祈るのは久しい」と答えたと記されます。八佾篇には、効き目のありそうな神に取り入る発想を退け、天に罪を得たならば祈る所はないとあります。カントは祈りを神を動かす手段としては認めず、道徳的な心構えを整える働きとして位置づけ直しました。祈りを否定するのではなく、その手前を問う形です。
人が大きな岩を深い池に投げ入れ、大勢が集まって手を合わせ、拝み、祈り、めぐり歩いて
「岩よ、浮かび上がれ。岸へ来い」と唱えたとしよう。その岩が浮かび上がることがあるだろうか。
西方のバラモンが、死者を天界へ送れると称したのに対して示された喩えです。祈願を退けているのは、行いの結果が行き先を定めるという立場からです。なお同じ伝統に、生きとし生けるものの幸いを願う慈しみの修習(『慈経』小部・経集1.8)があります。願うことすべてを退けているのではありません。
王孫賈が問うた。「奥の神に媚びるより竈の神に媚びよ、とはどういう意味でしょうか」
先生が答えた。「そうではない。天に罪を得たならば、祈る所はないのだ。」
効き目のありそうな相手を選ぶという考え方が、正面から退けられています。祈りが届くかどうかより先に、祈る者の側が問われる形です。
『延喜式』巻第八に二十七編の祝詞が収められています。文体は二つに分かれます。神に申し上げる形(奏上体)と、集まった人々に神の意を宣り下す形(宣命体)です。どちらが本来かは学説が分かれており、決着していません。ですから01節では「両方が含まれる」と書き、どちらかに寄せていません。
祈りが叶わないことをどう受け取るかは、外から立てられた問いではありません。カトリックのカテキズムは、これを独立した項目として扱います(2734〜2741)。求めても得られないのは求め方によるとし、心が分かれていれば応えられないと説明します。内側から先に問われている論点です。
この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。
| 出典 | 使った箇所 | 状況 |
|---|---|---|
| 『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』6章8節7 | 01節 | 照会済 |
| イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀) | 01節 | 照会済 |
| 『バガヴァッド・ギーター』9章26節 | 01節 | 照会済 |
| ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』10章5節 | 01節 | 照会済 |
| 相応部42.6(アシバンダカプッタ経) | 01節 | 照会済 |
| 世親『阿毘達磨倶舎論』業品 | 01節 | 照会済 |
| 『倶舎論』破我品に引かれた説 | 01節 | 照会済 |
| 世親『唯識三十頌』(玄奘訳) | 01節 | 照会済 |
| 護法釈『成唯識論』 | 01節 | 照会済 |
| 浄土真宗本願寺派の公式解説 | 01節 | 照会済 |
| 『無量寿経』第十八願 | 01節 | 照会済 |
| 道元『弁道話』1231年 | 01節 | 照会済 |
| 『バルド・トドゥル』(川崎信定訳) | 01節 | 照会済 |
| 『グル・グラント・サーヒブ』1245ページ(三つの務め) | 01節 | 照会済 |
| 『論語』八佾篇 第13章 | 01節 | 照会済 |
| 述而篇 第35章 | 01節 | 照会済 |
| 『荘子』斉物論篇 | 01節 | 照会済 |
| 『延喜式』巻第八 祝詞(927年撰進) | 01節 | 照会済 |
| 柳田国男『先祖の話』1946年 | 01節 | 照会済 |
| ミシュナ『ベラホート篇』4章1節 | 01節 | 照会済 |
| バビロニア・タルムード ベラホート26b | 01節 | 照会済 |
| 『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年) | 01節 | 照会済 |
| マタイ6章9〜13節 | 01節 | 照会済 |
| 『カトリック教会のカテキズム』2734〜2741 | 01節 | 照会済 |
| ディアドコス『霊的知識と識別についての百章』(『フィロカリア』第1巻所収) | 01節 | 照会済 |
| カルヴァン『キリスト教綱要』第三篇第二十章 | 01節 | 照会済 |
| クルアーン 40章60節・4章103節 | 01節 | 照会済 |
| サドゥーク『イーティカーダート』第21章(取り次ぎ) | 01節 | 照会済 |
| ガザーリー『宗教諸学の再興』 | 01節 | 照会済 |
| プラトン『パイドン』 | 01節 | 照会済 |
| エピクロス『メノイケウス宛書簡』 | 01節 | 照会済 |
| エピクテトス『提要』第1章 | 01節 | 照会済 |
| デカルト『省察』第三・第五省察 | 01節 | 照会済 |
| スピノザ『エチカ』第一部 付録 | 01節 | 照会済 |
| カント『実践理性批判』 | 01節 | 照会済 |
| ハイデガー『存在と時間』1927年 | 01節 | 照会済 |
| サルトル『実存主義とは何か』1946年 | 01節 | 照会済 |
| ユング『元型論』Ⅰ「集合的無意識の概念」(林道義訳・紀伊國屋書店) | 01節 | 照会済 |
| フランクル『識られざる神』「無意識の宗教性」(佐野利勝・木村敏訳・みすず書房) | 01節 | 照会済 |
| カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年) | 01節 | 照会済 |
| フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年 | 01節 | 照会済 |
| プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年 | 01節 | 照会済 |
| サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節 | 01節 | 照会済 |
| H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年 | 01節 | 照会済 |
| 系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」 | 01節 | 照会済 |
| AWARE研究 2008〜2014 | 01節 | 照会済 |
| ラッセル『宗教は必要か』第4編「死後も生存するか」(大竹勝訳・荒地出版社) | 01節 | 照会済 |
| 『慈経』小部・経集1.8 | 03節 | 所在を確認 |