軸 3 / 私をめぐる問い

意識はどこから来るのか

痛みを感じ、色を見て、自分がいると思う——この経験そのものは、どこから生じているのか。脳の働きだとする立場、脳では説明しきれないとする立場、意識のほうが根本だとする立場、問いを立てない立場があります。同じ体裁で並べます。判定はしません。

01

四十二の立場が、それぞれ何と答えているか

並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
意識のほうが根本だとされる。身体・生気・心・知の層を順に見ていき、最も内に歓喜の層が置かれている。出典:『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』第2章1〜5節(版により番号が異なる)
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
意識は物質から生じないとされる。見る者と、見られるものとを最初から分け、両者の結びつきを跛者と盲者に喩える。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』第17・19〜21偈
ヒンドゥー教
(信愛の道)
起源を主題としない。神との関わりのなかに置かれているという点のほうが、繰り返し語られてきた。出典:『バガヴァッド・ギーター』9章26節
ジャイナ教
魂そのものが知るはたらきを備えているとされる。物質とは別の実体として、はっきり立てられている。出典:ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』(2世紀)
仏教・上座部
識は縁って生じるとされる。眼と色によって生じたものを眼識と呼ぶように、条件のほうから名づけられる。出典:中部38(大愛尽経)/相応部12.2(縁起の分別)
仏教・説一切有部
識も、世界を構成する要素の一つとして分類される。実在する要素の側から、細かく整理されていく。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品
仏教・犢子部
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
深い層の識がすべての種子を持つとされる。表に現れる心は、その層からの現れとして説明されている。出典:世親『唯識三十頌』第2頌(阿頼耶識)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
起源を論じない。自力では立ちゆかない者として自分を見るところから、委ねる道が説かれていくことになる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条
仏教・禅(道元)
どこから来たかを問わない。いま坐っていることのほうへ、問いの向きがそのまま戻されることになる。出典:道元『弁道話』1231年
仏教・チベット
心の本性はもともと明るく澄んでいるとされる。日常の心は、その上を流れていくものとして説かれてきた。出典:第三代カルマパ『了義大印祈願文』
シク教
起源を主題としない。神の名を念じ、暮らしのなかで果たすことのほうに、はっきり重心が置かれている。出典:『グル・グラント・サーヒブ』1245ページ(三つの務め)
中国に始まる系統
儒教
この問いを立てない。関心は、人と人のあいだをどう整えるかにあり、心の起源は主題に入っていない。出典:『論語』述而篇 第20章
道教(荘子)
夢と現の境そのものが問い直される。目覚めている側を確かなものとして先に置く構えが、退けられる。出典:『荘子』斉物論篇(胡蝶の夢)
日本
神道(古典神話)
起源を教義として定めない。神々のはたらきによって成ったという語り方のなかに、置かれたままである。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)
神道(祖霊の観念)
この問いを立てない。見えないものが働いているという受けとめが、暮らしの行事の形で続いてきた。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
魂は神から与えられたものとされる。人が造られたときに息を吹き入れられた、という記述が土台に置かれる。出典:創世記 2章7節
ユダヤ教(カバラー)
魂はいくつもの段階をなすとされ、より高い層から順に降りてくるという枠組みのなかに置き直されている。出典:『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)
キリスト教
(カトリック)
魂は神によって直接に創られるとされる。親から受け継ぐものではないと、はっきり区別されている。出典:『カトリック教会のカテキズム』362〜365
キリスト教(正教)
同じく神から与えられたものとする。加えて、神へ近づいていく過程のなかで捉える見方が保たれている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
キリスト教
(プロテスタント)
同じく神から与えられたものとされる。人がそれを自力で説明しきれるとは、そもそも考えられていない。出典:カルヴァン『キリスト教綱要』1536年
イスラム教(スンナ派)
魂について与えられた知識はわずかだと記されている。問うこと自体は退けられていないが、答えは限られる。出典:クルアーン 17章85節
イスラム教(シーア派)
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手を通して知が保たれるという構えが置かれている点が異なる。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
イスラム教
(スーフィズム)
内側を澄ませていくことで、隔たりが取り去られるとされる。起源よりも、いま何に覆われているかが問われる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
ギリシアに始まる哲学
プラトン
魂は身体より先にあるとされる。学ぶことは、忘れていた知を想い起こすことだという形で説明されている。出典:プラトン『メノン』81c〜86c/『パイドン』72e〜77a
エピクロス
心も原子でできているとされる。身体が解ければ心も散るという形で、はっきり物の側から説明される。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節
ストア派
宇宙を貫く理法の一部が、人のうちにも働いているとされる。個の心も、その全体の側から捉えられる。出典:エピクテトス『提要』第1章
デカルト
精神と身体を分けたうえで、両者が触れ合う場を脳の小さな腺に求めた。対をなさない器官である点を根拠にする。出典:デカルト『情念論』1649年 第31〜32項
スピノザ
精神と身体は、同じ一つのものの二つの現れとされる。どちらかが他方を生むという関係には置かれない。出典:スピノザ『エチカ』第二部 定理13
カント
起源は知りうることの外に置かれる。経験を成り立たせている側の私は、知られる対象にはならないとされる。出典:カント『純粋理性批判』B131〜132(超越論的統覚)
ハイデガー
意識という語から問いを立て直す。世界のなかで関わりながら在ることのほうへ、問いが移し替えられている。出典:ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)
実存主義
(サルトル・カミュ)
起源を論じない。人はまず存在し、そのあとで自分が何であるかを作っていくという形が先に置かれる。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
心理学
ユング
意識の下により広い層があるとした。個人の枠を越えて共有される層まで含めて、心が考えられている。出典:ユング『元型論』Ⅰ「集合的無意識の概念」(林道義訳・紀伊國屋書店)
フランクル
起源を論じない。意味を問われて答える主体として置き、何に応えるかによって定まるとされている。出典:フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)
科学
神経科学
脳の活動と結びつくことは観察されるが、なぜ主観的な経験が生じるのかは説明できていないとされる。出典:チャーマーズ「意識の難問」1995年 第2節(『意識研究誌』2巻3号)
進化生物学
意識がどう役立ったかは論じられる。ただし目的があって生じたとは述べず、過程として記述するにとどまる。出典:マイア「生物学における原因と結果」1961年
宇宙論
この問いを扱う枠組みを持たない。物質とエネルギーを記述する理論に、心を語るための語彙は無い。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
この問いに答えを持たない。観測という語が出てくるが、それは測定の側を指し、人の意識を指すのではない。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
意識は複数の層にわたって在るとされた。身体はその一つの層にすぎないという枠組みが置かれている。出典:H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年
現代スピリチュアル
意識のほうが根本で、身体はその現れだとする語り方が多い。物理学の語を借りる例も広く見られる。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
脳の活動が乏しい状態での報告を記録する。ただしそれが何を示すかの判断には、踏み込まないでいる。出典:AWARE研究 2008〜2014
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
意識は脳のはたらきであり、それ以外の何かではないとされる。特別な材料を持ち出す必要は無いとされる。出典:デネット『解明される意識』(山口泰司訳・青土社1998年)
02

どこで割れているか

一つめ 意識は、物から生じるのか

生じるとする側に、エピクロス・神経科学・唯物論が並びます。生じないとする側は、意識のほうを先に置きます。サーンキヤは見る者と見られるものを最初から分け、ヴェーダーンタは意識を根本に据えます。デカルトは分けたうえで、両者が触れ合う場を脳の一点に求めました。この線は東西で分かれるのではなく、それぞれの内部を通っています。

二つめ 意識を、独立したものとして立てるか

上座部は識は縁って生じるとし、眼と色によって生じたものを眼識と呼ぶように、条件の側から名づけます。識が独立して転生するという見方は、経のなかで正面から叱責されています。一方で唯識は、深い層の識を立て、そこからの現れとして表の心を説明します。同じ仏教のなかで、この立て方が分かれています。

三つめ 問いを立てない、という答え方

儒教は関心を人と人のあいだに置き、禅はどこから来たかを問わずいま坐っていることへ戻します。イスラムでは魂について与えられた知識はわずかだと記され、問うこと自体は退けられていませんが、答えの範囲が限られます。宇宙論と量子力学は、扱う枠組みを持たないと述べます。

03

いま加わっている材料

この問いには、現在も研究が続いています。ここで答えを出しません。何が試みられ、何が分かっていないかだけを書きます。

難しい問題と、易しい問題を分ける

注意を向ける、報告する、覚醒と睡眠を分ける——こうした働きは、仕組みを調べれば説明がつくとされます。説明がつかないのは、なぜそこに経験が伴うのかのほうです。この区別が一九九五年に示され、以後の議論の枠になっています。出典:チャーマーズ「意識の難問」1995年 第2節(『意識研究誌』2巻3号)

二つの理論が、正面からぶつかっています

統合された情報の量が意識を決めるとする理論と、脳の広い範囲へ情報が行き渡ることが意識を作るとする理論があります。前者は二〇〇四年に、後者は一九八八年に出されました。出典:トノーニ『BMC神経科学』5巻42号 2004年/バーズ『A Cognitive Theory of Consciousness』1988年

その二つを、直接ぶつける実験が行われました

二百五十六人を対象に、予測をあらかじめ登録したうえで比べる形です。結果は、どちらかが勝ったのではありませんでした。論文自身が「双方の中核的な主張を実質的に反証した」と述べています。出典:コジテイト共同研究『ネイチャー』642巻 2025年 133〜142頁

物のほうに、意識の要素を認める立場もあります

物質のもっとも基本的な層に、経験の芽のようなものがあるとする考え方です。近年あらためて議論されていますが、少数の立場です。ストローソンの論文は日本語で読めます。出典:ストローソン「実在論的な一元論——なぜ物理主義は汎心論を含意するのか」大厩諒訳(『現代思想』2020年6月号 汎心論特集・青土社)/ゴフ『Galileo's Error』2019年(邦訳は確認できず)

04

原典に降りる

比丘たちよ、縁を離れて識の生起はない。
識は、それが依って生じる縁によってのみ名づけられる。眼と色に依って生じる識は、眼識と名づけられる。

中部38 大愛尽経(要旨)

サーティという比丘が「この同じ識が輪廻を流転する」と述べたのに対し、正面から退けられた場面です。火が、燃えている燃料によって薪の火・草の火と名づけられるように、識も条件の側から名づけられるという説明が続きます。

知覚と、それに依存するものは、機械のしくみによっては説明できない。
思考し感じる機械があるとして、その内部に入っていけたとしても、
そこに見えるのは互いに押し合う部分だけで、知覚を説明するものは何ひとつ見出されないだろう。

ライプニッツ『モナドロジー』第17節(要旨・1714年)

ライプニッツは四十二の名簿に入っていません。ですがこの一節は、いま「難しい問題」と呼ばれているものと同じ形をしています。三百年前に、機械の内部をいくら調べても経験そのものは出てこない、と書かれていました。

05

出典の確認状況

この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』第2章1〜5節(版により番号が異なる)01節照会済
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』第17・19〜21偈01節照会済
『バガヴァッド・ギーター』9章26節01節照会済
ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』(2世紀)01節照会済
中部38(大愛尽経)01節照会済
相応部12.2(縁起の分別)01節照会済
世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品01節照会済
『倶舎論』破我品に引かれた説01節照会済
世親『唯識三十頌』第2頌(阿頼耶識)01節照会済
護法釈『成唯識論』01節照会済
親鸞『教行信証』01節照会済
唯円編『歎異抄』第三条01節照会済
道元『弁道話』1231年01節照会済
第三代カルマパ『了義大印祈願文』01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』1245ページ(三つの務め)01節照会済
『論語』述而篇 第20章01節照会済
『荘子』斉物論篇(胡蝶の夢)01節照会済
『古事記』上巻(天地初発之時)01節照会済
柳田国男『先祖の話』1946年01節照会済
創世記 2章7節01節照会済
『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)01節照会済
『カトリック教会のカテキズム』362〜36501節照会済
グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)01節照会済
カルヴァン『キリスト教綱要』1536年01節照会済
クルアーン 17章85節01節照会済
クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)01節照会済
ガザーリー『宗教諸学の再興』01節照会済
プラトン『メノン』81c〜86c01節照会済
『パイドン』72e〜77a01節照会済
エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節01節照会済
エピクテトス『提要』第1章01節照会済
デカルト『情念論』1649年 第31〜32項01節照会済
スピノザ『エチカ』第二部 定理1301節照会済
カント『純粋理性批判』B131〜132(超越論的統覚)01節照会済
ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)01節照会済
サルトル『実存主義とは何か』1946年01節照会済
ユング『元型論』Ⅰ「集合的無意識の概念」(林道義訳・紀伊國屋書店)01節照会済
フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)01節照会済
チャーマーズ「意識の難問」1995年 第2節(『意識研究誌』2巻3号)01節照会済
マイア「生物学における原因と結果」1961年01節照会済
プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年01節照会済
サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節照会済
H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年01節照会済
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」01節照会済
AWARE研究 2008〜201401節照会済
デネット『解明される意識』(山口泰司訳・青土社1998年)01節邦訳を確認
トノーニ『BMC神経科学』5巻42号 2004年(統合情報理論)03節巻号を確認
バーズ『A Cognitive Theory of Consciousness』1988年03節版元と年を確認
コジテイト共同研究『ネイチャー』642巻 2025年 133〜142頁03節結果の記述を確認
ストローソン「実在論的な一元論」大厩諒訳(『現代思想』2020年6月号)03節邦訳を特定(巻号・頁まで)
ゴフ『Galileo's Error』2019年03節邦訳が無いことを確認
ライプニッツ『モナドロジー』第17節(1714年)04節原文を確認