痛みを感じ、色を見て、自分がいると思う——この経験そのものは、どこから生じているのか。脳の働きだとする立場、脳では説明しきれないとする立場、意識のほうが根本だとする立場、問いを立てない立場があります。同じ体裁で並べます。判定はしません。
並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。
生じるとする側に、エピクロス・神経科学・唯物論が並びます。生じないとする側は、意識のほうを先に置きます。サーンキヤは見る者と見られるものを最初から分け、ヴェーダーンタは意識を根本に据えます。デカルトは分けたうえで、両者が触れ合う場を脳の一点に求めました。この線は東西で分かれるのではなく、それぞれの内部を通っています。
上座部は識は縁って生じるとし、眼と色によって生じたものを眼識と呼ぶように、条件の側から名づけます。識が独立して転生するという見方は、経のなかで正面から叱責されています。一方で唯識は、深い層の識を立て、そこからの現れとして表の心を説明します。同じ仏教のなかで、この立て方が分かれています。
儒教は関心を人と人のあいだに置き、禅はどこから来たかを問わずいま坐っていることへ戻します。イスラムでは魂について与えられた知識はわずかだと記され、問うこと自体は退けられていませんが、答えの範囲が限られます。宇宙論と量子力学は、扱う枠組みを持たないと述べます。
この問いには、現在も研究が続いています。ここで答えを出しません。何が試みられ、何が分かっていないかだけを書きます。
注意を向ける、報告する、覚醒と睡眠を分ける——こうした働きは、仕組みを調べれば説明がつくとされます。説明がつかないのは、なぜそこに経験が伴うのかのほうです。この区別が一九九五年に示され、以後の議論の枠になっています。出典:チャーマーズ「意識の難問」1995年 第2節(『意識研究誌』2巻3号)
統合された情報の量が意識を決めるとする理論と、脳の広い範囲へ情報が行き渡ることが意識を作るとする理論があります。前者は二〇〇四年に、後者は一九八八年に出されました。出典:トノーニ『BMC神経科学』5巻42号 2004年/バーズ『A Cognitive Theory of Consciousness』1988年
二百五十六人を対象に、予測をあらかじめ登録したうえで比べる形です。結果は、どちらかが勝ったのではありませんでした。論文自身が「双方の中核的な主張を実質的に反証した」と述べています。出典:コジテイト共同研究『ネイチャー』642巻 2025年 133〜142頁
物質のもっとも基本的な層に、経験の芽のようなものがあるとする考え方です。近年あらためて議論されていますが、少数の立場です。ストローソンの論文は日本語で読めます。出典:ストローソン「実在論的な一元論——なぜ物理主義は汎心論を含意するのか」大厩諒訳(『現代思想』2020年6月号 汎心論特集・青土社)/ゴフ『Galileo's Error』2019年(邦訳は確認できず)
比丘たちよ、縁を離れて識の生起はない。
識は、それが依って生じる縁によってのみ名づけられる。眼と色に依って生じる識は、眼識と名づけられる。
サーティという比丘が「この同じ識が輪廻を流転する」と述べたのに対し、正面から退けられた場面です。火が、燃えている燃料によって薪の火・草の火と名づけられるように、識も条件の側から名づけられるという説明が続きます。
知覚と、それに依存するものは、機械のしくみによっては説明できない。
思考し感じる機械があるとして、その内部に入っていけたとしても、
そこに見えるのは互いに押し合う部分だけで、知覚を説明するものは何ひとつ見出されないだろう。
ライプニッツは四十二の名簿に入っていません。ですがこの一節は、いま「難しい問題」と呼ばれているものと同じ形をしています。三百年前に、機械の内部をいくら調べても経験そのものは出てこない、と書かれていました。
この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。
| 出典 | 使った箇所 | 状況 |
|---|---|---|
| 『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』第2章1〜5節(版により番号が異なる) | 01節 | 照会済 |
| イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』第17・19〜21偈 | 01節 | 照会済 |
| 『バガヴァッド・ギーター』9章26節 | 01節 | 照会済 |
| ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』(2世紀) | 01節 | 照会済 |
| 中部38(大愛尽経) | 01節 | 照会済 |
| 相応部12.2(縁起の分別) | 01節 | 照会済 |
| 世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品 | 01節 | 照会済 |
| 『倶舎論』破我品に引かれた説 | 01節 | 照会済 |
| 世親『唯識三十頌』第2頌(阿頼耶識) | 01節 | 照会済 |
| 護法釈『成唯識論』 | 01節 | 照会済 |
| 親鸞『教行信証』 | 01節 | 照会済 |
| 唯円編『歎異抄』第三条 | 01節 | 照会済 |
| 道元『弁道話』1231年 | 01節 | 照会済 |
| 第三代カルマパ『了義大印祈願文』 | 01節 | 照会済 |
| 『グル・グラント・サーヒブ』1245ページ(三つの務め) | 01節 | 照会済 |
| 『論語』述而篇 第20章 | 01節 | 照会済 |
| 『荘子』斉物論篇(胡蝶の夢) | 01節 | 照会済 |
| 『古事記』上巻(天地初発之時) | 01節 | 照会済 |
| 柳田国男『先祖の話』1946年 | 01節 | 照会済 |
| 創世記 2章7節 | 01節 | 照会済 |
| 『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年) | 01節 | 照会済 |
| 『カトリック教会のカテキズム』362〜365 | 01節 | 照会済 |
| グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別) | 01節 | 照会済 |
| カルヴァン『キリスト教綱要』1536年 | 01節 | 照会済 |
| クルアーン 17章85節 | 01節 | 照会済 |
| クライニー『アル・カーフィー』(10世紀) | 01節 | 照会済 |
| ガザーリー『宗教諸学の再興』 | 01節 | 照会済 |
| プラトン『メノン』81c〜86c | 01節 | 照会済 |
| 『パイドン』72e〜77a | 01節 | 照会済 |
| エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節 | 01節 | 照会済 |
| エピクテトス『提要』第1章 | 01節 | 照会済 |
| デカルト『情念論』1649年 第31〜32項 | 01節 | 照会済 |
| スピノザ『エチカ』第二部 定理13 | 01節 | 照会済 |
| カント『純粋理性批判』B131〜132(超越論的統覚) | 01節 | 照会済 |
| ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在) | 01節 | 照会済 |
| サルトル『実存主義とは何か』1946年 | 01節 | 照会済 |
| ユング『元型論』Ⅰ「集合的無意識の概念」(林道義訳・紀伊國屋書店) | 01節 | 照会済 |
| フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房) | 01節 | 照会済 |
| チャーマーズ「意識の難問」1995年 第2節(『意識研究誌』2巻3号) | 01節 | 照会済 |
| マイア「生物学における原因と結果」1961年 | 01節 | 照会済 |
| プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年 | 01節 | 照会済 |
| サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節 | 01節 | 照会済 |
| H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年 | 01節 | 照会済 |
| 系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」 | 01節 | 照会済 |
| AWARE研究 2008〜2014 | 01節 | 照会済 |
| デネット『解明される意識』(山口泰司訳・青土社1998年) | 01節 | 邦訳を確認 |
| トノーニ『BMC神経科学』5巻42号 2004年(統合情報理論) | 03節 | 巻号を確認 |
| バーズ『A Cognitive Theory of Consciousness』1988年 | 03節 | 版元と年を確認 |
| コジテイト共同研究『ネイチャー』642巻 2025年 133〜142頁 | 03節 | 結果の記述を確認 |
| ストローソン「実在論的な一元論」大厩諒訳(『現代思想』2020年6月号) | 03節 | 邦訳を特定(巻号・頁まで) |
| ゴフ『Galileo's Error』2019年 | 03節 | 邦訳が無いことを確認 |
| ライプニッツ『モナドロジー』第17節(1714年) | 04節 | 原文を確認 |