軸 7 / 生き方をめぐる問い

生きるとは何か

目的は与えられているのか、自分で作るのか。世を離れるのか、暮らしのなかで果たすのか。世界の宗教・哲学・科学・現代の言説が何と答えてきたかを並べます。正しい・正しくないの判定はしません。

01

答えを並べる

同じ名前の宗教でも、この問いでは答えが割れます。割れているところまで降りて書きます。割れていないところは割りません。一つの答えは長さをそろえてあり、資料の多い立場ほど長くなることがないようにしています。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
生きることは、取り違えを解いて本来の自己に気づいていく過程とされる。目的が外から与えられることはない。出典:ウパニシャッド/『バガヴァッド・ギーター』
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
生きることは、精神と物質を見分けていく作業とされる。見分けが終われば、そこで役目は果たされている。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)
ヒンドゥー教
(信愛の道)
生きることは、神との関わりを深めていく道とされる。行いはすべて、神に捧げるものとして置かれる。献身が、そのまま生き方になる。出典:『バガヴァッド・ギーター』
ジャイナ教
生きることは、魂に付いた業を減らしていく過程とされる。傷つけないことが、その中心に据えられている。出典:ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』(2世紀)
仏教・上座部
生きることは、苦から離れる道を歩むことだとされる。生そのものに目的が与えられているのではない。道を歩むこと自体が生とされる。出典:中部63(毒矢の喩え)/相応部56.11(四諦と八正道)
仏教・説一切有部
同じ枠組みを取りながら、道の段階を細かく分析した。歩みの手順のほうが、主題として前に出てくる。手順が具体的に示される。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』賢聖品
仏教・犢子部とくしぶ
生きることの意味については、部派に共通する枠組みをそのまま用い、そこを離れる独自の主張を残していない。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
生きることは、心の深いところにある種子を変えていく過程として説明される。外の条件は主題にならない。変えるのは内の側になる。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
自力で積み上げることを目的としない。委ねたうえで、いまの生をそのまま生きることが説かれていく。はからいを離れることが説かれる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条
仏教・禅(道元)
生きることに、別の目的を立てない。坐ることも食べることも、そのまま全体だとして扱われている。日々の所作がそのまま道になる。出典:道元『正法眼蔵』現成公案/『典座教訓』1237年
仏教・チベット
生きることは、自分の次の生をよくするためだけではないとされる。他者のために働くことが中心に置かれる。出典:シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(700年頃)
シク教
働き、分かち合い、神の名を念じる。世を捨てずに、暮らしのなかで生きることが道とされている。世を捨てないことが説かれる。出典:『グル・グラント・サーヒブ』1245ページ(三つの務め)
中国に始まる系統
儒教
生きることは、関係のなかで務めを果たすことだとされる。学び続けることが、そのまま道とされている。学ぶことに終わりは置かれない。出典:『論語』学而篇 第1章
道教(荘子)
生きることに目的を立てない。作為を減らし、自ずと然るにまかせることのほうが説かれていく。目的を立てるのも作為とされる。出典:『老子』/『荘子』
日本
神道(古典神話)
生きる意味を教義として定めない。清らかであること、明るくあることが望ましいとされてきた。生きる理由は定義として置かれない。出典:『古事記』/祝詞
神道(祖霊の観念)
受け継いだいのちを次へ渡していくことが、生きることの形として受けとめられてきた。教義ではない。渡すこと自体が務めとされてきた。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
生きることは、律法に従って日々を営むことだとされる。世を離れず、この世で果たすものとされている。出典:トーラー/ミシュナ(200年頃)/バビロニア・タルムード
ユダヤ教
(カバラー)
生きることは、割れた器を修復する働きに加わることだとされる。日常の行いが、そのままそこに結ばれていく。出典:ヴィタル『エツ・ハイム』第10門「修復の門」
キリスト教
(カトリック)
生きることは、神との交わりのうちに歩むことだとされる。隣人への愛が、その具体的な形になる。愛は行いのなかで確かめられる。出典:新約聖書/カトリック教会のカテキズム
キリスト教
(正教)
生きることは、神に似た者へと変えられていく過程だとされる。終わりのない歩みとして語られている。完成は先に置かれない。出典:アタナシオス/グレゴリオス・パラマス(神化)
キリスト教
(プロテスタント)
生きることは、置かれた場所で務めを果たすことだとされる。職業そのものが召しとして受け取られる。場所は選ばれるものではない。出典:カルヴァン『キリスト教綱要』1536年(職業召命観)
イスラム教
(スンナ派)
生きることは、神に仕えることだとされる。日々の勤めと、他者への務めが、その具体的な形になる。勤めは日々に割り当てられる。出典:クルアーン 51:56/ハディース
イスラム教
(シーア派)
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手に倣って生きることが、具体的な指針として置かれている。倣うべき手本が示されている。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
イスラム教
(スーフィズム)
生きることは、自我を薄めて神へ近づいていく道とされる。愛が、その道を語る言葉として使われる。愛は道の全体を貫いている。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
ギリシアに始まる哲学
プラトン
生きることは、魂を整え、知に向かうことだとされる。ただ生きるのではなく、よく生きることが問われている。出典:プラトン『クリトン』48b/『パイドン』
エピクロス
生きることは、要らない欲と恐れを減らして静かな心を保つことだとされる。友との時間が重んじられる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
ストア派
生きることは、自然に従い、自分の力の及ぶ範囲を引き受けることだとされる。役を果たすことになる。役は選べないこともある。出典:エピクテトス『提要』第1章/マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻23
デカルト
生きる意味を主題としない。確かな知を組み立てることと、そのための方法のほうが論じられている。問いの向きが違う。出典:デカルト『方法序説』1637年
スピノザ
生きることは、理解を深めて動かされにくくなっていく過程とされる。それがそのまま自由と呼ばれる。理解が自由の度合いになる。出典:スピノザ『エチカ』第四部・第五部
カント
生きることは、自分と他者を目的として扱うことだとされる。幸福ではなく、それに値することが問われる。出典:カント『道徳形而上学の基礎づけ』
ハイデガー
生きることは、自分の死へ向き直りながら、そのつど引き受けることだとされる。目的は与えられない。そのつど引き受けるほかない。出典:ハイデガー『存在と時間』(先駆的覚悟性)
実存主義
(サルトル・カミュ)
生きる意味はあらかじめ無いとされる。だからこそ選び、そのつど作っていくのだと論じられている。選び直しは繰り返し起こる。出典:サルトル『実存主義とは何か』
心理学
ユング
生きることは、意識と、その下にある広い層とを結び直していく過程として捉えられている。意味はその結び目に現れる。出典:ユング『自我と無意識の関係』第二部「個性化」(野田倬訳・人文書院)
フランクル
生きる意味を問うのではなく、人生から問われていると考える。答えを出すのは生きている側だとされる。出典:フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)
科学
神経科学
この問いを立てない。人が意味を求める働きは扱っても、生の意味そのものは対象には入っていない。扱うのは求める側の仕組みだけ。出典:ステーガーらの人生の意味尺度 2006年
進化生物学
この問いを立てない。生物が続いてきた過程は扱うが、目的の形では語らないと定められている。目的の語は避けられている。出典:マイア「生物学における原因と結果」1961年
宇宙論
この問いを扱う枠組みを持たない。物理の記述に、生の意味を語るための語彙は含まれていない。扱う範囲は区切られている。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
この問いに答えを持たない。粒子の振る舞いを記述する理論であり、生き方を扱うための枠組みではない。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
生きることは、魂が経験を重ねて進んでいくための機会とされた。ひとつの生は、長い道のりの一区間になる。出典:神智学協会(1875年創設)
現代スピリチュアル
生きることは、魂が自ら選んだ学びを果たすことだとされる。語り手ごとに内容は大きく異なっている。語り手ごとに出典を添える。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
報告に、愛することと学ぶことが大切だと告げられたという語りが多い。解釈は研究者のあいだで分かれる。出典:ムーディ『Life After Life』1975
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
生きることに、あらかじめの意味は無いとされる。意味は、生きている側が作るものだと説明される。作ることが生きることになる。出典:ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)
02

どこで割れているか

一つめ 目的は与えられているのか、作るのか

一神教は、生きる目的を与えられたものとします。神に仕えること、隣人を愛すること、置かれた場所で務めを果たすこと。実存主義と唯物論は、あらかじめ無いとします。だからこそ自分で作るのだ、と続きます。フランクルはその中間に立ち、人生の側から問われていると言います。

二つめ 世を離れるのか、暮らしのなかで果たすのか

シク教は世を捨てないことをはっきり掲げ、働き、分かち合い、念じることを道とします。プロテスタントは職業そのものを召しと受け取り、ユダヤ教は世を離れずこの世で果たすとします。出自の遠い三つが、同じ側に並びます。一方でジャイナ教やスーフィズムは、削っていく方向を向きます。

三つめ 目的を立てない、という立て方

禅は別の目的を立てず、老荘は作為を減らし、上座部は生そのものに目的があるとは言いません。目的を持たないことが、そのまま生き方になる。与えられた目的を果たす側とも、自分で作る側とも違う、三つ目の位置です。

03

出典の確認状況

どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
中部63(毒矢の喩え)/相応部56.11(四諦と八正道)01節経を特定
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』01節照会済
ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』01節照会済
『倶舎論』破我品に引かれた説01節照会済
世親『唯識三十頌』/護法釈『成唯識論』01節照会済
親鸞『教行信証』01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』01節照会済
クルアーン 51:5601節照会済
カバラー文献(ティクーン)01節照会済
エピクロス『メノイケウス宛書簡』01節照会済
スピノザ『エチカ』第四部・第五部01節照会済
カント『道徳形而上学の基礎づけ』01節照会済
ハイデガー『存在と時間』(先駆的覚悟性)01節照会済
サルトル『実存主義とは何か』01節照会済
神智学協会(1875年創設)01節照会済
ムーディ『Life After Life』197501節照会済
プラトン『クリトン』48b(よく生きる)01節原文を確認
『グル・グラント・サーヒブ』1245ページ(三つの務め)01節原文を確認
『論語』学而篇 第1章01節原文を確認
道元『正法眼蔵』現成公案/『典座教訓』1237年01節原文を確認
シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(700年頃)01節照会済
世親『阿毘達磨倶舎論』賢聖品/唯円編『歎異抄』第三条01節照会済
トーラー/ミシュナ(200年頃)/バビロニア・タルムード01節照会済
カトリック教会のカテキズム/アタナシオス/グレゴリオス・パラマス(神化)01節照会済
カルヴァン『キリスト教綱要』1536年(職業召命観)01節照会済
ハディース/十二イマーム派の伝承/ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』01節照会済
エピクテトス『提要』第1章/マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻2301節原文を確認
デカルト『方法序説』1637年01節照会済
ユング『自我と無意識の関係』第二部「個性化」(野田倬訳・人文書院)/フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)01節章まで特定
『古事記』/祝詞/柳田国男『先祖の話』1946年01節照会済
マイア「生物学における原因と結果」1961年/プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年/サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節掲載誌・版元を確認
ステーガーらの人生の意味尺度 2006年(『カウンセリング心理学誌』53巻1号)01節掲載誌と巻号を確認
ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)01節章まで特定
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」(刊行年と版元をつけた一覧)01節系譜のページに集約
ヴィタル『エツ・ハイム』第10門「修復の門」01節章節を特定
ウパニシャッド01節章節を特定
『バガヴァッド・ギーター』01節章節を特定
世親『唯識三十頌』(玄奘訳)01節章節を特定
『老子』01節章節を特定
『荘子』01節章節を特定
新約聖書01節章節を特定
クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)01節章節を特定
『パイドン』01節章節を特定