軸 5 / 宇宙をめぐる問い

時間とは何か

過ぎていく時間は、世界の側にそれ自体として在るのか。それとも、受け取る側が持ちこむ形なのか。流れているとする立場、すべてが等しく在るとする立場、瞬間ごとに生滅するとする立場、問いを立てない立場があります。同じ体裁で並べます。判定はしません。

01

四十二の立場が、それぞれ何と答えているか

並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
時のなかの移り変わりは、根本のものの上に重ねて見られたものとされる。根本の側は時に触れられない。出典:シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
時を独立した実体としては立てない。物質の側に起きる変化として、移り変わりのほうが説明されている。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)
ヒンドゥー教
(信愛の道)
四つの時代がめぐり、神々の一日は膨大な年数にわたると語られる。人の一生は、その尺度のなかに置かれる。出典:『マヌ法典』第1章69〜73節(四つのユガ)
ジャイナ教
時そのものを、実体の一つとして数える。ものごとが続き、変わり、動き、前後を持つはたらきの側から捉える。出典:ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』5章39節(版により番号が異なる)
仏教・上座部
すべては瞬間ごとに生じては滅びるとされる。生・住・滅の三つで一つの心の刹那をなすと説かれている。出典:『アビダンマッタ・サンガハ』第4章(心路の分析)
仏教・説一切有部
過去も未来も、現在と同じく実在するとした。この主張のゆえに、すべてが有ると説く部派と呼ばれている。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』随眠品5章25〜27節
仏教・犢子部
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
時は、識の現れが移り変わっていくこととして捉えられる。外を流れているものとしては立てられていない。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
時そのものを主題としない。臨終という一点と、そこに向けられている願いのほうが繰り返し語られている。出典:『無量寿経』第十八願/『阿弥陀経』(臨終の来迎)
仏教・禅(道元)
存在がそのまま時であると読み替えた。時という器のなかに物が在る、という捉え方のほうを取らない。出典:道元『正法眼蔵』有時巻(1240年)
仏教・チベット
世界は生じ、とどまり、壊れ、空になる周期を繰り返すとされる。始まりの一点は置かれないままである。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』世間品(四劫)
シク教
時は神の命のうちに在るとされる。人の側からその長さを測りきることはできないと繰り返し語られる。出典:『グル・グラント・サーヒブ』
中国に始まる系統
儒教
天は何も言わないが、四季はめぐり万物は生じると語られる。時を論じるより、その運行が示される。出典:『論語』陽貨篇 第19章
道教(荘子)
始まりがあり、始まりの前があり、その前があると重ねて、始まりを問うこと自体の行き止まりを示す。出典:『荘子』斉物論篇
日本
神道(古典神話)
天地の初めから神々が次々に成ったと語られる。時そのものを論じる形は、そもそも取られていない。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)
神道(祖霊の観念)
年ごとにめぐる行事として時が受け取られてきた。三十三年という区切りも、その巡りのなかに置かれる。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
世界にはじまりが置かれる。時は造られたものの側にあり、造った者と同じ列には並べられていない。出典:創世記 1章1節
ユダヤ教(カバラー)
同じ枠組みを受け取りながら、光が段階を経て現れていく過程として、時の広がりが捉え直されている。出典:『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)
キリスト教
(カトリック)
時は世界とともに造られたとされる。世界より前に時があったのではない、という形が取られている。出典:『カトリック教会のカテキズム』296〜298
キリスト教(正教)
同じく造られたものとする。加えて、神の永遠と人の時とを区別したうえで、両者の関わりが語られる。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
キリスト教
(プロテスタント)
同じく造られたものとする。人が時の全体を見渡すことはできないという前提が、はっきり置かれている。出典:カルヴァン『キリスト教綱要』1536年
イスラム教(スンナ派)
世界には定められた期限があるとされる。時は神のもとで数えられており、人の側からは測りきれない。出典:クルアーン 2章117節
イスラム教(シーア派)
同じ枠組みを共有する。加えて、時のなかで導き手が果たす役割について語られてきた点が異なっている。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
イスラム教
(スーフィズム)
いまこの瞬間に神の前に在ることが重んじられる。過ぎた時と来る時への心の散らばりが退けられる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
ギリシアに始まる哲学
プラトン
時は、永遠を写したものとして造られたとされる。変わらないものの側が、先に置かれる構えになっている。出典:プラトン『ティマイオス』28a〜29a
エピクロス
時は原子や空虚と並ぶものではないとされる。出来事に伴って捉えられるものとして説明されている。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節
ストア派
宇宙は焼き尽くされ、また同じ順序で始まるとされた。時は円を描いて繰り返すものとして語られる。出典:ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻141〜142節
デカルト
時を主題としない。世界を広がりとして数学で記述する枠組みのほうが、正面から組み立てられている。出典:デカルト『哲学原理』1644年 第二部9〜10項
スピノザ
時は物そのものの性質ではないとされる。永遠の相のもとで捉えることが、認識の高い段階に置かれる。出典:スピノザ『エチカ』第五部 定理23
カント
時間は世界の側の性質ではなく、人が受け取るときの形式であるとした。問いの向きが入れ替えられている。出典:カント『純粋理性批判』A30〜32/B46〜49(超越論的感性論)
ハイデガー
時間を、人が将来へ向かって在るあり方の側から捉え直した。将来・既在・現在の三つが結ばれるとする。出典:ハイデガー『存在と時間』第65節(気遣いの存在論的意味としての時間性)
実存主義
(サルトル・カミュ)
時は与えられた枠ではなく、選び続けることのうちに現れるとされる。一度きりであることが重く置かれる。出典:サルトル『存在と無』1943年
心理学
ユング
心には、直線に進む時とは別の秩序があるとした。意味のある偶然の一致を、そこから捉えようとしている。出典:ユングとパウリ『自然現象と心の構造』(河合隼雄・村上陽一郎訳・海鳴社1976年)
フランクル
過ぎ去った時は失われず、過去のうちに確かに保たれるとした。時は減っていくだけのものではないとされる。出典:フランクル『意味への意志』(山田邦男監訳・春秋社2002年)Ⅱ 時間と責任
科学
神経科学
人が時間を感じる仕組みは調べられている。ただし時間そのものが何かは、扱う範囲の外に置かれている。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
進化生物学
この問いを立てない。生物が世代を重ねてきた過程は扱うが、時そのものは別の分野の仕事とされる。出典:フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年
宇宙論
膨張の来歴から百三十八億年という数字が出る。ただしそれは、時そのものの始まりを意味してはいない。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年 表1
量子力学
時間を、ほかの量と同じようには扱わない。理論のなかで、測られる量ではなく背景の側に置かれている。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
大きな周期が繰り返すとされた。インドの時代論を取り入れながら、独自の年表として組み直されている。出典:H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年
現代スピリチュアル
時は幻であり、実際にはすべてが同時に在るという語り方が広く用いられる。語り手ごとに内容は異なる。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
時間の感覚が変わったという報告は記録される。ただしそれが何を示すかの判断には踏み込まないでいる。出典:AWARE研究 2008〜2014
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
時は物理の記述に現れる量であり、それ以上の何かではないとされる。特別な意味は置かれないままである。出典:ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)
02

どこで割れているか

一つめ 過去と未来は、いま在るのか

これがこの問いの本体です。説一切有部は、過去も未来も現在と同じく実在するとしました。すべてが有ると説く部派と呼ばれるのは、この主張のゆえです。一方で上座部は、すべては瞬間ごとに生じては滅びるとします。同じ仏教のなかで、正面からぶつかっています。現代の物理学と哲学でも、過去・現在・未来が等しく実在するという見方と、現在のものだけが存在するという見方が並び立っています。

二つめ 時は世界の側にあるのか、受け取る側にあるのか

ジャイナ教は時そのものを実体の一つに数えます。世界の側に置く立場です。カントは逆に、時間は人が世界を受け取るときの形式だとしました。アウグスティヌスは、時とは心の伸びのことではないかと書いています。同じ「時とは何か」でも、探す場所が外と内で分かれています。

三つめ 始まりを問えるのか

一神教は世界に始まりを置き、時は世界とともに造られたとします。世界より前に時があったのではない、という形です。インドに始まる系統の多くは、周期の繰り返しとして語ります。『荘子』は「始まりがあり、始まりの前があり、その前がある」と重ねて、問うこと自体が行き止まりになることを示しました。

03

二千年離れた立場が、同じ側に来る

三世実有と、ブロック宇宙

五世紀ごろの説一切有部は、過去も未来も現在と同じく実在すると論じました。現代の物理学と哲学には、過去・現在・未来が等しく実在するという見方があります。この二つは、同じ側に並びます。

ただし前提はまるで違います。説一切有部は、記憶や業の働きを説明するためにこの立場を取りました。現代の議論は、特殊相対性理論によって全宇宙に共通の「いま」が引けなくなったことから出ています。並ぶことと、同じことを言っていることは別です。ここを混ぜないために、それぞれの理由を書き添えています。

出典=世親『阿毘達磨倶舎論』随眠品5章25〜27節/スタンフォード哲学百科事典「Being and Becoming in Modern Physics」(2021年改訂)・「Presentism」(2026年改訂)

宇宙論は「時の始まり」を言っていません

百三十八億年という数字は、膨張が始まってからの経過時間です。時そのものに始まりがあったかどうかは、別の問いです。特異点定理は広い範囲のモデルで過去が有限であることを示しますが、そこでは時間の概念そのものが成り立たなくなるため、「最初の瞬間」は存在しないとされます。量子的な効果を入れれば、収縮から跳ね返った可能性も残ります。

出典=プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年 表1(13.797±0.023 Gyr)/スタンフォード哲学百科事典「Philosophy of Cosmology」3.2節

04

原典に降りる

では、時間とは何か。誰も私に問わなければ、私は知っている。
問う者に説明しようとすると、私は知らない。

アウグスティヌス『告白』第十一巻十四章十七節

同じ巻の後半で、時とは心の伸びのことではないかと書かれます(十一巻二十六章三十三節)。世界の側に探して見つからず、測っている心のほうへ向き直る形です。

いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。

道元『正法眼蔵』有時巻(1240年・興聖寺)

「有時(あるとき)」という日常の語を、「存在=時」と読み替えています。時という器があってそのなかに物が在るのではなく、在ることがそのまま時だという立て方です。

始まりがある。始まりのまだ無い始まりがある。その、まだ無い始まりのまだ無い始まりがある。

『荘子』斉物論篇

始まりを問えば、その前を問うことになり、際限がありません。答えを出すのではなく、問いの形そのものが行き止まりになることを示しています。宇宙論が「最初の瞬間」を言えないという現代の事情と、形だけは重なって見えます。

05

出典の確認状況

この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論01節照会済
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)01節照会済
『マヌ法典』第1章69〜73節(四つのユガ)01節照会済
ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』5章39節(版により番号が異なる)01節照会済
『アビダンマッタ・サンガハ』第4章(心路の分析)01節照会済
世親『阿毘達磨倶舎論』随眠品5章25〜27節01節照会済
『倶舎論』破我品に引かれた説01節照会済
世親『唯識三十頌』(玄奘訳)01節照会済
護法釈『成唯識論』01節照会済
『無量寿経』第十八願01節照会済
『阿弥陀経』(臨終の来迎)01節照会済
道元『正法眼蔵』有時巻(1240年)01節照会済
世親『阿毘達磨倶舎論』世間品(四劫)01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』01節照会済
『論語』陽貨篇 第19章01節照会済
『荘子』斉物論篇01節照会済
『古事記』上巻(天地初発之時)01節照会済
柳田国男『先祖の話』1946年01節照会済
創世記 1章1節01節照会済
『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)01節照会済
『カトリック教会のカテキズム』296〜29801節照会済
グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)01節照会済
カルヴァン『キリスト教綱要』1536年01節照会済
クルアーン 2章117節01節照会済
クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)01節照会済
ガザーリー『宗教諸学の再興』01節照会済
プラトン『ティマイオス』28a〜29a01節照会済
エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節01節照会済
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻141〜142節01節照会済
デカルト『哲学原理』1644年 第二部9〜10項01節照会済
スピノザ『エチカ』第五部 定理2301節照会済
カント『純粋理性批判』A30〜3201節照会済
B46〜49(超越論的感性論)01節照会済
ハイデガー『存在と時間』第65節(気遣いの存在論的意味としての時間性)01節照会済
サルトル『存在と無』1943年01節照会済
ユングとパウリ『自然現象と心の構造』(河合隼雄・村上陽一郎訳・海鳴社1976年)01節照会済
フランクル『意味への意志』(山田邦男監訳・春秋社2002年)Ⅱ 時間と責任01節照会済
カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)01節照会済
フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年01節照会済
プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年 表101節照会済
サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節照会済
H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年01節照会済
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」01節照会済
AWARE研究 2008〜201401節照会済
ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)01節照会済
アウグスティヌス『告白』第十一巻十四章十七節・二十六章三十三節02・04節原文で節を確認
SEP「Being and Becoming in Modern Physics」(2021年改訂)02・03節記述を確認
SEP「Presentism」(2026年改訂)02・03節記述を確認
SEP「Philosophy of Cosmology」3.2節03節特異点定理の扱いを確認
アリストテレス『自然学』第四巻第十一章 219b(時間の定義)参考原文を確認(名簿には無い立場)