過ぎていく時間は、世界の側にそれ自体として在るのか。それとも、受け取る側が持ちこむ形なのか。流れているとする立場、すべてが等しく在るとする立場、瞬間ごとに生滅するとする立場、問いを立てない立場があります。同じ体裁で並べます。判定はしません。
並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。
これがこの問いの本体です。説一切有部は、過去も未来も現在と同じく実在するとしました。すべてが有ると説く部派と呼ばれるのは、この主張のゆえです。一方で上座部は、すべては瞬間ごとに生じては滅びるとします。同じ仏教のなかで、正面からぶつかっています。現代の物理学と哲学でも、過去・現在・未来が等しく実在するという見方と、現在のものだけが存在するという見方が並び立っています。
ジャイナ教は時そのものを実体の一つに数えます。世界の側に置く立場です。カントは逆に、時間は人が世界を受け取るときの形式だとしました。アウグスティヌスは、時とは心の伸びのことではないかと書いています。同じ「時とは何か」でも、探す場所が外と内で分かれています。
一神教は世界に始まりを置き、時は世界とともに造られたとします。世界より前に時があったのではない、という形です。インドに始まる系統の多くは、周期の繰り返しとして語ります。『荘子』は「始まりがあり、始まりの前があり、その前がある」と重ねて、問うこと自体が行き止まりになることを示しました。
五世紀ごろの説一切有部は、過去も未来も現在と同じく実在すると論じました。現代の物理学と哲学には、過去・現在・未来が等しく実在するという見方があります。この二つは、同じ側に並びます。
ただし前提はまるで違います。説一切有部は、記憶や業の働きを説明するためにこの立場を取りました。現代の議論は、特殊相対性理論によって全宇宙に共通の「いま」が引けなくなったことから出ています。並ぶことと、同じことを言っていることは別です。ここを混ぜないために、それぞれの理由を書き添えています。
出典=世親『阿毘達磨倶舎論』随眠品5章25〜27節/スタンフォード哲学百科事典「Being and Becoming in Modern Physics」(2021年改訂)・「Presentism」(2026年改訂)
百三十八億年という数字は、膨張が始まってからの経過時間です。時そのものに始まりがあったかどうかは、別の問いです。特異点定理は広い範囲のモデルで過去が有限であることを示しますが、そこでは時間の概念そのものが成り立たなくなるため、「最初の瞬間」は存在しないとされます。量子的な効果を入れれば、収縮から跳ね返った可能性も残ります。
出典=プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年 表1(13.797±0.023 Gyr)/スタンフォード哲学百科事典「Philosophy of Cosmology」3.2節
では、時間とは何か。誰も私に問わなければ、私は知っている。
問う者に説明しようとすると、私は知らない。
同じ巻の後半で、時とは心の伸びのことではないかと書かれます(十一巻二十六章三十三節)。世界の側に探して見つからず、測っている心のほうへ向き直る形です。
いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。
道元『正法眼蔵』有時巻(1240年・興聖寺)「有時(あるとき)」という日常の語を、「存在=時」と読み替えています。時という器があってそのなかに物が在るのではなく、在ることがそのまま時だという立て方です。
始まりがある。始まりのまだ無い始まりがある。その、まだ無い始まりのまだ無い始まりがある。
『荘子』斉物論篇始まりを問えば、その前を問うことになり、際限がありません。答えを出すのではなく、問いの形そのものが行き止まりになることを示しています。宇宙論が「最初の瞬間」を言えないという現代の事情と、形だけは重なって見えます。
この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。
| 出典 | 使った箇所 | 状況 |
|---|---|---|
| シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論 | 01節 | 照会済 |
| イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀) | 01節 | 照会済 |
| 『マヌ法典』第1章69〜73節(四つのユガ) | 01節 | 照会済 |
| ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』5章39節(版により番号が異なる) | 01節 | 照会済 |
| 『アビダンマッタ・サンガハ』第4章(心路の分析) | 01節 | 照会済 |
| 世親『阿毘達磨倶舎論』随眠品5章25〜27節 | 01節 | 照会済 |
| 『倶舎論』破我品に引かれた説 | 01節 | 照会済 |
| 世親『唯識三十頌』(玄奘訳) | 01節 | 照会済 |
| 護法釈『成唯識論』 | 01節 | 照会済 |
| 『無量寿経』第十八願 | 01節 | 照会済 |
| 『阿弥陀経』(臨終の来迎) | 01節 | 照会済 |
| 道元『正法眼蔵』有時巻(1240年) | 01節 | 照会済 |
| 世親『阿毘達磨倶舎論』世間品(四劫) | 01節 | 照会済 |
| 『グル・グラント・サーヒブ』 | 01節 | 照会済 |
| 『論語』陽貨篇 第19章 | 01節 | 照会済 |
| 『荘子』斉物論篇 | 01節 | 照会済 |
| 『古事記』上巻(天地初発之時) | 01節 | 照会済 |
| 柳田国男『先祖の話』1946年 | 01節 | 照会済 |
| 創世記 1章1節 | 01節 | 照会済 |
| 『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年) | 01節 | 照会済 |
| 『カトリック教会のカテキズム』296〜298 | 01節 | 照会済 |
| グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別) | 01節 | 照会済 |
| カルヴァン『キリスト教綱要』1536年 | 01節 | 照会済 |
| クルアーン 2章117節 | 01節 | 照会済 |
| クライニー『アル・カーフィー』(10世紀) | 01節 | 照会済 |
| ガザーリー『宗教諸学の再興』 | 01節 | 照会済 |
| プラトン『ティマイオス』28a〜29a | 01節 | 照会済 |
| エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節 | 01節 | 照会済 |
| ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻141〜142節 | 01節 | 照会済 |
| デカルト『哲学原理』1644年 第二部9〜10項 | 01節 | 照会済 |
| スピノザ『エチカ』第五部 定理23 | 01節 | 照会済 |
| カント『純粋理性批判』A30〜32 | 01節 | 照会済 |
| B46〜49(超越論的感性論) | 01節 | 照会済 |
| ハイデガー『存在と時間』第65節(気遣いの存在論的意味としての時間性) | 01節 | 照会済 |
| サルトル『存在と無』1943年 | 01節 | 照会済 |
| ユングとパウリ『自然現象と心の構造』(河合隼雄・村上陽一郎訳・海鳴社1976年) | 01節 | 照会済 |
| フランクル『意味への意志』(山田邦男監訳・春秋社2002年)Ⅱ 時間と責任 | 01節 | 照会済 |
| カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年) | 01節 | 照会済 |
| フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年 | 01節 | 照会済 |
| プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年 表1 | 01節 | 照会済 |
| サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節 | 01節 | 照会済 |
| H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年 | 01節 | 照会済 |
| 系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」 | 01節 | 照会済 |
| AWARE研究 2008〜2014 | 01節 | 照会済 |
| ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房) | 01節 | 照会済 |
| アウグスティヌス『告白』第十一巻十四章十七節・二十六章三十三節 | 02・04節 | 原文で節を確認 |
| SEP「Being and Becoming in Modern Physics」(2021年改訂) | 02・03節 | 記述を確認 |
| SEP「Presentism」(2026年改訂) | 02・03節 | 記述を確認 |
| SEP「Philosophy of Cosmology」3.2節 | 03節 | 特異点定理の扱いを確認 |
| アリストテレス『自然学』第四巻第十一章 219b(時間の定義) | 参考 | 原文を確認(名簿には無い立場) |