軸 4 / 神をめぐる問い

神とは何か

一つなのか、数多いのか。人格を持つのか、原理なのか。世界の外に立つのか、世界そのものなのか。そもそも置かないのか。世界の宗教・哲学・科学・現代の言説が何と答えてきたかを並べます。判定はしません。

01

答えを並べる

同じ名前の宗教でも、この問いでは答えが割れます。割れているところまで降りて書きます。割れていないところは割りません。一つの答えは五十六字前後にそろえてあり、資料の多い立場ほど長くなることがないようにしています。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
世界の根本は一つで、それは真の自己と同じものだとされる。人格を持つ神は、その現れ方の一つとして置かれる。出典:『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』6章8節7
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
創造主を立てない体系として展開した。精神と物質という二つの原理で説明が完結し、造る者を必要としない。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)
ヒンドゥー教
(信愛の道)
神は人格を持ち、名を呼べば応える相手とされる。愛し、愛されるという関係のうちに神が置かれている。出典:『バガヴァッド・ギーター』
ジャイナ教
世界を創った神を立てない。解脱した魂は敬われるが、世界に働きかける存在としては説かれてこなかった。出典:ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』(2世紀)
仏教・上座部
創造主を立てない。神々は輪廻のうちの一つの境涯とされ、人より長く生きるが、やはり無常な存在である。出典:イティヴッタカ83(天にも死の前兆が現れる)/長部21(帝釈天が自ら死没を語る)
仏教・説一切有部
同じく創造主を立てない。世界は要素どうしの因果によって成り立つとされ、造る者をどこにも要さない。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別根品
仏教・犢子部とくしぶ
この点では部派に共通する枠組みを出ず、創造主については独自の主張を残していない。関心は輪廻の主体にある。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
世界は識の現れとされるため、外に立って世界を造った者を置く必要がない、という形の説明に落ち着く。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
阿弥陀仏は、世界を造った者ではなく、誓いを立てて仏となった存在として説かれる。救う相手として立つ。出典:『無量寿経』(法蔵菩薩の四十八願)
仏教・禅(道元)
神を問わない。仏を外に置いて拝むという形をとらず、いま坐っていることのほうに重心が置かれている。出典:道元『正法眼蔵』
仏教・チベット
仏や守り手が数多く説かれるが、いずれも心の本性の現れとして受け取ることが、同時に説かれ続けてきた。出典:『バルド・トドゥル』(川崎信定訳)
シク教
神は一つで、形を持たず、造り主であるとされる。像を作らず、その名を絶えず念じることが中心になる。出典:『グル・グラント・サーヒブ』(イク・オンカール)
中国に始まる系統
儒教
天という語は用いるが、人格を持つ神としては論じない。孔子は怪力乱神を語らなかったと伝えられている。出典:『論語』述而篇 第20章
道教(荘子)
道は万物を生じさせるが、意図を持って造る者ではない。そもそも名づけようのないものとして語られる。出典:『老子』第一章/『荘子』
日本
神道(古典神話)
神は数多くあり、自然も祖先もはたらきそのものも神とされる。唯一の造り主という形は、そもそもとらない。出典:『古事記』上巻 天の石屋戸
神道(祖霊の観念)
身近な死者も、年月を経て神になっていくとされる。神と人のあいだに、越えられない断絶を置いていない。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
神は一つで、像を作ることが禁じられている。名をみだりに呼ばず、契約を結ぶ相手として語られてきた。出典:出エジプト記 20章(十戒)
ユダヤ教
(カバラー)
神そのものは限りがなく、知りえないとされる。世界に現れる十の面を通してのみ語りうると説かれてきた。出典:アズリエル・デ・ヘローナ『十のセフィロートの解説』(13世紀)
キリスト教
(カトリック)
一つの神が三つの位格として在るとされる。そのうちの子が人となったことが、教えの中心に置かれている。出典:ニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年)
キリスト教
(正教)
同じ三位一体を立てる。神の本質は知りえず、そのはたらきを通してのみ関われるという区別が保たれる。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
キリスト教
(プロテスタント)
同じ三位一体を立てる。人と神のあいだに仲介を置かず、聖書を通して直接に関わるという形が取られる。出典:新約聖書/カルヴァン『キリスト教綱要』1536年
イスラム教
(スンナ派)
神は唯一で、並ぶものが無いとされる。分けることも像にすることも許されず、最も重い戒めとされている。出典:クルアーン 112章(純正章)
イスラム教
(シーア派)
同じ唯一の神を立てる。加えて、導き手を通して神の教えが保たれるという枠組みが置かれている点が異なる。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
イスラム教
(スーフィズム)
在るのは神だけだとする語り方が現れる。世界も自分も、神のあらわれとして受け取られていくことになる。出典:イブン・アラビーの存在一性論
ギリシアに始まる哲学
プラトン
善そのものを、すべてのものの上に置いた。世界を組み立てた者も語られるが、無から造る神とは異なる。出典:プラトン『国家』第六巻509b/『ティマイオス』28a〜29a
エピクロス
神々が在ることは否定しないが、人の世には関わらないとした。だから恐れる必要はないのだと説かれる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
ストア派
宇宙を貫く理法そのものを神と呼ぶ。外から世界を造る者ではなく、世界に行き渡るものとして語られる。出典:マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻23/エピクテトス『提要』第1章
デカルト
完全な存在という観念から、神が在ることを論証しようとした。神は、知の確かさを支える位置に置かれる。出典:デカルト『省察』第三・第五省察
スピノザ
神と自然は同じものだとした。世界の外に立つ人格を持った神を退け、意図も目的も認めない立場をとる。出典:スピノザ『エチカ』第一部
カント
神が在ることは証明も反証もできないとした。ただし道徳が成り立つためには要請せざるをえないとされる。出典:カント『純粋理性批判』超越論的弁証論/『実践理性批判』
ハイデガー
神を主題としない。存在をどう問うかのほうへ向かい、これまでの神の論じ方そのものを退けることになる。出典:ハイデガー『存在と時間』1927年
実存主義
(サルトル・カミュ)
サルトルは神を置かない。置かないからこそ人は自由であり、そのぶん重い責任を負うことになると論じた。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
心理学
ユング
神が在るかどうかは判定しない。ただし神という像が人の心に繰り返し現れることを、事実として扱った。出典:ユング『ヨブへの答え』(林道義訳・みすず書房1988年)
フランクル
宗教の側に立つかどうかは問わない。人が意味を求めるはたらきを、心の深いところにあるものとして置く。出典:フランクル『識られざる神』「無意識の宗教性」(佐野利勝・木村敏訳・みすず書房)
科学
神経科学
この問いを立てない。信仰にともなう脳の活動は観察するが、神が在るかどうかは対象には入っていない。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
進化生物学
この問いを立てない。宗教が人に広く見られることは、集団のふるまいとして記述と説明の対象にはなる。出典:フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年
宇宙論
この問いを扱う枠組みを持たない。世界の始まりは扱うが、造った者を要するかどうかは対象に入らない。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
この問いに答えを持たない。観測をめぐる議論が引き合いに出されることがあるが、神を扱うための理論ではない。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
人格を持つ唯一の神を立てず、根源の原理のほうを置いた。諸宗教は、その原理の別々の表れだとされる。出典:神智学協会(1875年創設)
現代スピリチュアル
神を、宇宙そのものや大いなる意識と言い換える語り方が多い。人格を薄めて語られる傾向が見てとれる。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
報告に、光の存在に出会ったという語りが含まれる。それを神と呼ぶかどうかは、体験者によって分かれる。出典:ムーディ『Life After Life』1975
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
神は存在しないとされる。世界は神を持ち出さずに説明できる、という位置に立って組み立てられていく。出典:ドーキンス『神は妄想である』第4章(垂水雄二訳・早川書房2007年)
02

どこで割れているか

一つめ 世界を造った者を置くか、置かないか

一神教とシク教は、造り主を置きます。インドに始まる系統の多くは、置きません。仏教もジャイナ教もサーンキヤも、世界は因果や原理で成り立つとして、造る者を必要としない形をとります。神々を認める場合も、それは造り主ではなく、輪廻のうちの住人として扱われます。

二つめ 世界の外に立つか、世界そのものか

造り主を置く側でも、位置が分かれます。一神教は世界の外に立つ神を置きます。ストア派とスピノザとスーフィズムの一部は、神と世界を切り離しません。出自はまるで違うのに、同じ側に来ます。この一致は、この問いでいちばん目を引くところです。

三つめ 語らない、という答え方

儒教は怪力乱神を語らず、禅は問わず、老荘は名づけようがないと言い、カバラーと正教は本質は知りえないと言います。沈黙の理由が四通りあります。関心が別にある、問いの立て方を退ける、言葉が届かない、知りえないと定めている——結果は同じでも、中身は交換できません。

03

原典に降りる

子は怪力乱神を語らず。 『論語』述而篇 第20章

否定したのではなく、語らなかったと記されています。存否を決めずに済ませる形が、ここで取られています。

言え、かれはアッラー、唯一なる御方。 クルアーン 112章(純正章)/趣意

四つの節からなる短い章で、マッカ初期の啓示とされます。唯一であることが、数語にまとめられています。

04

出典の確認状況

どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
『論語』述而篇 第20章(子不語怪力乱神)01・03節章まで特定
クルアーン 112章(純正章・4節・マッカ初期)01・03節章と節数を確認
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』01節照会済
ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』01節照会済
パーリ経典(三十一の境涯)01節照会済
『倶舎論』破我品に引かれた説01節照会済
世親『唯識三十頌』/護法釈『成唯識論』01節照会済
『無量寿経』(法蔵菩薩の四十八願)01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』(イク・オンカール)01節照会済
カバラー文献(セフィロト)01節照会済
エピクロス『メノイケウス宛書簡』01節照会済
スピノザ『エチカ』第一部01節照会済
神智学協会(1875年創設)01節照会済
ムーディ『Life After Life』197501節照会済
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』6章8節7(タット・トヴァム・アシ)01節照会済
世親『阿毘達磨倶舎論』分別根品(一因論の批判)01節照会済
道元『正法眼蔵』/『バルド・トドゥル』(川崎信定訳『原典訳 チベットの死者の書』筑摩書房1989年)01節邦訳を特定
『老子』第一章(道可道非常道)/『荘子』01節原文を確認
『古事記』上巻 天の石屋戸(八百万の神が天の安の河原に集う)01節原文を確認
出エジプト記 20章(十戒)01節原文を確認
ニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年 第1コンスタンティノポリス公会議)01節照会済
グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)01節照会済
イブン・アラビーの存在一性論01節照会済
プラトン『国家』第六巻509b/『ティマイオス』28a〜29a01節原文を確認
マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻23/エピクテトス『提要』第1章01節原文を確認
デカルト『省察』第三・第五省察01節原文を確認
カント『純粋理性批判』超越論的弁証論/『実践理性批判』01節照会済
ハイデガー『存在と時間』1927年/サルトル『実存主義とは何か』1946年01節照会済
ユング『ヨブへの答え』(林道義訳・みすず書房1988年)/フランクル『識られざる神』「無意識の宗教性」(佐野利勝・木村敏訳・みすず書房)01節章まで特定
柳田国男『先祖の話』1946年/カルヴァン『キリスト教綱要』1536年01節照会済
カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)01節掲載誌・版元を確認
フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年01節掲載誌・版元を確認
プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年01節掲載誌・版元を確認
サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節掲載誌・版元を確認
ドーキンス『神は妄想である』第4章(垂水雄二訳・早川書房2007年)01節章まで特定
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」(刊行年と版元をつけた一覧)01節系譜のページに集約
アズリエル・デ・ヘローナ『十のセフィロートの解説』(13世紀)01節章節を特定
『バガヴァッド・ギーター』01節章節を特定
イティヴッタカ83(天にも死の前兆が現れる)01節章節を特定
長部21(帝釈天が自ら死没を語る)01節章節を特定
世親『唯識三十頌』(玄奘訳)01節章節を特定
『バルド・トドゥル』(川崎信定訳)01節章節を特定
ニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年)01節章節を特定
新約聖書01節章節を特定
クルアーン 112章(純正章)01節章節を特定
クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)01節章節を特定