軸 1 / 生まれをめぐる問い

生まれる前の私はいたのか

生まれるより前に、私にあたるものは在ったのか。在ったとする立場、造られたところが始まりだとする立場、問いそのものを退ける立場があります。同じ体裁で並べます。判定はしません。

01

四十二の立場が、それぞれ何と答えているか

並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
私が存在しなかったときはないと語られる。始まりを持たない自己が、身体を替えていくという形が取られる。出典:『バガヴァッド・ギーター』2章12節
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
見る者は始まりを持たず、物質と結びついてきたとされる。その結びつきが解けることが目指されている。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)
ヒンドゥー教
(信愛の道)
同じ枠組みを共有する。加えて、これまでも神との関わりのうちに在ったという受けとめが置かれている。出典:『バガヴァッド・ギーター』9章26節
ジャイナ教
魂は永遠の実体の一つとされ、造られたものではない。ゆえに始まりを持たず、常に在ったことになる。出典:ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』5章3〜4節
仏教・上座部
「私は過去に存在したのか」という問い自体が退けられる。正しくない向け方の例として名指しされている。出典:中部2(一切漏経)/相応部15.3(輪廻の始まりは知られない)
仏教・説一切有部
同じく問いを立てないが、生まれ替わりの仕組みのほうは、要素の因果として細かく分析されている。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』世間品
仏教・犢子部
この問いには踏み込まない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
身を執り取る識が、胎に宿るところから生が始まると説かれる。種子を持つ識が、生を越えて連なる。出典:『解深密経』第5章(阿陀那識)/世親『唯識三十頌』第2頌
仏教・浄土教
前の生を論じない。いま願いが向けられているという一点のほうが、繰り返し前に置かれることになる。出典:『無量寿経』第十八願/親鸞『教行信証』
仏教・禅(道元)
前と後を切り離して問うことを退ける。薪と灰の喩えのように、それぞれのありようとして語られている。出典:道元『正法眼蔵』現成公案
仏教・チベット
死と次の生のあいだの状態が、詳しく説かれている。そこで見たものによって、生まれる先が定まるとされる。出典:『バルド・トドゥル』(川崎信定訳)の受生の中有
シク教
魂は幾度もの生を経てきたとされる。人として生まれたことが、得がたい機会として重く受けとめられる。出典:『グル・グラント・サーヒブ』
中国に始まる系統
儒教
まだ生を知らないのに、どうして死を知ろうかという構えが取られる。生まれる前も、主題に入らない。出典:『論語』先進篇 第12章
道教(荘子)
始まりを問えばその前があると重ね、行き止まりを示す。変化の連なりのほうが語られることになる。出典:『荘子』斉物論篇・大宗師篇
日本
神道(古典神話)
生まれる前を教義として定めない。いのちは産霊のはたらきによって生じるという語り方が置かれている。出典:『古事記』上巻 天地初発(高御産巣日神・神産巣日神)
神道(祖霊の観念)
家の祖霊が生まれ替わって戻ってくるという受けとめが、民間の伝えのなかに広く見られると記されている。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
魂の貯蔵庫にある魂が尽きるまで、メシアは来ないと語られる。生まれる前の魂を想わせる伝えである。出典:バビロニア・タルムード イェバモート篇62a
ユダヤ教(カバラー)
すべての魂は転生に入ると述べられる。義人に禍が起こる理由を、前の生から説明する形が取られる。出典:『ゾーハル』ミシュパティーム篇/『セフェル・ハ・バヒル』195
キリスト教
(カトリック)
魂は神によって直接に創られるとされる。親から生み出されるのでも、前から在ったのでもないとされる。出典:『カトリック教会のカテキズム』366/ブラガ教会会議561年 第6条
キリスト教(正教)
同じく創られたものとする。加えて、その始まりから神へ近づいていく過程として人の歩みが見られている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
キリスト教
(プロテスタント)
同じく創られたものとする。人が自分の始まりを知り尽くせるとは、そもそも考えられていないことになる。出典:カルヴァン『キリスト教綱要』1536年
イスラム教(スンナ派)
子孫が「われは汝らの主ではないか」と問われ、答えた場面が記される。読み方は一様ではないとされる。出典:クルアーン 7章172節(アラストの契約)
イスラム教(シーア派)
同じ節を受け取りながら、実際の出来事としてではなく、理性や生来の傾きとして読む注釈が多いとされる。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
イスラム教
(スーフィズム)
同じ節を、前永遠に結ばれた契約として重んじる。いまの求めは、その記憶の呼び覚ましとして語られる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
ギリシアに始まる哲学
プラトン
魂は身体より先にあったとされる。生まれる前に真実在を見ており、学びはその想い起こしだと説かれる。出典:プラトン『パイドロス』246a〜249d/『メノン』81c〜86c
エピクロス
原子が集まって生じ、散れば終わるとされる。集まる前の私というものは、そこには置かれていない。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節
ストア派
宇宙は焼き尽くされてまた始まり、同じ順序を繰り返すとされた。個の先在としては説かれていない。出典:ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻141〜142節
デカルト
論じない。精神と身体を分けたが、精神が生まれる前に在ったかどうかには踏み込んでいないことになる。出典:デカルト『省察』1641年
スピノザ
個としての先在は説かない。すべては唯一の自然の必然のうちに生じているという形で、説明が組まれる。出典:スピノザ『エチカ』第一部 定理29
カント
魂の先在も不死も、理論としては知りえないとした。仮説として持ち出すことはあっても主張はしない。出典:カント『純粋理性批判』純粋理性の誤謬推理(A341/B399以下)
ハイデガー
前を問わない。理由を与えられないまま投げ入れられているところから、問いが始められることになる。出典:ハイデガー『存在と時間』第29節(被投性)
実存主義
(サルトル・カミュ)
前は無いとされる。人はまず存在し、そのあとで自分が何であるかを作っていくという形が先に置かれる。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
心理学
ユング
先在を判定しない。ただし前の生という観念が世界中に繰り返し現れることを、心の働きとして重く見た。出典:ユング「チベットの死者の書の心理学」1935年(『東洋的瞑想の心理学』創元社)
フランクル
生まれる前を論じない。いま問われていることにどう応えるかのほうへ、問いがはっきり向け直される。出典:フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)
科学
神経科学
胎児期の音の学習は、出生後の脳の反応として確かめられている。ただし出来事の想起は確かめられていない。出典:パルタネンら『米国科学アカデミー紀要』2013年/ドゥキャスパーとファイファー『サイエンス』1980年
進化生物学
この問いを立てない。個体が生じる過程は扱うが、生じる前の個体というものは対象に入っていない。出典:フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年
宇宙論
この問いを扱う枠組みを持たない。物質とエネルギーを記述する理論に、個人を語るための語彙は無い。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
この問いに答えを持たない。粒子の振る舞いを記述する理論であり、個人の来歴を扱う枠組みではない。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
魂は幾度も生まれ替わり、そのあいだに別の層で過ごすとされた。層をめぐる過程として説明されている。出典:H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年
現代スピリチュアル
生まれる前に、時代も境遇も親も自ら選んだという語り方が広く用いられる。語り手ごとに内容は異なる。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」/ニュートン『Journey of Souls』1994年
臨死体験の研究
生まれる前については扱わない。心停止からの生還者の報告を集めることに、範囲がはっきり限られている。出典:AWARE研究 2008〜2014
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
前は無いとされる。私は身体が組み上がったところに現れるものであり、それ以前は存在しないとされる。出典:ラッセル『宗教は必要か』第4編「死後も生存するか」(大竹勝訳・荒地出版社)
02

どこで割れているか

一つめ 始まりを持つか、持たないか

インドに始まる系統の多くは、始まりを持たないと答えます。ヴェーダーンタは「私が存在しなかったときはない」と述べ、ジャイナ教は魂を永遠の実体の一つに数えます。一神教は逆に、魂は神によって創られたものとし、そこが始まりだとします。始まりの有無で、正面から分かれています。

二つめ 同じ一神教のなかにも、前を想わせる伝えがある

ユダヤ教には「魂の貯蔵庫にある魂が尽きるまでメシアは来ない」という伝えがあり、カバラーは「すべての魂は転生に入る」と述べます。イスラムには、子孫が「われは汝らの主ではないか」と問われて答えたという節があります。創られたとする枠組みのなかに、前を想わせる記述が残っています。

三つめ 問いそのものを退ける立場

上座部では、「私は過去に存在したのか」という問いが、正しくない向け方の例として名指しで挙げられています。孔子は「まだ生を知らないのに、どうして死を知ろうか」と答えます。禅は前と後を切り離して問うことを退けます。答えないのではなく、問いの立て方のほうを組み替える形です。

03

掘って分かったこと

「五五三年の公会議が魂の先在を排斥した」とは書けません

そう説明されることがありますが、研究の状況はもう少し込み入っています。「オリゲネスへの十五の破門宣告」の第一条が先在を排斥しているのは確かです。ただし、それが第二コンスタンティノポリス公会議の正式な会期の産物かどうかは争われており、同公会議は別の問題のために召集されました。

先在を名指しで排斥した明快な文書は、五六一年のブラガ教会会議の第六条です。01節ではこちらを引いています。一行で済ませると不正確になる箇所でした。

カントは「先在」という語を使っていません

『純粋理性批判』の全文を検索しても、先在にあたる語も「生まれる前」という語も出てきません。ですから「先在は知りえないと述べた」とは書けません。誤謬推理の議論から導かれる帰結として、01節では書いています。本人が言っていないことを、言ったことにしないためです。

胎内の記憶について、確かめられていること

生後まもない子が母の声を聞き分けることや、胎児期に繰り返し聞いた音への脳の反応が出生後に強まることは、実験で確かめられています。ただしそれは音への慣れであって、出来事を思い出すことが確かめられているわけではありません。日本語圏で広く語られている「胎内記憶」については、査読を経た実証研究として引ける論文を見つけられませんでした。「無い」とは書かず、確かめられた範囲だけを書いています。

04

原典に降りる

正しくない向け方とは、こうである。
「私は過去に存在したのか。存在しなかったのか。過去に何であったのか。
私は存在するのか。存在しないのか。この存在はどこから来て、どこへ向かうのか。」

中部2 一切漏経(要旨)

この問いそのものが、退けるべき向け方の例として挙げられています。答えが分からないから避けるのではなく、その問い方が苦を離れる助けにならないから、という理由です。

主が、アーダムの子孫からその末裔を取り出し、彼ら自身に証言させられたとき。
「われは汝らの主ではないか」彼らは答えた。「はい、証言します」

クルアーン 7章172節(アラストの契約)

この節の読み方は一様ではありません。現世より前の実際の出来事とする読みと、理性や生来の傾きとして象徴的に読む読みがあり、後者を採る注釈者も多くいます。スーフィーの伝統では、前永遠に結ばれた契約として重んじられてきました。どの読みが正しいかは決めません。

05

出典の確認状況

この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
『バガヴァッド・ギーター』2章12節01節照会済
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)01節照会済
『バガヴァッド・ギーター』9章26節01節照会済
ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』5章3〜4節01節照会済
中部2(一切漏経)01節照会済
相応部15.3(輪廻の始まりは知られない)01節照会済
世親『阿毘達磨倶舎論』世間品01節照会済
『倶舎論』破我品に引かれた説01節照会済
『解深密経』第5章(阿陀那識)01節照会済
世親『唯識三十頌』第2頌01節照会済
『無量寿経』第十八願01節照会済
親鸞『教行信証』01節照会済
道元『正法眼蔵』現成公案01節照会済
『バルド・トドゥル』(川崎信定訳)の受生の中有01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』01節照会済
『論語』先進篇 第12章01節照会済
『荘子』斉物論篇・大宗師篇01節照会済
『古事記』上巻 天地初発(高御産巣日神・神産巣日神)01節照会済
柳田国男『先祖の話』1946年01節照会済
バビロニア・タルムード イェバモート篇62a01節照会済
『ゾーハル』ミシュパティーム篇01節照会済
『セフェル・ハ・バヒル』19501節照会済
『カトリック教会のカテキズム』36601節照会済
ブラガ教会会議561年 第6条01節照会済
グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)01節照会済
カルヴァン『キリスト教綱要』1536年01節照会済
クルアーン 7章172節(アラストの契約)01節照会済
クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)01節照会済
ガザーリー『宗教諸学の再興』01節照会済
プラトン『パイドロス』246a〜249d01節照会済
『メノン』81c〜86c01節照会済
エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節01節照会済
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻141〜142節01節照会済
デカルト『省察』1641年01節照会済
スピノザ『エチカ』第一部 定理2901節照会済
カント『純粋理性批判』純粋理性の誤謬推理(A341/B399以下)01節照会済
ハイデガー『存在と時間』第29節(被投性)01節照会済
サルトル『実存主義とは何か』1946年01節照会済
ユング「チベットの死者の書の心理学」1935年(『東洋的瞑想の心理学』創元社)01節照会済
フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)01節照会済
パルタネンら『米国科学アカデミー紀要』2013年01節照会済
ドゥキャスパーとファイファー『サイエンス』1980年01節照会済
フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年01節照会済
プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年01節照会済
サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節照会済
H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年01節照会済
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」01節照会済
ニュートン『Journey of Souls』1994年01節照会済
AWARE研究 2008〜201401節照会済
ラッセル『宗教は必要か』第4編「死後も生存するか」(大竹勝訳・荒地出版社)01節照会済
中部2(一切漏経)02・04節原文を確認
オリゲネス『諸原理について』1巻7章4節・2巻8章3節03節原文を確認
「オリゲネスへの十五の破門宣告」第1条/ブラガ教会会議561年 第6条03節文書の位置づけを確認
カント『純粋理性批判』純粋理性の誤謬推理(A341/B399以下)03節全文検索で語の不在を確認
パルタネンら『米国科学アカデミー紀要』2013年(胎児期の聴覚学習)03節書誌を確認
ドゥキャスパーとファイファー『サイエンス』208巻 1980年03節書誌を確認
ニュートン『Journey of Souls』1994年(邦訳ヴォイス2000年)01節原著と邦訳を確認