生まれるより前に、私にあたるものは在ったのか。在ったとする立場、造られたところが始まりだとする立場、問いそのものを退ける立場があります。同じ体裁で並べます。判定はしません。
並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。
インドに始まる系統の多くは、始まりを持たないと答えます。ヴェーダーンタは「私が存在しなかったときはない」と述べ、ジャイナ教は魂を永遠の実体の一つに数えます。一神教は逆に、魂は神によって創られたものとし、そこが始まりだとします。始まりの有無で、正面から分かれています。
ユダヤ教には「魂の貯蔵庫にある魂が尽きるまでメシアは来ない」という伝えがあり、カバラーは「すべての魂は転生に入る」と述べます。イスラムには、子孫が「われは汝らの主ではないか」と問われて答えたという節があります。創られたとする枠組みのなかに、前を想わせる記述が残っています。
上座部では、「私は過去に存在したのか」という問いが、正しくない向け方の例として名指しで挙げられています。孔子は「まだ生を知らないのに、どうして死を知ろうか」と答えます。禅は前と後を切り離して問うことを退けます。答えないのではなく、問いの立て方のほうを組み替える形です。
そう説明されることがありますが、研究の状況はもう少し込み入っています。「オリゲネスへの十五の破門宣告」の第一条が先在を排斥しているのは確かです。ただし、それが第二コンスタンティノポリス公会議の正式な会期の産物かどうかは争われており、同公会議は別の問題のために召集されました。
先在を名指しで排斥した明快な文書は、五六一年のブラガ教会会議の第六条です。01節ではこちらを引いています。一行で済ませると不正確になる箇所でした。
『純粋理性批判』の全文を検索しても、先在にあたる語も「生まれる前」という語も出てきません。ですから「先在は知りえないと述べた」とは書けません。誤謬推理の議論から導かれる帰結として、01節では書いています。本人が言っていないことを、言ったことにしないためです。
生後まもない子が母の声を聞き分けることや、胎児期に繰り返し聞いた音への脳の反応が出生後に強まることは、実験で確かめられています。ただしそれは音への慣れであって、出来事を思い出すことが確かめられているわけではありません。日本語圏で広く語られている「胎内記憶」については、査読を経た実証研究として引ける論文を見つけられませんでした。「無い」とは書かず、確かめられた範囲だけを書いています。
正しくない向け方とは、こうである。
「私は過去に存在したのか。存在しなかったのか。過去に何であったのか。
私は存在するのか。存在しないのか。この存在はどこから来て、どこへ向かうのか。」
この問いそのものが、退けるべき向け方の例として挙げられています。答えが分からないから避けるのではなく、その問い方が苦を離れる助けにならないから、という理由です。
主が、アーダムの子孫からその末裔を取り出し、彼ら自身に証言させられたとき。
「われは汝らの主ではないか」彼らは答えた。「はい、証言します」
この節の読み方は一様ではありません。現世より前の実際の出来事とする読みと、理性や生来の傾きとして象徴的に読む読みがあり、後者を採る注釈者も多くいます。スーフィーの伝統では、前永遠に結ばれた契約として重んじられてきました。どの読みが正しいかは決めません。
この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。
| 出典 | 使った箇所 | 状況 |
|---|---|---|
| 『バガヴァッド・ギーター』2章12節 | 01節 | 照会済 |
| イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀) | 01節 | 照会済 |
| 『バガヴァッド・ギーター』9章26節 | 01節 | 照会済 |
| ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』5章3〜4節 | 01節 | 照会済 |
| 中部2(一切漏経) | 01節 | 照会済 |
| 相応部15.3(輪廻の始まりは知られない) | 01節 | 照会済 |
| 世親『阿毘達磨倶舎論』世間品 | 01節 | 照会済 |
| 『倶舎論』破我品に引かれた説 | 01節 | 照会済 |
| 『解深密経』第5章(阿陀那識) | 01節 | 照会済 |
| 世親『唯識三十頌』第2頌 | 01節 | 照会済 |
| 『無量寿経』第十八願 | 01節 | 照会済 |
| 親鸞『教行信証』 | 01節 | 照会済 |
| 道元『正法眼蔵』現成公案 | 01節 | 照会済 |
| 『バルド・トドゥル』(川崎信定訳)の受生の中有 | 01節 | 照会済 |
| 『グル・グラント・サーヒブ』 | 01節 | 照会済 |
| 『論語』先進篇 第12章 | 01節 | 照会済 |
| 『荘子』斉物論篇・大宗師篇 | 01節 | 照会済 |
| 『古事記』上巻 天地初発(高御産巣日神・神産巣日神) | 01節 | 照会済 |
| 柳田国男『先祖の話』1946年 | 01節 | 照会済 |
| バビロニア・タルムード イェバモート篇62a | 01節 | 照会済 |
| 『ゾーハル』ミシュパティーム篇 | 01節 | 照会済 |
| 『セフェル・ハ・バヒル』195 | 01節 | 照会済 |
| 『カトリック教会のカテキズム』366 | 01節 | 照会済 |
| ブラガ教会会議561年 第6条 | 01節 | 照会済 |
| グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別) | 01節 | 照会済 |
| カルヴァン『キリスト教綱要』1536年 | 01節 | 照会済 |
| クルアーン 7章172節(アラストの契約) | 01節 | 照会済 |
| クライニー『アル・カーフィー』(10世紀) | 01節 | 照会済 |
| ガザーリー『宗教諸学の再興』 | 01節 | 照会済 |
| プラトン『パイドロス』246a〜249d | 01節 | 照会済 |
| 『メノン』81c〜86c | 01節 | 照会済 |
| エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節 | 01節 | 照会済 |
| ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻141〜142節 | 01節 | 照会済 |
| デカルト『省察』1641年 | 01節 | 照会済 |
| スピノザ『エチカ』第一部 定理29 | 01節 | 照会済 |
| カント『純粋理性批判』純粋理性の誤謬推理(A341/B399以下) | 01節 | 照会済 |
| ハイデガー『存在と時間』第29節(被投性) | 01節 | 照会済 |
| サルトル『実存主義とは何か』1946年 | 01節 | 照会済 |
| ユング「チベットの死者の書の心理学」1935年(『東洋的瞑想の心理学』創元社) | 01節 | 照会済 |
| フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房) | 01節 | 照会済 |
| パルタネンら『米国科学アカデミー紀要』2013年 | 01節 | 照会済 |
| ドゥキャスパーとファイファー『サイエンス』1980年 | 01節 | 照会済 |
| フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年 | 01節 | 照会済 |
| プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年 | 01節 | 照会済 |
| サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節 | 01節 | 照会済 |
| H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年 | 01節 | 照会済 |
| 系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」 | 01節 | 照会済 |
| ニュートン『Journey of Souls』1994年 | 01節 | 照会済 |
| AWARE研究 2008〜2014 | 01節 | 照会済 |
| ラッセル『宗教は必要か』第4編「死後も生存するか」(大竹勝訳・荒地出版社) | 01節 | 照会済 |
| 中部2(一切漏経) | 02・04節 | 原文を確認 |
| オリゲネス『諸原理について』1巻7章4節・2巻8章3節 | 03節 | 原文を確認 |
| 「オリゲネスへの十五の破門宣告」第1条/ブラガ教会会議561年 第6条 | 03節 | 文書の位置づけを確認 |
| カント『純粋理性批判』純粋理性の誤謬推理(A341/B399以下) | 03節 | 全文検索で語の不在を確認 |
| パルタネンら『米国科学アカデミー紀要』2013年(胎児期の聴覚学習) | 03節 | 書誌を確認 |
| ドゥキャスパーとファイファー『サイエンス』208巻 1980年 | 03節 | 書誌を確認 |
| ニュートン『Journey of Souls』1994年(邦訳ヴォイス2000年) | 01節 | 原著と邦訳を確認 |