軸 2 / 死をめぐる問い

生まれ変わりはあるのか

あるとする立場は、何が繰り返すのかを説明しなければなりません。無いとする立場は、なぜ無いのかを言わなければなりません。その二つを並べます。正しい・正しくないの判定はしません。並び順は成立の古い順で、意味はありません。

01

答えを並べる

同じ名前の宗教でも、この問いでは答えが割れます。割れているところまで降りて書きます。割れていないところは割りません。一つの答えは六十字前後にそろえてあり、資料の多い立場ほど長くなることがないようにしています。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
ある。行いの結果が残り、真の自己があらためて身体を受ける。繰り返しには始まりが無く、終わらせることが目指される。出典:ウパニシャッド/『バガヴァッド・ギーター』
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
微細な身体が残り、それが次の生へ移るとされる。ただし見る者としての精神そのものは、移りも生まれもしない。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)
ヒンドゥー教
(信愛の道)
あるとされる。ただし神に至った者は戻らない。繰り返しから出る道が、神への献身という形で示されている。出典:『バガヴァッド・ギーター』
ジャイナ教
ある。行為が微細な物質として魂に付き、その重さで次の身体が決まる。すべて取り除けば繰り返しが終わる。出典:ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』(2世紀)
仏教・上座部
ある。ただし移っていく実体は無い。前の生と次の生は、同じでも別でもない連なりとして、火の喩えを用いて説明される。出典:相応部12.46(同一とも別とも説かない)/『ミリンダ王の問い』(灯から灯へ移る火の喩え)
仏教・説一切有部
ある。存在の要素が過去・現在・未来のすべてにわたって実在するとし、その連続によって生から生への持ち越しを説明した。出典:『阿毘達磨倶舎論』
仏教・犢子部とくしぶ
ある。身心と同じでも別でもない人格を立て、それが繰り返しを担うとした。他の部派から強く批判された立場である。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
ある。深層の識に行為の種子が蓄えられ、それが次の生を生む。移る実体ではなく、絶えず移り変わる流れとされる。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
繰り返しはあるが、そこから出ることが説かれる。往生した者は戻らず、還るとしても導く側として還るとされる。出典:曇鸞『往生論註』(往相・還相)/親鸞『教行信証』
仏教・禅(道元)
前と後を切り離して問うことを退ける。薪が灰になるように、生と死はそれぞれのありようだとして語られる。出典:道元『正法眼蔵』現成公案・生死巻
仏教・チベット
ある。加えて、意図して生まれ変わり教えを継ぐ者がいるとされ、その人物を探し当てる仕組みが作られてきた。出典:『バルド・トドゥル』/『ダライ・ラマ自伝』山際素男訳・文藝春秋 1992年
シク教
ある。多くの生を経てようやく人の身を得たとされる。この生のうちに神と結ばれれば、繰り返しを離れられると説かれる。出典:『グル・グラント・サーヒブ』
中国に始まる系統
儒教
生まれ変わりを説かない。子孫が続いていくことのほうに重心が置かれ、個人が繰り返すという枠組みそのものを持たない。出典:『論語』先進篇
道教(荘子)
万物は変化し続けるとされ、人の腕が鶏に変わるといった語りもある。個が同じ姿で戻る形としては語られない。出典:『荘子』大宗師篇・至楽篇
日本
神道(古典神話)
生まれ変わりを説かない。死者は黄泉へ行き、戻る道は物語のうえで大岩によって塞がれる。往き来そのものが断たれている。出典:『古事記』上巻(黄泉比良坂・千引の石)
神道(祖霊の観念)
死者は年月をかけて祖霊になっていくとされる。家のなかに生まれ直すという言い方も伝わるが、教義ではない。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
説かれない。生は一度きりのものとされ、繰り返しではなく、終わりの日に死者が起こされることのほうが置かれている。出典:ダニエル書 12:2/ミシュナ(200年頃)/バビロニア・タルムード
ユダヤ教
(カバラー)
説かれる。魂が果たすべきことを果たすまで繰り返し戻るとされ、十六世紀のツファットで中心に据えられた。出典:『セフェル・ハ・バヒル』195節/ヴィタル『シャアル・ハ・ギルグリーム』(16世紀・ツファット)
キリスト教
(カトリック)
認めない。生は一度きりのものとされ、死の後に一人ひとりの裁きがあると説かれる。やり直す機会は置かれていない。出典:ヘブライ人への手紙 9:27
キリスト教
(正教)
認めない。同じく一度きりの生を前提とし、死後は繰り返しではなく、神との関わりが深まっていく過程として語られる。出典:新約聖書/ギリシア教父(エイレナイオス以降)
キリスト教
(プロテスタント)
認めない。一度きりの生と、終わりの日の復活を置く。死後に清めを経る過程も、繰り返しも、どちらも認めない立場をとる。出典:コリントの信徒への手紙一 15章42〜44節
イスラム教
(スンナ派)
認めない。生は一度きりのものとされ、死から復活までのあいだは隔ての状態に置かれると説かれる。戻ってくる道は無い。出典:クルアーン 23章100節(バルザフ)
イスラム教
(シーア派)
同じく認めない。死後の道筋の骨組みをスンナ派と共有しており、繰り返しを説く立場はとらない。異なるのは取り次ぎの扱いである。出典:クルアーン/サドゥーク『イーティカーダート』第21章(取り次ぎ)
イスラム教
(スーフィズム)
来世の枠組みは保たれる。ただし死後の繰り返しよりも、生きているうちに自我が死んで生まれ直すことに重心が置かれる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
ギリシアに始まる哲学
プラトン
あるとされる。魂は身体より先にあり、忘れていた知を想い起こすという説明が、繰り返しと結びついている。出典:プラトン『メノン』81c〜86c/『パイドン』72e〜77a(想起説)
エピクロス
認めない。人は原子の集まりであり、散れば戻らない。繰り返す主体そのものが残らないので、問い自体が成り立たないとされる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節
ストア派
個の生まれ変わりは説かない。ただし世界そのものが焼き尽くされ、同じ順序で繰り返すという考えは古くから語られてきた。出典:ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻141〜142節
デカルト
論じない。精神と身体を分けたが、精神が別の身体へ移ることについては何も述べていない。確かに知りうる範囲の外に置かれる。出典:デカルト『省察』1641年
スピノザ
認めない。個人の記憶や人格が続くという形の存続を退ける。永遠はそれとは別の意味で語られ、繰り返しとは結びつかない。出典:スピノザ『エチカ』第五部 定理23
カント
知りうることの外にあるとして退ける。魂の不死は道徳が成り立つための要請として置くが、繰り返しの形では置いていない。出典:カント『実践理性批判』純粋実践理性の弁証論
ハイデガー
論じない。問いを、自分の死へ向き直ることのほうへ移し替えている。その先に何があるかは、主題として扱われていない。出典:ハイデガー『存在と時間』第二篇第一章(第46〜53節)
実存主義
(サルトル・カミュ)
認めない。やり直しは与えられない。一度きりであることが、いまの選択の重さを支える根拠として積極的に置かれている。出典:サルトル『存在と無』1943年/カミュ『シーシュポスの神話』1942年
心理学
ユング
判定を避けた。ただし生まれ変わりの観念が世界中に繰り返し現れること自体を、心の働きとして重く受けとめている。出典:ユング「チベットの死者の書の心理学」1935年(『東洋的瞑想の心理学』創元社)
フランクル
論じない。やり直しが利かないことを前提に置き、いまの一回をどう生きるかへ問いを向けた。繰り返しは支えにならないとする。出典:フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)
科学
神経科学
この問いを立てない。記憶と人格は脳の働きに強く結びついて観察され、身体を離れた持ち越しは扱われない。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
進化生物学
この問いを立てない。世代を越えて伝わるのは遺伝情報であって、個人の記憶や人格ではないという形で記述される。出典:フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年
宇宙論
この問いを扱う枠組みを持たない。物質とエネルギーの振る舞いを記述する理論で、個人の存続を語る語彙が無い。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
この問いに答えを持たない。同じ種類の粒子に個体の区別が無いことを引き合いに出す議論があるが、人の同一性とは別の話である。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
説かれる。魂は繰り返し生まれ、経験を重ねて進むとされた。十九世紀後半に、西洋へ広く紹介された枠組みである。出典:神智学協会(1875年創設)/H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年
現代スピリチュアル
説かれる。魂が学びのために、生まれる時代や境遇や親を選ぶという語り方が多い。語り手ごとに内容が異なる。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
生還者の報告には、生涯を一度に見返したという語りが含まれる。前の生の記憶については、別の研究領域が扱う。出典:ムーディ『Life After Life』1975/AWARE研究
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
認めない。死とともに人は終わり、繰り返す主体が残らないとされる。前の生の記憶は別の説明が求められる。出典:ラッセル『宗教は必要か』第4編「死後も生存するか」(大竹勝訳・荒地出版社)
02

どこで割れているか

一つめ 繰り返すか、一度きりか

インドに始まる系統はすべて繰り返しを前提とし、一神教はすべて一度きりを前提とします。地理と歴史に沿って、きれいに分かれる数少ない問いです。ただし線は完全ではありません。ユダヤ教のカバラーは繰り返しを説き、プラトンも繰り返しの側に立ちます。

二つめ あるとした側が抱える宿題

繰り返すと答えた立場は、何が繰り返すのかを説明しなければなりません。ヴェーダーンタは変わらない自己を置き、ジャイナ教は業の物質を置き、仏教は変わらない自己を認めないまま説明しようとして、部派ごとに違う答えを出しました。同じ「ある」でも、中身が正反対になります。

三つめ 無いとした側が挙げる理由も、一つではない

エピクロスと唯物論は主体が残らないから、一神教は裁きが一度きりだから、実存主義はやり直しが無いことが選択の重さを支えるからと述べます。結論が同じでも、置いている理由は互いに交換できません。

03

出典の確認状況

どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
『ミリンダ王の問い』(灯から灯へ移る火の喩え)01節照会済
『倶舎論』破我品/犢子部の人格説01節照会済
世親『唯識三十頌』/護法釈『成唯識論』01節照会済
曇鸞『往生論註』(往相・還相)/親鸞『教行信証』01節照会済
ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』(2世紀)01節照会済
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』01節照会済
『論語』先進篇01節照会済
『古事記』上巻(黄泉比良坂・千引の石)01節照会済
ダニエル書 12:201節照会済
カバラー文献(ギルグル・16世紀ツファット)01節照会済
ヘブライ人への手紙 9:2701節照会済
コリントの信徒への手紙一 15章42〜44節01節節まで特定
クルアーン 23章100節(バルザフ)01節照会済
エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節01節節まで特定
スピノザ『エチカ』第五部 定理2301節定理まで特定
カント『実践理性批判』純粋実践理性の弁証論01節照会済
ハイデガー『存在と時間』第二篇第一章(第46〜53節)01節節まで特定
神智学協会(1875年創設)/ブラヴァツキーの著作01節照会済
ムーディ『Life After Life』1975/AWARE研究01節照会済
『バルド・トドゥル』01節照会済
『阿毘達磨倶舎論』01節照会済
プラトン『メノン』81c〜86c/『パイドン』72e〜77a(想起説)01節原文を確認
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻141〜142節(世界の焼尽と再生)01節原文を確認
『荘子』大宗師篇・至楽篇01節原文を確認
道元『正法眼蔵』現成公案・生死巻01節原文を確認
『ダライ・ラマ自伝』山際素男訳・文藝春秋 1992年01節照会済
ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』01節照会済
サルトル『存在と無』1943年/カミュ『シーシュポスの神話』1942年01節照会済
ユング「チベットの死者の書の心理学」1935年(『東洋的瞑想の心理学』創元社)/フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)01節章まで特定
デカルト『省察』1641年01節照会済
柳田国男『先祖の話』1946年01節照会済
カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)01節掲載誌・版元を確認
フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年01節掲載誌・版元を確認
プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年01節掲載誌・版元を確認
サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節掲載誌・版元を確認
ラッセル『宗教は必要か』第4編「死後も生存するか」(大竹勝訳・荒地出版社)01節章まで特定
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」(刊行年と版元をつけた一覧)01節系譜のページに集約
相応部12.46(同一とも別とも説かない)01節章節を特定
『セフェル・ハ・バヒル』195節01節章節を特定
ヴィタル『シャアル・ハ・ギルグリーム』(16世紀・ツファット)01節章節を特定
ウパニシャッド01節章節を特定
『バガヴァッド・ギーター』01節章節を特定
『倶舎論』破我品に引かれた説01節章節を特定
世親『唯識三十頌』(玄奘訳)01節章節を特定
ミシュナ(200年頃)01節章節を特定
バビロニア・タルムード01節章節を特定
新約聖書01節章節を特定
ギリシア教父(エイレナイオス以降)01節章節を特定
サドゥーク『イーティカーダート』第21章(取り次ぎ)01節章節を特定
H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年01節章節を特定