軸 8 / 幸せをめぐる問い

欲は満たすべきか、減らすべきか

欲しいと思う気持ちを、満たしていくべきなのか。それとも減らしていくべきなのか。減らす側に立つ立場、否定しない立場、種類を分けて扱う立場、問いを立てない立場があります。同じ体裁で並べます。判定はしません。

01

四十二の立場が、それぞれ何と答えているか

並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
欲そのものを悪とはしない。ただし外へ向かう向きが続くかぎり、覆いは取れないままだと説かれている。出典:シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
欲は物質の側のはたらきに属するとされる。見る者そのものは、そこに巻き込まれていないと説明される。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)
ヒンドゥー教
(信愛の道)
快もまた、人の目的の一つに数えられると説かれる。務めと利益と快の三つが、並べて置かれている。出典:『マヌ法典』2章224節(三つ組)
ジャイナ教
山ほどの金銀があっても、貪る者を満たしはしないとされる。所有しないことが、五つの誓いの一つに入る。出典:『ウッタラーディヤヤナ・スートラ』9章48〜49節/『タットヴァールタ・スートラ』7章1節
仏教・上座部
渇きこそが苦の因とされる。快への渇き、在ることへの渇き、無くなることへの渇きの三つに分けられる。出典:相応部56.11(転法輪経・三種の渇愛)
仏教・説一切有部
同じ枠組みを取りながら、心の状態を要素として細かく分類した。欲もその分類のなかに置かれている。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品
仏教・犢子部
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
欲は、深い層に残された種子から現れるとされる。表に出た欲だけを抑えても足りないと説明されている。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
欲を断ちきれない者として自分を見る。断てないままで委ねる道が、そこから開かれていくことになる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条
仏教・禅(道元)
減らすか満たすかを問わない。いま坐り、いま食べるという所作そのものへ、問いの向きが戻されている。出典:道元『正法眼蔵』現成公案/『典座教訓』1237年
仏教・チベット
欲を敵として退けるだけでなく、道の力へ転じる方法も説かれてきた。段階を追った実践が組まれている。出典:シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(700年頃)
シク教
笑い、遊び、装い、食べながら、その只中で解脱すると語られる。五つの悪は退けるが、世は捨てない。出典:『グル・グラント・サーヒブ』522ページ/600ページ(五つの悪)
中国に始まる系統
儒教
礼は、欲を滅ぼすためではなく養うために作られたと説かれる。分を定めることで、争いを避けるとされる。出典:『荀子』礼論篇/『論語』顔淵篇 第1章(克己復礼)
道教(荘子)
足るを知る者は富むとされる。禍いは足るを知らないことより大きなものはない、とも語られている。出典:『老子』第三十三章・第四十六章
日本
神道(古典神話)
欲を罪として数え上げない。祓い清めることが繰り返され、汚れを落とす営みのほうが前に置かれる。出典:『延喜式』巻第八 祝詞(大祓詞)
神道(祖霊の観念)
この問いを立てない。実りを願い、収穫を祝うという営みのほうが、年ごとの行事として続いてきた。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
許されたのに味わわなかったものについて、申し開きをすることになると語られる。享受は退けられない。出典:エルサレム・タルムード キドゥシン篇4章12節
ユダヤ教(カバラー)
同じ枠組みを受け取りながら、食べることや営みを、上の世界へ働きかける行いとして捉え直している。出典:『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)
キリスト教
(カトリック)
節制が四つの枢要徳の一つに数えられる。快を否定するのではなく、程よさに保つことが説かれている。出典:『カトリック教会のカテキズム』1809・1866(七つの罪源)
キリスト教(正教)
同じく節制を重んじる。加えて、断食や祈りを神へ近づいていく過程として受け取る見方が保たれている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
キリスト教
(プロテスタント)
禁欲そのものを功績とはしない。与えられた場所で務めを果たすことのほうが、召しとして説かれている。出典:カルヴァン『キリスト教綱要』1536年
イスラム教(スンナ派)
断食は定められるが、極端な禁欲は戒められる。断食もし食べもする、と預言者が述べたと伝えられる。出典:クルアーン 2章183節/サヒーフ・ブハーリー 5063
イスラム教(シーア派)
同じ枠組みを共有する。加えて、悼むことや耐えることに、より積極的な意味が置かれてきた点が異なる。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
イスラム教
(スーフィズム)
欲そのものより、心が何に向いているかが問われる。内側を澄ませていくことのほうへ重心が移される。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
ギリシアに始まる哲学
プラトン
魂の各部分が正しい秩序にあることが説かれる。欲の部分は、理を司る部分に導かれる側に置かれる。出典:プラトン『国家』第四巻441c〜444e
エピクロス
欲を三つに分けた。自然で必要なもの、自然だが必要でないもの、自然でも必要でもないものである。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』127〜128節/『主要教説』29
ストア派
欲望は四つの情念の一つとして分類される。権内にないものを欲すれば必ず失望する、と説かれている。出典:ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻110〜113節/エピクテトス『提要』第2章
デカルト
欲を主題としない。意志を正しく用いることに満足があると述べるにとどめ、規範は組み立てていない。出典:デカルト『情念論』1649年 第148項
スピノザ
欲は、人が自らを保とうとする力そのものだとされる。減らすべきものとしては、そもそも置かれていない。出典:スピノザ『エチカ』第三部 定理9 備考
カント
欲を満たすことからは、道徳の基準は出てこないとした。基準の形式のほうが、正面から問われている。出典:カント『道徳形而上学の基礎づけ』第二章(Ak. 4:421)
ハイデガー
欲を主題としない。世間の尺度に沿って何かを求め続けることのほうが、むしろ正面から問い直される。出典:ハイデガー『存在と時間』1927年
実存主義
(サルトル・カミュ)
あらかじめの基準を置かない。何をどこまで求めるかということも、選ぶ側に委ねられていることになる。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
心理学
ユング
欲を抑え込むだけでは足りないとした。遠ざけた部分をどう引き受けるかのほうを、課題として置いている。出典:ユング『自我と無意識の関係』第二部「個性化」(野田倬訳・人文書院)
フランクル
満たすことを目的に置かない。意味を果たした結果として、あとからついてくるとされているからである。出典:フランクル『それでも人生にイエスと言う』Ⅰ(山田邦男・松田美佳訳・春秋社1993年)
科学
神経科学
求めることと、好むことは別の仕組みだとされる。強く求めていても、快が伴うとは限らないと説明される。出典:ベリッジとロビンソン『Brain Research Reviews』28巻 1998年
進化生物学
欲は、生き延びて子孫を残すことに役立った仕組みとして説明される。満足は目的ではないとされる。出典:ネス『王立協会哲学紀要B』359巻 2004年
宇宙論
この問いを扱う枠組みを持たない。物質とエネルギーを記述する理論に、欲を語るための語彙は無い。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
この問いに答えを持たない。粒子の振る舞いを記述する理論であり、欲を扱う枠組みは含まれていない。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
欲は低い層に属するはたらきとされた。層を上がっていく過程で、しだいに離れていくと説かれている。出典:H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年
現代スピリチュアル
望むこと自体は肯定される語り方が多い。願うことで現実が動くという枠組みのなかに置かれている。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
報告のなかで価値観が変わったと語られることは記録する。ただしその評価には踏み込まないでいる。出典:AWARE研究 2008〜2014
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
欲は身体の仕組みから生じるとされる。外から与えられた基準で測るものではない、という位置に立つ。出典:ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)
02

どこで割れているか

一つめ 減らすべきだとする側と、否定しない側

減らす側に、上座部・ジャイナ教・ストア派・老荘が並びます。上座部は渇きこそが苦の因だとし、ジャイナ教は山ほどの金銀があっても貪る者を満たしはしないと述べます。一方で、否定しない側も少なくありません。ユダヤ教は許されたものを味わわなかったことにも申し開きが要るとし、シク教は世を捨てません。イスラムは断食を定めながら、極端な禁欲は戒めます。

二つめ 欲を、種類に分けて扱う立場がある

エピクロスは三つに分けました。自然で必要なもの、自然だが必要でないもの、自然でも必要でもないものです。減らすか満たすかを一律に決めず、種類ごとに扱いを変える形です。荀子は、礼は欲を滅ぼすためではなく養うために作られたと述べます。全部を減らすのでも、全部を満たすのでもない立て方が、離れた場所で現れています。

三つめ 満たすことを目的に置かない立場

フランクルは、満たすことを目的にすると遠のくとしました。禅は減らすか満たすかを問わず、いま食べるという所作そのものへ問いを戻します。カントは、欲を満たすことからは道徳の基準は出てこないとしました。欲を敵にも味方にもせず、別の軸へ移す答え方です。

03

いま加わっている材料

求めることと、好むことは、別の仕組みだとされています

神経科学は、強く求めることと、実際に快を感じることが別々の仕組みによると説明します。強く求めていても快が伴うとは限らず、逆もあります。この区別は、古い伝統が「求めても満たされない」と述べてきたことと形が重なって見えます。ただし、同じことを言っているわけではありません。前者は仕組みの説明で、後者は生き方の指針です。

出典=ベリッジとロビンソン『Brain Research Reviews』28巻 1998年/ネス『王立協会哲学紀要B』359巻 2004年

04

原典に降りる

人は、目で見ながら食べなかったものすべてについて、
申し開きをすることになる。

エルサレム・タルムード キドゥシン篇4章12節

禁じられたものを食べたことではなく、許されていたのに味わわなかったことが問われる、という形です。続けて、あるラビはこれを重んじて、年に一度は各種の食物を味わうために銭を蓄えたと記されます。

笑い、遊び、装い、食べながら、その只中で解脱する。

『グル・グラント・サーヒブ』522ページ

同じ書物が、色欲・怒り・貪欲・執着・高慢を「五人の盗人」として退けています。退けることと、世を捨てることは別だという立て方です。

礼はどこから起こったか。人は生まれながらに欲がある。欲して得られなければ、求めずにいられない。
求めて限りがなければ争う。争えば乱れる。先王はその乱れを憎んだ。
ゆえに礼義を制めて分を定め、人の欲を養い、人の求めに給したのである。

『荀子』礼論篇

礼は欲を抑えつけるためのものだと読まれがちですが、原文は「養い、給する」と書いています。欲があること自体を前提に置いたうえで、争いにならない形を作る、という理路です。

05

出典の確認状況

この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論01節照会済
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)01節照会済
『マヌ法典』2章224節(三つ組)01節照会済
『ウッタラーディヤヤナ・スートラ』9章48〜49節01節照会済
『タットヴァールタ・スートラ』7章1節01節照会済
相応部56.11(転法輪経・三種の渇愛)01節照会済
世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品01節照会済
『倶舎論』破我品に引かれた説01節照会済
世親『唯識三十頌』(玄奘訳)01節照会済
護法釈『成唯識論』01節照会済
親鸞『教行信証』01節照会済
唯円編『歎異抄』第三条01節照会済
道元『正法眼蔵』現成公案01節照会済
『典座教訓』1237年01節照会済
シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(700年頃)01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』522ページ01節照会済
600ページ(五つの悪)01節照会済
『荀子』礼論篇01節照会済
『論語』顔淵篇 第1章(克己復礼)01節照会済
『老子』第三十三章・第四十六章01節照会済
『延喜式』巻第八 祝詞(大祓詞)01節照会済
柳田国男『先祖の話』1946年01節照会済
エルサレム・タルムード キドゥシン篇4章12節01節照会済
『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)01節照会済
『カトリック教会のカテキズム』1809・1866(七つの罪源)01節照会済
グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)01節照会済
カルヴァン『キリスト教綱要』1536年01節照会済
クルアーン 2章183節01節照会済
サヒーフ・ブハーリー 506301節照会済
クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)01節照会済
ガザーリー『宗教諸学の再興』01節照会済
プラトン『国家』第四巻441c〜444e01節照会済
エピクロス『メノイケウス宛書簡』127〜128節01節照会済
『主要教説』2901節照会済
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻110〜113節01節照会済
エピクテトス『提要』第2章01節照会済
デカルト『情念論』1649年 第148項01節照会済
スピノザ『エチカ』第三部 定理9 備考01節照会済
カント『道徳形而上学の基礎づけ』第二章(Ak. 4:421)01節照会済
ハイデガー『存在と時間』1927年01節照会済
サルトル『実存主義とは何か』1946年01節照会済
ユング『自我と無意識の関係』第二部「個性化」(野田倬訳・人文書院)01節照会済
フランクル『それでも人生にイエスと言う』Ⅰ(山田邦男・松田美佳訳・春秋社1993年)01節照会済
ベリッジとロビンソン『Brain Research Reviews』28巻 1998年01節照会済
ネス『王立協会哲学紀要B』359巻 2004年01節照会済
プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年01節照会済
サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節照会済
H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年01節照会済
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」01節照会済
AWARE研究 2008〜201401節照会済
ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)01節照会済