軸 6 / 苦しみをめぐる問い

運命は決まっているのか

これから起こることは、あらかじめ定まっているのか。それとも、選ぶ余地があるのか。定まっているとする立場、自由があるとする立場、両方を同時に立てる立場、問いの形そのものを組み替える立場があります。同じ体裁で並べます。判定はしません。

01

四十二の立場が、それぞれ何と答えているか

並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
行いの結果は積み重なるが、知ることによって縛りが解けるとされる。決まりきったものとしては置かれない。出典:シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
物質の側の三つの性質が、どう組み合わさるかによって現れが定まる。見る者そのものは動かされない。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』第19偈
ヒンドゥー教
(信愛の道)
主はすべての心に宿り、機械に乗せたように動かすと語られる。そのうえで、委ねることが説かれている。出典:『バガヴァッド・ギーター』18章61節
ジャイナ教
カルマは物質の微粒子として捉えられ、魂に付着するとされる。情念がある限り取り込まれ続けると説かれる。出典:ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』8章2節
仏教・上座部
すべては過去の業ゆえだという説を、名指しで退けている。それでは、なすべきことへの努力が失われるからである。出典:増支部3.61(ティッターヤタナ経)
仏教・説一切有部
同じ枠組みを取りながら、業がどう働いて結果を生むのかを、要素の因果として細かく分析している。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』業品
仏教・犢子部
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
行いの結果が深い層に種子として残り、次の現れを生むとされる。ただし固定した運命としては説かれない。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
自力のはからいでは定まらないとされる。委ねたところで、すでに向けられている願いのはたらきが説かれる。出典:『無量寿経』第十八願/親鸞『教行信証』
仏教・禅(道元)
決まっているかを問わない。いま坐っていることのほうへ、問いの向きがそのまま戻されることになる。出典:道元『弁道話』1231年
仏教・チベット
行いの結果は続くが、道を歩むことで変えられるとされる。段階を追った実践が細かく組まれている。出典:シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(700年頃)
シク教
神の命によって世界は在るとされる。そのうえで、正直に働き分かち合うことが、人の側の務めとされる。出典:『グル・グラント・サーヒブ』1245ページ(三つの務め)
中国に始まる系統
儒教
命を知らなければ君子たりえないとされる。定めを受け取ったうえで、なすべきことを果たすことが説かれる。出典:『論語』為政篇 第4章/堯曰篇 第3章
道教(荘子)
変化そのものに身を任せることが説かれる。逆らって動かそうとする構えのほうが、退けられる側に置かれる。出典:『荘子』大宗師篇
日本
神道(古典神話)
定めを教義として立てない。神々のはたらきによって成るという語り方のなかに、置かれたままである。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)
神道(祖霊の観念)
この問いを立てない。祓い、祈り、迎えるという営みのほうが、年ごとの行事の形で繰り返されてきた。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
すべては見通されているが、選ぶ自由は与えられている、と語られる。両方を同時に立てる形をとっている。出典:ミシュナ『アヴォート篇』3章15節
ユダヤ教(カバラー)
同じ枠組みを受け取りながら、人の行いが上の世界に働きかけるという構えのなかに置き直されている。出典:『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)
キリスト教
(カトリック)
自由は与えられたものとされる。恩寵は自由と競い合わず、むしろ自由を育てるものとして説明されている。出典:『カトリック教会のカテキズム』1731〜1742
キリスト教(正教)
同じく自由を認める。加えて、神へ近づいていく過程として人の歩みを受け取る見方が保たれている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
キリスト教
(プロテスタント)
永遠の決議によって、あらかじめ定められているとされる。人の側の功績によるのではないと説かれる。出典:カルヴァン『キリスト教綱要』第三篇第二十一章 第5節
イスラム教(スンナ派)
善も悪も含めた定めを信じることが、信仰箇条の一つに数えられる。起こる前から記されているとされる。出典:サヒーフ・ムスリム 8a(ジブリールのハディース)/クルアーン 57章22節
イスラム教(シーア派)
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手を通して定めがどう受け取られるかが語られてきた点が異なる。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
イスラム教
(スーフィズム)
定めを受け入れることが説かれる。抗うのではなく、そこに置かれた意味を読み取る側へ向きが変えられる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
ギリシアに始まる哲学
プラトン
魂が生まれる前に自ら選ぶという物語が語られる。ただし論証としてではなく、物語として置かれている。出典:プラトン『国家』第十巻614a〜621d(エルの物語)
エピクロス
すべてが決まっているのではないとされる。原子がわずかに逸れるという説明が、その根拠に置かれた。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
ストア派
押された円筒は転がるが、転がる性質は押した者が与えたのではない。同意はわれわれの側にあるとされる。出典:キケロ『運命について』42〜43節(クリュシッポスの円筒)
デカルト
この問いを主題としない。確かに知りうることの範囲を見定めることのほうに、関心がはっきり置かれている。出典:デカルト『省察』1641年
スピノザ
自然のうちに偶然なものは何一つないとされる。自由と思えるのは、原因を知らないからだと説明される。出典:スピノザ『エチカ』第一部 定理29
カント
自然の因果と自由は、どちらも成り立つと論じた。二つが衝突して見えるのは、次元が違うからだとされる。出典:カント『純粋理性批判』第三アンチノミー(A444/B472)
ハイデガー
決まっているかを問わない。投げ入れられているところから、そこでどう在るかへ問いが向けられている。出典:ハイデガー『存在と時間』第29節(被投性)
実存主義
(サルトル・カミュ)
定めは無いとされる。だからこそ選ぶほかなく、選ばないという選び方さえ選んだことになると論じられる。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
心理学
ユング
決まっているかは判定しない。ただし人が定めという像を持つこと自体を、心の働きとして重く見ている。出典:ユング『元型論』Ⅰ「集合的無意識の概念」(林道義訳・紀伊國屋書店)
フランクル
どんな条件に置かれてもなお、それにどう応えるかは残るとした。最後の自由がそこにあると述べている。出典:フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)
科学
神経科学
動こうと意識する前に脳の活動が始まるという報告がある。ただしその読み取り方には異論も出ている。出典:リベットら『Brain』106巻 1983年 623〜642頁/シュルガーら『PNAS』109巻 2012年
進化生物学
行動には遺伝と環境の両方が関わると説明される。決まっているともいないとも述べず、過程を記述する。出典:フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年
宇宙論
この問いを扱う枠組みを持たない。物質とエネルギーの振る舞いを記述する理論であり、人の選択は扱わない。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
理論が決まったものかどうかは解釈によって変わる。方程式そのものは、決まった形で書かれている。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
行いの結果は層をまたいで返るとされた。定めは固定したものではなく、変えられる余地があるとされる。出典:H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年
現代スピリチュアル
魂が生まれる前に決めてきたという語り方と、思いによって変わるという語り方が、並んで用いられている。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
報告のなかに人生の振り返りが語られることは記録する。ただしそれが定めを示すかには踏み込まない。出典:AWARE研究 2008〜2014
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
定める者はいないとされる。ただし世界に法則がある以上、選択がどこまで自由かは議論が続いている。出典:ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)
02

どこで割れているか

一つめ 定めるものが、外にあるのか自分の過去にあるのか

一神教は、定めを外から置きます。イスラムでは善悪ともに含めた定めを信じることが信仰箇条に数えられ、カルヴァンは永遠の決議によってあらかじめ定まっているとしました。インドに始まる系統は自分の過去の行いに置きます。同じ「決まっている」でも、決めた者の位置がまるで違います。

二つめ 「決まっている」と「努力が要らない」は別だとされる

ここが、この問いでいちばん誤解されやすいところです。上座部は「すべては過去の業ゆえだ」という説を、名指しで退けています。そう考えると、なすべきことへの努力そのものが失われるからです。ユダヤ教は「すべては見通されているが、選ぶ自由は与えられている」と、両方を同時に立てます。カトリックは、恩寵は自由と競い合わないとします。定めを認める側の多くが、努力の余地を同時に立てています。

三つめ 問いの形そのものを組み替える立場

カントは、自然の因果と自由はどちらも成り立つとし、衝突して見えるのは次元が違うからだとしました。ハイデガーは、投げ入れられているところから始めよと言い、決まっているかを問いません。禅は問いをいまへ戻します。二つのうちどちらか、という形を取らない答え方です。

03

量子力学は、この問いの答えにならない

「量子力学は決まっていないことを示したから、自由意志がある」という言い方があります。これは物理学の主張ではありません。二つの段に分けて書きます。退けるためではなく、どこまでが物理学の話かを示すためです。

一段目 決まっていないかどうかが、すでに解釈による

波動関数の時間発展を書く方程式そのものは、決まった形をしています。非決定的に見えるかどうかは、どの解釈を取るかで変わります。多世界解釈やボーム力学は決定論を保ちます。出典:スタンフォード哲学百科事典「Causal Determinism」(2023年改訂)

二段目 仮に決まっていなくても、それは自由を意味しない

先立つ原因をすべて与えてもなお定まらない選択は、偶然に左右されたということでもあります。それを自由と呼べるかは、別の議論として残ります。出典:スタンフォード哲学百科事典「Free Will」3.1節(運の議論)

あわせて ベルの定理は、自由を結論していません

よく引かれるベルの定理は、測定の設定を自由に選べることを前提として使っています。自由意志を導いたのではなく、仮定の側に置いているという関係です。出典:ベル『Physics』1巻3号 1964年 195〜200頁/スタンフォード哲学百科事典「Bell's Theorem」(2024年改訂)

04

原典に降りる

円筒を押した者は、運動の始まりを与えたが、転がる性質を与えたのではない。
同じように、表象は心に刻印する。しかし同意は、われわれの力のうちにある。

キケロ『運命について』42〜43節(クリュシッポスの円筒の喩え)

運命をすべてとする立場が、それでも人の側に何を残したかを示す一節です。押されることは避けられないが、どう転がるかはその物の性質による——外からの力と、自分の側にあるものを分ける形になっています。

これら三つの説は、賢者に問い詰めれば、突き詰めるとなすことがないという所に行き着く。
すべては過去の業ゆえだという説、神が創ったゆえだという説、因も縁もないという説である。

増支部3.61 ティッターヤタナ経(要旨)

業を説く側が、「すべては過去の業ゆえだ」という説を退けている箇所です。退ける理由は、そう考えると殺生も盗みもそのせいだということになり、なすべきこととなすべきでないことの区別が失われるからだと述べられます。

05

出典の確認状況

この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論01節照会済
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』第19偈01節照会済
『バガヴァッド・ギーター』18章61節01節照会済
ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』8章2節01節照会済
増支部3.61(ティッターヤタナ経)01節照会済
世親『阿毘達磨倶舎論』業品01節照会済
『倶舎論』破我品に引かれた説01節照会済
世親『唯識三十頌』(玄奘訳)01節照会済
護法釈『成唯識論』01節照会済
『無量寿経』第十八願01節照会済
親鸞『教行信証』01節照会済
道元『弁道話』1231年01節照会済
シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(700年頃)01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』1245ページ(三つの務め)01節照会済
『論語』為政篇 第4章01節照会済
堯曰篇 第3章01節照会済
『荘子』大宗師篇01節照会済
『古事記』上巻(天地初発之時)01節照会済
柳田国男『先祖の話』1946年01節照会済
ミシュナ『アヴォート篇』3章15節01節照会済
『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)01節照会済
『カトリック教会のカテキズム』1731〜174201節照会済
グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)01節照会済
カルヴァン『キリスト教綱要』第三篇第二十一章 第5節01節照会済
サヒーフ・ムスリム 8a(ジブリールのハディース)01節照会済
クルアーン 57章22節01節照会済
クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)01節照会済
ガザーリー『宗教諸学の再興』01節照会済
プラトン『国家』第十巻614a〜621d(エルの物語)01節照会済
エピクロス『メノイケウス宛書簡』01節照会済
キケロ『運命について』42〜43節(クリュシッポスの円筒)01節照会済
デカルト『省察』1641年01節照会済
スピノザ『エチカ』第一部 定理2901節照会済
カント『純粋理性批判』第三アンチノミー(A444/B472)01節照会済
ハイデガー『存在と時間』第29節(被投性)01節照会済
サルトル『実存主義とは何か』1946年01節照会済
ユング『元型論』Ⅰ「集合的無意識の概念」(林道義訳・紀伊國屋書店)01節照会済
フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)01節照会済
リベットら『Brain』106巻 1983年 623〜642頁01節照会済
シュルガーら『PNAS』109巻 2012年01節照会済
フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年01節照会済
プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年01節照会済
サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節照会済
H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年01節照会済
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」01節照会済
AWARE研究 2008〜201401節照会済
ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)01節照会済
スタンフォード哲学百科事典「Causal Determinism」(2023年改訂)03節記述を確認
スタンフォード哲学百科事典「Free Will」3.1節03節記述を確認
ベル『Physics』1巻3号 1964年 195〜200頁/SEP「Bell's Theorem」03節巻号と前提の記述を確認
キケロ『運命について』42〜43節04節原文を確認