軸 9 / 成功をめぐる問い

名を残すことに意味はあるのか

死んだあとに、名前や成したことが残る。それに意味はあるのか。朽ちないものとして重んじる立場、退ける立場、記憶する側もいずれ死ぬと指摘する立場があります。同じ体裁で並べます。判定はしません。

01

四十二の立場が、それぞれ何と答えているか

並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
名は、重ねて見られた側に属するとされる。真の自己は名によって増えも減りもしないと説かれている。出典:シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
名声は物質の側の現れに属するとされる。見る者そのものは、そこには関わっていないと説明される。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)
ヒンドゥー教
(信愛の道)
不名誉は死に勝ると語られる箇所と、名誉も不名誉も等しく見よとする箇所が、同じ書のなかにある。出典:『バガヴァッド・ギーター』2章34節/12章18〜19節
ジャイナ教
名を求めることも、所有への執着に数えられる。持たないことが、五つの誓いの一つに置かれている。出典:ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』7章1節
仏教・上座部
愚者の得る名声は、ただ害をなすと説かれる。利得と恭敬と名声は、安らぎを妨げるものとされている。出典:『法句経』72偈/相応部17.1(利得と恭敬相応)
仏教・説一切有部
同じ枠組みを取りながら、名声を求める心も要素の一つとして分類され、細かく位置づけられている。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品
仏教・犢子部
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
名への執着も、深い層に残された種子から現れるとされる。表の言動を抑えるだけでは足りないとされる。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
名を残せない者として自分を見ている。そこから、名によらずに救われていく道が説かれることになる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条
仏教・禅(道元)
残すか残さないかを問わない。いま坐り、いま調えるという所作そのものへ、問いの向きが戻されている。出典:道元『正法眼蔵』現成公案/『典座教訓』1237年
仏教・チベット
名を求める心は、道を妨げるものとして扱われる。ただし教えを伝える働きそのものは重んじられている。出典:シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(700年頃)
シク教
名を残すことより、神の名を念じることが説かれる。人の名声は、そこでは前に置かれないことになる。出典:『グル・グラント・サーヒブ』1245ページ(三つの務め)
中国に始まる系統
儒教
徳を立て、功を立て、言を立てる。この三つは久しくとも廃れないとされ、朽ちないものと呼ばれている。出典:『春秋左氏伝』襄公二十四年(三不朽)/『論語』衛霊公篇(版により第19章・第20章)
道教(荘子)
聖人に名は無いとされている。名を求めることは身を損なうものだとして、繰り返し退けられてきた。出典:『荘子』逍遥遊篇/『老子』第四十四章
日本
神道(古典神話)
名を残すことを教義として説かない。神々の名が伝えられていること自体は、記録として重んじられる。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)
神道(祖霊の観念)
三十三年を経ると、個の名を離れて祖霊になるとされる。名が消えることは、そこでは終わりではない。出典:柳田国男『先祖の話』1946年 第51節
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
良き名の冠は、他のどの冠にも勝るとされる。義人の記憶は祝福となる、という句も伝えられてきた。出典:『ピルケイ・アボット』4章13節/箴言 10章7節
ユダヤ教(カバラー)
同じ教えを受け取りながら、名を残す行いが上の世界にも及ぶという枠組みのなかに置き直されている。出典:『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)
キリスト教
(カトリック)
施しを人に見せるなと説かれる。人に見られて得た評価は、すでに報いを受け取ったものだとされる。出典:マタイ6章1〜4節/コリントの信徒への手紙一 4章5節
キリスト教(正教)
同じ教えを受け取る。加えて、隠れて行うことが神へ近づいていく過程として受けとめられ続けてきた。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
キリスト教
(プロテスタント)
名声を功績とはしない。置かれた場所で務めを果たすことのほうが、召しに応えることとして説かれる。出典:カルヴァン『キリスト教綱要』1536年
イスラム教(スンナ派)
現世の生は、遊びと戯れと飾りと、互いへの誇示にすぎないと記される。誇示が名指しで挙げられている。出典:クルアーン 57章20節
イスラム教(シーア派)
同じ枠組みを共有する。加えて、殉じた者の名を記憶し悼むことに、大きな意味が置かれてきた点が異なる。出典:『ズィヤーラト・アーシューラー』(『カーミル・アッ・ズィヤーラート』所収)
イスラム教
(スーフィズム)
名を消していくことが道とされる。自分が在るという意識そのものが、退けられる側に置かれることになる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
ギリシアに始まる哲学
プラトン
名誉を愛する部分が、魂のなかに認められている。ただし知を愛する部分の下に置かれることになる。出典:プラトン『国家』第九巻580d〜581c
エピクロス
隠れて生きよという語が伝えられている。名声を求めることは、心の平静を乱すものとして退けられる。出典:エピクロス断片551(プルタルコスが批判する書に引かれた語)
ストア派
記憶する者もまた死に、その後継者も死ぬとされる。死後の名声は、そこで絶えることになると説く。出典:マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻19
デカルト
名を主題としない。確かに知りうることの範囲を見定めることのほうに、関心がはっきり置かれている。出典:デカルト『省察』1641年
スピノザ
名声への欲も、人が自らを保とうとする力の現れとされる。ただし理に導かれる必要があるとされる。出典:スピノザ『エチカ』第三部 定理9 備考
カント
名声を得ることからは、道徳の基準は出てこないとした。動機の形式のほうが、正面から問われている。出典:カント『道徳形而上学の基礎づけ』第二章(Ak. 4:421)
ハイデガー
他者との差を気にすることが、世人に支配された在り方だと論じた。名声は、その支配の一部になる。出典:ハイデガー『存在と時間』第27節(世人)
実存主義
(サルトル・カミュ)
名を残すことに、あらかじめの意味は無いとされる。何を価値とするかも、選ぶ側に委ねられている。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
心理学
ユング
外に得た評価と、心の全体がつながることを分けて考えた。前者だけでは足りないと繰り返し述べている。出典:ユング『自我と無意識の関係』第二部「個性化」(野田倬訳・人文書院)
フランクル
過ぎ去った出来事は失われず、過去のうちに保たれるとした。残るかどうかは、人の記憶によらない。出典:フランクル『意味への意志』(山田邦男監訳・春秋社2002年)Ⅱ 時間と責任
科学
神経科学
人から良い評価を受けたときに、金銭を得たときと同じ部位が働くことが報告されている。仕組みの側の説明である。出典:イズマら『ニューロン』58巻 2008年(社会的報酬と金銭的報酬)
進化生物学
評判が伝わることで、直接の返礼がなくても助け合いが広まりうると説明される。善いからとは述べない。出典:ノワクとジグムント『ネイチャー』437巻 2005年(間接互恵)
宇宙論
この問いを扱う枠組みを持たない。物質とエネルギーを記述する理論に、名を語るための語彙は無い。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
この問いに答えを持たない。粒子の振る舞いを記述する理論であり、人の評価を扱う枠組みではない。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
名は一つの生における仮のものとされた。層をまたいで続くのは魂のほうだという枠組みが置かれている。出典:H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年
現代スピリチュアル
他人の評価より、自分らしくあることを置く語り方が多い。語り手ごとに内容は大きく異なっている。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
報告のなかで名声への関心が薄れたと語られることは記録する。ただしその評価には踏み込まないでいる。出典:AWARE研究 2008〜2014
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
残るのは他者の記憶と影響だけだとされる。本人にとっては、そこに何も残らないという位置に立つ。出典:ラッセル『宗教は必要か』第4編「死後も生存するか」(大竹勝訳・荒地出版社)
02

どこで割れているか

一つめ 朽ちないものとして重んじるか、退けるか

儒教は徳を立て、功を立て、言を立てることを「朽ちないもの」と呼びます。ユダヤ教は「良き名の冠は、他のどの冠にも勝る」と述べます。正面から退ける側もあります。『荘子』は「聖人に名は無い」とし、エピクロスは「隠れて生きよ」と伝えられ、上座部は「愚者の得る名声はただ害をなす」と説きます。

二つめ 記憶する側も、いずれ死ぬ

マルクス・アウレリウスは、名声を望む者が見落としていることを指摘します。覚えている人もまた間もなく死に、その後を継いだ人も死に、記憶そのものが絶えていく。名声を退ける理由として、これは他と違う筋道です。価値がないからではなく、続かないからだ、という形です。

三つめ 名が消えることを、終わりとしない立場

日本の祖霊の観念では、三十三年を経ると個の名を離れて祖霊になるとされます。名が消えることが、そこでは終わりを意味しません。フランクルは、過ぎ去った出来事は過去のうちに保たれるとしました。誰かが覚えているかどうかとは別に、あったことは残るという立て方です。

03

掘って分かったこと

同じ書のなかで、扱いが割れています

『バガヴァッド・ギーター』は、二章でアルジュナに「不名誉は死に勝る」と語ります。戦士としての務めを説く文脈です。ところが十二章では、名誉と不名誉に等しくあることが理想として挙げられます。同じ書物のなかで、向きが逆です。

どちらかを選んで「ヒンドゥー教の立場」とすることはしません。01節では両方を並べて書き、どちらを採るかは読む側にゆだねます。

「隠れて生きよ」は、批判する書に残っています

エピクロスのこの語は、本人の著作が伝わっているのではありません。プルタルコスが「隠れて生きよは正しい言か」という反駁の書を書き、そのなかで引用したことによって伝わりました。引かれた側の言葉が、批判する側の書物にしか残っていない例です。出典にもその旨を明記しています。

章の番号が、版によって違います

『論語』衛霊公篇の「君子は世を没えて名の称せられざるを疾む」は、レッグ訳では第十九章、ほかの版では第二十章とされます。片方だけ書くと、別の版を持つ読者と食い違います。01節では両方を併記しています。

04

原典に降りる

最上のものは徳を立てること。その次は功を立てること。その次は言を立てること。
久しきを経ても廃れない。これを不朽という。

『春秋左氏伝』襄公二十四年(要旨)

この直前で、家系が続くことを不朽と呼ぶ考えが退けられています。血が続くことではなく、徳・功・言が残ることを不朽と呼ぶ、という区別がここで立てられました。

死後の名声を強く望む者は、次のことを考えていない。
自分を覚えている者もまた、間もなく死ぬ。その後を継ぐ者も死ぬ。
そうして記憶そのものが、愚かに賞讃しては滅んでいく人々を通じて、絶えていく。

マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻19(要旨)

名声を望むこと自体を非難しているのではありません。その望みが前提にしている「覚えていてくれる誰か」が、続かないことを指摘しています。

05

出典の確認状況

この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論01節照会済
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)01節照会済
『バガヴァッド・ギーター』2章34節01節照会済
12章18〜19節01節照会済
ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』7章1節01節照会済
『法句経』72偈01節照会済
相応部17.1(利得と恭敬相応)01節照会済
世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品01節照会済
『倶舎論』破我品に引かれた説01節照会済
世親『唯識三十頌』(玄奘訳)01節照会済
護法釈『成唯識論』01節照会済
親鸞『教行信証』01節照会済
唯円編『歎異抄』第三条01節照会済
道元『正法眼蔵』現成公案01節照会済
『典座教訓』1237年01節照会済
シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(700年頃)01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』1245ページ(三つの務め)01節照会済
『春秋左氏伝』襄公二十四年(三不朽)01節照会済
『論語』衛霊公篇(版により第19章・第20章)01節照会済
『荘子』逍遥遊篇01節照会済
『老子』第四十四章01節照会済
『古事記』上巻(天地初発之時)01節照会済
柳田国男『先祖の話』1946年 第51節01節照会済
『ピルケイ・アボット』4章13節01節照会済
箴言 10章7節01節照会済
『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)01節照会済
マタイ6章1〜4節01節照会済
コリントの信徒への手紙一 4章5節01節照会済
グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)01節照会済
カルヴァン『キリスト教綱要』1536年01節照会済
クルアーン 57章20節01節照会済
『ズィヤーラト・アーシューラー』(『カーミル・アッ・ズィヤーラート』所収)01節照会済
ガザーリー『宗教諸学の再興』01節照会済
プラトン『国家』第九巻580d〜581c01節照会済
エピクロス断片551(プルタルコスが批判する書に引かれた語)01節照会済
マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻1901節照会済
デカルト『省察』1641年01節照会済
スピノザ『エチカ』第三部 定理9 備考01節照会済
カント『道徳形而上学の基礎づけ』第二章(Ak. 4:421)01節照会済
ハイデガー『存在と時間』第27節(世人)01節照会済
サルトル『実存主義とは何か』1946年01節照会済
ユング『自我と無意識の関係』第二部「個性化」(野田倬訳・人文書院)01節照会済
フランクル『意味への意志』(山田邦男監訳・春秋社2002年)Ⅱ 時間と責任01節照会済
イズマら『ニューロン』58巻 2008年(社会的報酬と金銭的報酬)01節照会済
ノワクとジグムント『ネイチャー』437巻 2005年(間接互恵)01節照会済
プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年01節照会済
サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節照会済
H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年01節照会済
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」01節照会済
AWARE研究 2008〜201401節照会済
ラッセル『宗教は必要か』第4編「死後も生存するか」(大竹勝訳・荒地出版社)01節照会済
『春秋左氏伝』襄公二十四年(三不朽)02・04節原文を確認
マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻1902・04節原文を確認
『バガヴァッド・ギーター』12章18〜19節(名誉と不名誉に等しくあれ)03節原文を確認
プルタルコス『「隠れて生きよ」は正しい言か』(モラリア1128a〜1130e)03節引用の経路を確認
『論語』衛霊公篇(レッグ訳では第19章・他の版では第20章)03節版による番号差を確認