軸 9 / 成し遂げることをめぐる問い

成功とは何か

何をもって成し遂げたとするのか。外に得たもので測るのか、別の尺度があるのか。そもそも測らないのか。世界の宗教・哲学・科学・現代の言説が何と答えてきたかを並べます。正しい・正しくないの判定はしません。

01

答えを並べる

同じ名前の宗教でも、この問いでは答えが割れます。割れているところまで降りて書きます。割れていないところは割りません。一つの答えは長さをそろえてあり、資料の多い立場ほど長くなることがないようにしています。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
成功を、外に得たものでは測らない。取り違えが解けて本来の自己に気づくことが目指されている。外の尺度は用いられない。出典:シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論/『バガヴァッド・ギーター』2章47節
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
成し遂げるべきは、精神と物質の見分けだけだとされる。世で得たものは、その外に置かれている。世の成果はその外に残る。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)
ヒンドゥー教
(信愛の道)
成し遂げたことよりも、誰に捧げたかが問われる。結果は神に委ねるべきものとされている。捧げる相手が問われている。出典:『バガヴァッド・ギーター』
ジャイナ教
成功は、業を減らせたかどうかで測られる。世で得たものは、むしろ重荷として扱われることになる。得ることは重荷になりうる。出典:ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』(2世紀)
仏教・上座部
世の成功を目的としない。渇きが尽きることが、達成と呼べる唯一のものとして説かれている。達成の語は限定して使われる。出典:『法句経』203・204偈
仏教・説一切有部
達成の段階を細かく分類し、どこまで進んだかを示した。世の成果は、その尺度には入らない。段階が具体的に示される。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』賢聖品
仏教・犢子部とくしぶ
成功については部派に共通する枠組みを用い、そこを離れる独自の主張を残してはいない。関心は輪廻の主体の側にあった。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
成し遂げるとは、心の深いところにある種子が変わることだとされる。外の成果では測られない。測る場所が内側に移される。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
自力で成し遂げることを、そもそも目指さない。委ねることが、この道での成就とされている。成就は委ねた先に置かれる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条
仏教・禅(道元)
到達すべき先を立てない。修行と悟りを分けず、いま行っていることがそのまま完成とされる。到達点は設けられていない。出典:道元『正法眼蔵』
仏教・チベット
自分だけの達成は目的にならないとされる。他者を導けるかどうかのほうが問われることになる。導けたかどうかが問われる。出典:シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(700年頃)
シク教
働いて得ることを否定しない。ただし、分かち合うことと結ばれてはじめて意味を持つとされる。分かち合いと結ばれて意味を持つ。出典:『グル・グラント・サーヒブ』
中国に始まる系統
儒教
成功は、地位や富ではなく、人として完成に近づいたかで測られる。名は後からついてくるとされる。名は後からついてくるとされる。出典:『論語』学而篇
道教(荘子)
成し遂げようとすること自体を退ける。役に立たないものにこそ、長い寿命があると語られている。成そうとしないことが説かれる。出典:『荘子』人間世篇(櫟社の木)
日本
神道(古典神話)
成功を定義しない。事が成ることは、人の力だけではなく神の働きとして受けとめられてきた。人の力だけとはされない。出典:『古事記』/祝詞
神道(祖霊の観念)
家が続き、務めを果たし、次へ渡せたことが、成し遂げたことの形として受け継がれてきた。渡せたかどうかが問われる。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
成功は、律法に従って生きられたかで測られる。富そのものは、否定も肯定もされていない。富は中立に置かれている。出典:トーラー/ミシュナ(200年頃)/バビロニア・タルムード
ユダヤ教
(カバラー)
成し遂げるとは、割れた器の修復に加われたかどうかとされる。世の成果とは別の尺度になる。世の成果とは別の尺度になる。出典:ヴィタル『エツ・ハイム』第10門「修復の門」
キリスト教
(カトリック)
地上の成功は目的ではないとされる。神との交わりと、隣人への愛のほうが問われることになる。地上の達成は目的にならない。出典:アウグスティヌス『告白』第一巻第一章/『カトリック教会のカテキズム』1718
キリスト教
(正教)
成功を到達点として置かない。神に似た者へ変えられていく途上にあるかどうかが問われる。到達点としては置かれない。出典:アタナシオス/グレゴリオス・パラマス(神化)
キリスト教
(プロテスタント)
職業に励むことは召しに応えることとされる。ただし救いを買うものではないと戒められている。救いを買うものではない。出典:カルヴァン『キリスト教綱要』1536年
イスラム教
(スンナ派)
現世の成功は仮のものとされる。真の成功は、審判の日に報いを得ることだと説かれている。報いは審判の日に置かれる。出典:クルアーン/ハディース
イスラム教
(シーア派)
同じ枠組みを共有する。加えて、正しさのために耐えられたかどうかが、強く重んじられてきた。耐えたかどうかが重んじられる。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
イスラム教
(スーフィズム)
世で得たものは、道を妨げるものとして扱われることがある。神に近づくことだけが成就になる。得たものが妨げにもなりうる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
ギリシアに始まる哲学
プラトン
成功を、外の評判では測らない。魂が秩序を保っているかどうかのほうが、はるかに重く見られる。評判は尺度に入らない。出典:プラトン『国家』第四巻441c〜444e
エピクロス
成功は、静かな心を保てているかで測られる。名声や政治への参加は、むしろ避けられている。名声はむしろ避けられる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
ストア派
成功は、自分の力の及ぶ範囲でよく振る舞えたかで決まる。結果そのものは自分のものではない。結果は自分のものではない。出典:エピクテトス『提要』第1章/マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻23
デカルト
成功を主題としない。確かな知に達することと、その方法を示すことのほうが目指されている。主題としては置かれていない。出典:デカルト『情念論』1649年 第148項
スピノザ
成し遂げるとは、外に動かされる度合いが減ることだとされる。世の評価は尺度に入らない。世の評価は尺度にならない。出典:スピノザ『エチカ』第五部
カント
成功を、道徳の基準としない。結果ではなく、どの原則に従って行ったかのほうが問われる。従った原則のほうが問われる。出典:カント『実践理性批判』
ハイデガー
成功を主題としない。世間の尺度に沿って生きることのほうが、むしろ問い直されている。世間の尺度が問い直される。出典:ハイデガー『存在と時間』1927年
実存主義
(サルトル・カミュ)
成功にあらかじめの基準は無いとされる。何を成功と呼ぶかも、選ぶ側に委ねられている。呼び方も選ぶ側に委ねられる。出典:カミュ『シーシュポスの神話』1942年
心理学
ユング
外の成功と、心の全体がつながることを分けて考えた。前者だけでは足りないと繰り返し述べている。外の達成だけでは足りない。出典:ユング『自我と無意識の関係』第二部「個性化」(野田倬訳・人文書院)
フランクル
成功は追い求めると遠のくとした。意味に応えた結果として、あとからついてくるとされている。追うほど遠のくとされる。出典:フランクル『それでも人生にイエスと言う』Ⅰ「生きる意味と価値」(山田邦男・松田美佳訳・春秋社1993年)
科学
神経科学
達成に伴う脳の働きは扱うが、何を成功と呼ぶかという問いそのものは立てていない。何を成功と呼ぶかは扱わない。出典:シュルツらの報酬予測の研究 1997年
進化生物学
成功という語を、子孫を残せたかどうかという限られた意味でのみ用いる。価値の話ではない。価値の話ではないとされる。出典:フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年
宇宙論
この問いを扱う枠組みを持たない。物理の記述に、成功を語るための語彙は含まれていない。扱う範囲の外に置かれている。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
この問いに答えを持たない。粒子の振る舞いを記述する理論であり、成功を扱うための枠組みではない。対象がそもそも違っている。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
成功は、魂がどれだけ進んだかで測られるとした。一つの生の成果は、その一区間にすぎない。一つの生は一区間にすぎない。出典:神智学協会(1875年創設)
現代スピリチュアル
成功は、本来の自分に沿って生きられているかだとされる。語り手ごとに内容は異なっている。出典は個別に添えて扱う。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
報告に、地位や財産を問われなかったという語りが多い。解釈は研究者のあいだで分かれている。研究は記録として扱っている。出典:ムーディ『Life After Life』1975
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
成功は、人が決めた基準による評価とされる。世界の側に、その基準があるのではないとされる。世界の側に基準は無い。出典:ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)
02

どこで割れているか

一つめ 外に得たもので測るか、測らないか

この問いでは、ほとんどの立場が「外に得たものでは測らない」側に並びます。富や地位を成功の尺度として積極的に置く立場は、並べてみるとほとんど見当たりません。儒教は人としての完成で測り、ストア派は自分の振る舞いで測り、スーフィズムは得たものをむしろ妨げとします。

二つめ 働いて得ることをどう扱うか

退ける立場ばかりではありません。シク教は働いて得ることを否定せず、分かち合うことと結んで意味を与えます。プロテスタントは職業に励むことを召しに応えることとし、ユダヤ教は富そのものを否定も肯定もしません。世を離れずに測る尺度が、ここにあります。

三つめ 言葉の意味そのものが違う場合がある

進化生物学は「成功」という語を使いますが、子孫を残せたかどうかという限られた意味でのみ用います。価値の話ではありません。同じ語が、まったく別の意味で使われている例です。並べるときに、ここを混ぜないことが要ります。

03

出典の確認状況

どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』01節照会済
ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』01節照会済
『倶舎論』破我品に引かれた説01節照会済
世親『唯識三十頌』/護法釈『成唯識論』01節照会済
親鸞『教行信証』01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』01節照会済
『論語』学而篇01節照会済
カバラー文献(魂の階梯)01節照会済
エピクロス『メノイケウス宛書簡』01節照会済
スピノザ『エチカ』第五部01節照会済
カント『実践理性批判』01節照会済
神智学協会(1875年創設)01節照会済
ムーディ『Life After Life』197501節照会済
シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論/『バガヴァッド・ギーター』2章47節01節原文を確認
『法句経』203・204偈(涅槃は最上の楽)01節原文を確認
世親『阿毘達磨倶舎論』賢聖品/唯円編『歎異抄』第三条01節照会済
道元『正法眼蔵』/シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(700年頃)01節照会済
『荘子』人間世篇(櫟社の木)01節原文を確認
『古事記』/祝詞/柳田国男『先祖の話』1946年01節照会済
トーラー/ミシュナ(200年頃)/バビロニア・タルムード01節照会済
アウグスティヌス『告白』第一巻第一章/『カトリック教会のカテキズム』171801節原文を確認
アタナシオス/グレゴリオス・パラマス(神化)/カルヴァン『キリスト教綱要』1536年01節照会済
クルアーン/ハディース/十二イマーム派の伝承/ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』01節照会済
プラトン『国家』第四巻441c〜444e01節原文を確認
エピクテトス『提要』第1章/マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻2301節原文を確認
デカルト『情念論』1649年 第148項01節照会済
ハイデガー『存在と時間』1927年/カミュ『シーシュポスの神話』1942年01節照会済
ユング『自我と無意識の関係』第二部「個性化」(野田倬訳・人文書院)/フランクル『それでも人生にイエスと言う』Ⅰ「生きる意味と価値」(山田邦男・松田美佳訳・春秋社1993年)01節章まで特定
フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年/プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年/サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節掲載誌・版元を確認
シュルツらの報酬予測の研究 1997年(『サイエンス』275巻・予測と報酬の神経基盤)01節掲載誌と巻号を確認
ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)01節章まで特定
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」(刊行年と版元をつけた一覧)01節系譜のページに集約
ヴィタル『エツ・ハイム』第10門「修復の門」01節章節を特定
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)01節章節を特定
世親『唯識三十頌』(玄奘訳)01節章節を特定
クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)01節章節を特定