軸 7 / 生き方をめぐる問い

他者とどう関わるのか

自分ではない誰かと、どう関わればよいのか。相手を自分と同じものと見る立場、相手のほうが先に立つとする立場、関わりそのものを問い直す立場があります。同じ体裁で並べます。判定はしません。

01

四十二の立場が、それぞれ何と答えているか

並びは成立の古い順で、順位ではありません。一つの答えは同じ長さにそろえてあります。資料の多い立場ほど長くはなりません。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
他者もまた同じ根本のものだとされる。分かれて見えることのほうが、重ねて見られた姿だと説かれている。出典:『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』6章8節7
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
他者との関わりを道の中心には置かない。見る者と見られるものを見分けることのほうが説かれている。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)
ヒンドゥー教
(信愛の道)
他者への行いも、神に捧げるものとして受け取られる。誰に向けてなされたかが問われることになる。出典:『バガヴァッド・ギーター』9章26節
ジャイナ教
傷つけないことが、五つの誓いの筆頭に置かれる。ごく小さな生きものにまで、その範囲が及ぶとされる。出典:ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』7章1節
仏教・上座部
四方に慈しみを遍く満たすことが説かれる。慈・悲・喜・捨の四つが、限りない心として並べられる。出典:『慈経』小部・経集1.8/長部13(三明経・四無量心)
仏教・説一切有部
同じ枠組みを取りながら、心の状態を要素として細かく分類した。慈しみもその分類のなかに置かれる。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品
仏教・犢子部
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
他者もまた識の現れとして捉えられる。ただしそれは、他者を軽んじてよいという意味では説かれていない。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
自力では他者を救えない者として自分を見る。そこから、ともに委ねられている者として他者が見られる。出典:親鸞『教行信証』/唯円編『歎異抄』第三条
仏教・禅(道元)
別に立てた目的として他者を置かない。食事を作ることも坐ることも、そのまま全体だとして扱われている。出典:道元『正法眼蔵』現成公案/『典座教訓』1237年
仏教・チベット
自分と他者を等しく見よ、と説かれる。さらに進んで、自他を入れ替えて考える修め方も説かれてきた。出典:シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』8章90偈・120偈
シク教
この世で奉仕をせよと説かれる。誰でも同じ場で同じものを食べる共同の食事が、形として続いている。出典:『グル・グラント・サーヒブ』26ページ(奉仕)/967ページ(共同の食事)
中国に始まる系統
儒教
「仁とは何か」への答えとして、己の欲せざる所を人に施すな、が置かれている。関係の結び目が問われる。出典:『論語』顔淵篇 第2章・第22章/衛霊公篇 第24章(レッグ訳では第23章)
道教(荘子)
定めた形で人に関わろうとすることを退ける。分けて比べる構えのほうが、先に問い直されることになる。出典:『荘子』斉物論篇
日本
神道(古典神話)
人と人の関わりを教義として定めない。ともに祓い、ともに祝うという営みの形のほうが受け継がれてきた。出典:『延喜式』巻第八 祝詞(大祓詞)
神道(祖霊の観念)
生きている人だけでなく、亡くなった人も含めた関わりとして受けとめられる。家と土地が、その単位になる。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
自分にとって憎むべきことを隣人にするな。これがトーラーの全体で、残りは注解だと語られている。出典:バビロニア・タルムード シャバット篇31a(ヒレル)
ユダヤ教(カバラー)
同じ教えを受け取りながら、人と人のあいだの行いが上の世界にも及ぶという枠組みに置き直されている。出典:『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)
キリスト教
(カトリック)
隣人を自分のように愛せ、が最も大いなる戒めの一つとされる。律法の全体がここにかかると語られている。出典:マタイ22章37〜40節/ルカ10章25〜37節(良きサマリア人)
キリスト教(正教)
同じ戒めを受け取る。加えて、他者に仕えることが神へ近づいていく過程として受けとめられている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
キリスト教
(プロテスタント)
同じ戒めを受け取る。そのうえで、置かれた場所で務めを果たすことが、隣人への奉仕として説かれている。出典:カルヴァン『キリスト教綱要』1536年
イスラム教(スンナ派)
自分のために望むものを兄弟のために望むまでは、信仰者ではないと伝えられる。喜捨も義務とされる。出典:サヒーフ・ブハーリー 13/クルアーン 2章177節(喜捨)
イスラム教(シーア派)
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手に連なる者への敬いが、人と人の関わりのなかに置かれている。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
イスラム教
(スーフィズム)
他者への振る舞いを、内側の澄み具合の表れとして見る。外の作法と内の状態が、分けずに語られている。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
ギリシアに始まる哲学
プラトン
他者との関わりは、正義という徳の側から論じられる。魂の秩序が、そのまま国の秩序に重ねられている。出典:プラトン『国家』第四巻441c〜444e
エピクロス
友情が、生涯にわたる幸いのうち最も大きなものだとされる。共に暮らす仲間との関わりが重んじられる。出典:エピクロス『主要教説』27
ストア派
すべての人が同じ理法を分けもつとされる。他者もまた、その全体に属する者として受け取られている。出典:マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻23
デカルト
他者との関わりを主題としない。確かに知りうることの範囲を見定めることのほうに、関心が置かれている。出典:デカルト『省察』1641年
スピノザ
理に従う人どうしは、互いにとって最も有益だとされる。他者を避けることは説かれていないことになる。出典:スピノザ『エチカ』第四部 定理35
カント
人格のうちの人間性を、手段としてだけ扱ってはならないとした。常に同時に目的として扱えと説く。出典:カント『道徳形而上学の基礎づけ』第二章(Ak. 4:429)
ハイデガー
人は初めから他者とともに在るとされる。ただし、その在り方が世間に流されている場合も問われている。出典:ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)
実存主義
(サルトル・カミュ)
他者のまなざしが、私を対象へ変えると論じた。地獄とは他人のことだ、という台詞もここから来る。出典:サルトル『存在と無』第三部第一章第四節/『出口なし』1944年
心理学
ユング
他者に見えるものが、自分の遠ざけた部分の映しである場合があるとした。関わりが、自分を知る道になる。出典:ユング『自我と無意識の関係』第二部「個性化」(野田倬訳・人文書院)
フランクル
人は、誰かや何かに向かって開かれているときに最もその人らしいとした。自分に向かうと閉じるとされる。出典:フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)
科学
神経科学
他者の痛みを見るとき、痛みの情動に関わる部分が働くとされる。感覚そのものの部分は働かないという。出典:シンガーら『サイエンス』303巻 2004年(痛みへの共感)
進化生物学
血のつながりと、返礼の見込みから、助け合いが広まる条件が説明される。善いから広まったとは述べない。出典:ハミルトン『理論生物学誌』7巻 1964年/トリヴァース『生物学季刊評論』46巻 1971年
宇宙論
この問いを扱う枠組みを持たない。物質とエネルギーを記述する理論に、人の関わりを語る語彙は無い。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
この問いに答えを持たない。粒子の振る舞いを記述する理論であり、人と人の関わりを扱う枠組みではない。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
人はみな同じ根から出ているとされた。人類が一つであるという考えが、協会の目的の一つに掲げられている。出典:H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年
現代スピリチュアル
出会いには意味があり、互いに学び合う関係だとする語り方が多い。語り手ごとに内容は大きく異なる。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
報告のなかで他者への態度が変わったと語られることは記録する。ただしその評価には踏み込まないでいる。出典:AWARE研究 2008〜2014
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
関わり方の基準は、外から与えられたものではないとされる。人が定め、人が引き受けるものだと説明される。出典:ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)
02

どこで割れているか

一つめ 同じ形の規則が、離れた場所に現れている

「自分がされたくないことを人にするな」という規則は、紀元前後の数百年のあいだに、互いを知らない場所でそれぞれ書き留められています。ヒレル、孔子、福音書、ハディース、『マハーバーラタ』、そしてゾロアスター教の文書にも見えます。これは、この地図帳で並べたなかで最も広い一致です。

二つめ 否定形と肯定形は、同じことか

ヒレルと孔子は「するな」と書き、福音書は「せよ」と書きます。この違いを同じものとして扱ってよいかは、学術的な論争になっています。しないことは相手を放っておくことで足りますが、することは相手の望みを推し量る必要があるからです。一致を急いで言うと、この差が消えます。

三つめ 「誰が隣人か」から「誰が隣人になったか」へ

良きサマリア人のたとえでは、律法学者が「私の隣人とは誰ですか」と尋ねます。対象を問う形です。ところが最後にイエスは「この三人のうち誰が、襲われた人の隣人になったと思うか」と問い返します。問いの向きが、対象から主体へ反転しています。

03

原典に降りる

あなたにとって憎むべきことを、隣人にするな。それがトーラーの全体であり、残りはその注解である。行って学べ。

バビロニア・タルムード シャバット篇31a(ヒレル)

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これが律法と預言者である。

マタイによる福音書 7章12節

子貢が問うた。「一言で、生涯これを行うべきものがありますか」
先生が答えた。「それは恕であろうか。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ。」

『論語』衛霊公篇 第24章(レッグ訳では第23章)

三つを並べました。一つめと三つめは「するな」、二つめは「せよ」です。同じ規則の言い換えと見ることもできますし、別の要求と見ることもできます。ここでは、どちらが優れているかを決めません。

「では、私の隣人とは誰ですか」……
「この三人のうち、誰が、強盗に襲われた人の隣人になったと思うか」

ルカによる福音書 10章29節・36節

問いが、「誰を隣人と見なすべきか」から「自分が誰の隣人になるか」へ裏返されています。同じ場面のなかで、向きが変わります。

04

掘って分かったこと

この一致は、綱領にもなっています

一九九三年、シカゴで開かれた世界宗教会議が「地球倫理宣言」を採択しました。そこには「自分にしてほしくないことを人にするな。あるいは肯定的に言えば、自分にしてほしいことを人にせよ」と、否定形と肯定形の両方が並べて書かれています。一致を認めたうえで、二つの形を残す扱いです。

出典=「Declaration Toward a Global Ethic」1993年9月4日/学術的な検討=ワトルズ『The Golden Rule』1996年/ノイスナーとチルトン編『The Golden Rule』2008年/アリンソン「儒教の黄金律は否定形である」1985年

典拠と行法の名前を、分けて書いています

チベット仏教の「自他を入れ替える」修め方は、『入菩薩行論』第八章に典拠があります。ただし「トンレン」という行法の名前は、この書物には出てきません。のちにアティーシャが伝えた心の訓練の系統で整えられたものです。ひとまとめにすると、シャーンティデーヴァが言っていないことを言ったことになります。

表に入っていない二人

この問いに深く関わりながら、四十二の名簿に入っていない人が二人います。ブーバーは、世界への構えを「われ−なんじ」と「われ−それ」の二つに分けました(『我と汝』一九二三年・植田重雄訳 岩波文庫)。レヴィナスは、他者の顔が言葉の有無にかかわらず「私を殺すな」と命じると論じました(『全体性と無限』一九六一年・熊野純彦訳ほか)。名簿は問いをまたいで共通に使っているため、この問いのためだけには足していません。

05

出典の確認状況

この節は、読者に見える形で置いています。どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』6章8節701節照会済
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)01節照会済
『バガヴァッド・ギーター』9章26節01節照会済
ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』7章1節01節照会済
『慈経』小部・経集1.801節照会済
長部13(三明経・四無量心)01節照会済
世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品01節照会済
『倶舎論』破我品に引かれた説01節照会済
世親『唯識三十頌』(玄奘訳)01節照会済
護法釈『成唯識論』01節照会済
親鸞『教行信証』01節照会済
唯円編『歎異抄』第三条01節照会済
道元『正法眼蔵』現成公案01節照会済
『典座教訓』1237年01節照会済
シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』8章90偈・120偈01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』26ページ(奉仕)01節照会済
967ページ(共同の食事)01節照会済
『論語』顔淵篇 第2章・第22章01節照会済
衛霊公篇 第24章(レッグ訳では第23章)01節照会済
『荘子』斉物論篇01節照会済
『延喜式』巻第八 祝詞(大祓詞)01節照会済
柳田国男『先祖の話』1946年01節照会済
バビロニア・タルムード シャバット篇31a(ヒレル)01節照会済
『ゾーハル』(1280年代・邦訳 法政大学出版局2012年)01節照会済
マタイ22章37〜40節01節照会済
ルカ10章25〜37節(良きサマリア人)01節照会済
グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)01節照会済
カルヴァン『キリスト教綱要』1536年01節照会済
サヒーフ・ブハーリー 1301節照会済
クルアーン 2章177節(喜捨)01節照会済
クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)01節照会済
ガザーリー『宗教諸学の再興』01節照会済
プラトン『国家』第四巻441c〜444e01節照会済
エピクロス『主要教説』2701節照会済
マルクス・アウレリウス『自省録』第四巻2301節照会済
デカルト『省察』1641年01節照会済
スピノザ『エチカ』第四部 定理3501節照会済
カント『道徳形而上学の基礎づけ』第二章(Ak. 4:429)01節照会済
ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)01節照会済
サルトル『存在と無』第三部第一章第四節01節照会済
『出口なし』1944年01節照会済
ユング『自我と無意識の関係』第二部「個性化」(野田倬訳・人文書院)01節照会済
フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)01節照会済
シンガーら『サイエンス』303巻 2004年(痛みへの共感)01節照会済
ハミルトン『理論生物学誌』7巻 1964年01節照会済
トリヴァース『生物学季刊評論』46巻 1971年01節照会済
プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年01節照会済
サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節照会済
H・P・ブラヴァツキー『The Secret Doctrine』全2巻 1888年01節照会済
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」01節照会済
AWARE研究 2008〜201401節照会済
ラッセル「自由人の信仰」(『神秘主義と論理』江森巳之助訳・みすず書房)01節照会済
ルカ10章25〜37節(良きサマリア人・29節と36節)02・03節原文で節を確認
「Declaration Toward a Global Ethic」1993年04節本文を確認
ワトルズ『The Golden Rule』1996年/ノイスナーとチルトン編 2008年04節書誌を確認
アリンソン「The Confucian Golden Rule: A Negative Formulation」1985年02・04節書誌を確認
『マハーバーラタ』13巻114章8節(ガングリー訳では第113章)02節校訂版と英訳の番号差を確認
『シャーヤスト・ネー・シャーヤスト』13章29節(ゾロアスター教)02節訳文を確認
ブーバー『我と汝』1923年(植田重雄訳・岩波文庫)04節原著と邦訳を確認
レヴィナス『全体性と無限』1961年(熊野純彦訳ほか)04節原著と邦訳を確認
『入菩薩行論』8章120偈(自他交換)/行法名トンレンはロジョンの系統04節典拠と行法名の別を確認