軸 5 / 世界をめぐる問い

宇宙とは何か

始まりはあるのか。造られたのか、自ずと成ったのか。一つなのか、数えきれないのか。世界の宗教・哲学・科学・現代の言説が何と答えてきたかを並べます。正しい・正しくないの判定はしません。並び順は成立の古い順で、意味はありません。

01

答えを並べる

同じ名前の宗教でも、この問いでは答えが割れます。割れているところまで降りて書きます。割れていないところは割りません。一つの答えは長さをそろえてあり、資料の多い立場ほど長くなることがないようにしています。

インドに始まる系統
ヒンドゥー教
(ヴェーダーンタ)
世界は根本のものが姿を現したものとされる。日常に見える多様さは、その上に重なった現れだと説かれる。出典:『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』6章2節1/シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論
ヒンドゥー教
(サーンキヤ)
世界は物質の側が展開したものだとされる。見る者としての精神は、その展開の外に置かれたままである。出典:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』(4〜5世紀)
ヒンドゥー教
(信愛の道)
世界は神の身体であり、神のあらわれだとされる。神と切り離された自立の宇宙としては置かれていない。出典:『バガヴァッド・ギーター』
ジャイナ教
宇宙は人の形になぞらえて描かれる。始まりも終わりもなく、造った者もいないと古くからされてきた。始まりを問う必要が生じない。出典:ジャイナ宇宙論(ロカ)
仏教・上座部
世界に始まりは示されない。世界の広がりを問うことは、解くべきでない問いとして退けられている。答えないことが答えになる。出典:『マールンキヤ小経』中部63
仏教・説一切有部
須弥山を中心とした構造として詳細に体系化された。世界は生じては壊れる周期を繰り返すとされる。数も距離も示される。出典:『阿毘達磨倶舎論』世間品
仏教・犢子部とくしぶ
宇宙の構造については部派に共通する枠組みをそのまま用い、そこを離れる独自の主張を残していない。関心は輪廻の主体に向く。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
仏教・唯識
外の世界は識の現れとされる。心を離れて独立に在る宇宙を立てない、という形の説明に落ち着いていく。世界の側に基盤を求めない。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』
仏教・浄土教
この世界のほかに、数えきれない仏の世界があるとされる。宇宙は一つに限られないという形をとる。数は数えきれないとされる。出典:『阿弥陀経』/浄土三部経
仏教・禅(道元)
世界の成り立ちを論じない。いま目の前にあるものが、そのまま全体だという形で繰り返し語られる。成り立ちは、問いとして立てられない。出典:道元『正法眼蔵』
仏教・チベット
世界は生じ、とどまり、壊れ、空になるという周期を繰り返すとされる。始まりの一点は置かれない。終わりもまた、次の始まりとされる。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』世間品(四劫)
シク教
宇宙は神の命令ひとつによって生じたとされる。数えきれない世界があると語られ、一つに限られない。数の多さが繰り返し語られる。出典:『グル・グラント・サーヒブ』
中国に始まる系統
儒教
宇宙の成り立ちを主題としない。天という語は用いるが、その構造を論じることは避けられている。孔子は語らなかったと伝えられる。出典:『論語』述而篇 第20章
道教(荘子)
万物は道から生じ、絶えず移り変わるとされる。始まりの一点も境目も置かず、一つの流れとして語られる。出典:『老子』第四十二章/『荘子』
日本
神道(古典神話)
天と地が分かれるところから語り出される。無から造られたのではなく、神が自ずと成ったとされる。造る者は先に置かれない。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)
神道(祖霊の観念)
宇宙の構造そのものを論じない。人が暮らす場と、その周りにある力とのつながりのほうが語られる。問いは暮らしの側を向く。出典:柳田国男『先祖の話』1946年
西アジアに始まる一神教
ユダヤ教
(ラビの伝統)
神が言葉によって世界を造ったとされる。世界は神ではなく、造られたものとしてはっきりと区別される。出典:創世記 1章3節
ユダヤ教
(カバラー)
神が身を退いて場を空け、そこに光が流れ込んで世界ができたと説かれる。段階を経て現れるとされる。世界は、いきなり現れるのではない。出典:ヴィタル『エツ・ハイム』第1門「円と直線の講」(ツィムツーム)
キリスト教
(カトリック)
神が無から造ったとされる。世界には始まりがあり、造られたものとして神からはっきり区別される。世界は神と同じものにはならない。出典:『カトリック教会のカテキズム』296〜298(無からの創造)
キリスト教
(正教)
同じく無からの創造を立てる。世界は神のはたらきに貫かれているが、神そのものではないとされる。区別は保たれ続ける。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
キリスト教
(プロテスタント)
同じく無からの創造を立てる。世界は神の栄光を映すものとして受け取られ、それ自体は神ではない。映すことと在ることは別である。出典:創世記 1章3節/カルヴァン『キリスト教綱要』1536年
イスラム教
(スンナ派)
神が在れと言えば在るとされる。天と地は神のしるしであり、読み取るべきものとして置かれている。読む務めが人に課される。出典:クルアーン 2章117節
イスラム教
(シーア派)
同じ枠組みを共有する。世界の秩序を読み解くことに、より積極的な意味が置かれてきた点が異なる。読解そのものが重んじられる。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
イスラム教
(スーフィズム)
世界は神が自らを顕したものだとされる。神と世界を切り離さない語り方が、この系統には強く現れる。世界は神を隠すものではない。出典:イブン・アラビーの存在一性論
ギリシアに始まる哲学
プラトン
世界は、変わらない原型を写して組み立てられたとされる。写しであるかぎり、完全ではありえない。原型のほうが先に在る。出典:プラトン『ティマイオス』28a〜29a
エピクロス
宇宙は原子と空虚だけからなり、限りがないとされる。世界は一つではなく無数にあるとまで論じた。限りがないことが恐れを解く。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節
ストア派
宇宙は一つの生きた全体であり、理法に貫かれているとされる。焼き尽くされ、また始まるとされた。周期は繰り返し語られる。出典:ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻141〜142節
デカルト
世界は広がりを持つものとして数学で記述できると考えた。ここから、機械としての自然像が生まれる。出典:デカルト『哲学原理』1644年 第二部9〜10・64項
スピノザ
自然そのものが唯一の実体だとされる。外に立つ造り主も、世界の目的も、どちらも置かれていない。必然だけが残される。出典:スピノザ『エチカ』第一部
カント
時間と空間は世界の側の性質ではなく、人が世界を受け取る形式だとした。問いの向きを変えている。問う側が問い直される。出典:カント『純粋理性批判』(超越論的感性論)
ハイデガー
宇宙の構造を論じない。世界を、物の集まりとしてではなく、人が関わりながら在る場として捉え直す。問いは関わり方のほうへ移る。出典:ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)
実存主義
(サルトル・カミュ)
宇宙に意味は与えられていないとされる。カミュは、その沈黙と人の問いとの落差を出発点に置いた。落差そのものが主題になる。出典:カミュ『シーシュポスの神話』1942年
心理学
ユング
宇宙論を立てない。ただし人が宇宙に秩序を読み取ろうとすること自体を、心の働きとして重く見た。読み取る側が観察される。出典:ユングとパウリ『自然現象と心の構造』(河合隼雄・村上陽一郎訳・海鳴社1976年)
フランクル
宇宙そのものを論じない。全体の意味は人の見通しを超えるとし、いまの状況のほうへ問いを戻す。問いは全体ではなく手元に戻される。出典:フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)
科学
神経科学
この問いを立てない。人が宇宙をどう捉えるかは扱っても、宇宙そのものは対象には入っていない。扱うのは捉える側の仕組みだけ。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
進化生物学
この問いを立てない。地球上の生命の来歴は扱うが、宇宙の成り立ちは別の分野の仕事とされている。扱う範囲を、はっきり区切っている。出典:フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年
宇宙論
観測から、宇宙は膨張しており、過去は高温高密度だったと組み立てられる。始まりそのものは扱えていない。出典:プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年
量子力学
世界の最も小さい側の振る舞いを記述する。宇宙全体をどう扱うかは、まだ定まっていないとされる。接続はまだ課題である。出典:サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節
現代の言説
神智学
宇宙は段階を持つ層からなり、大きな周期で現れては消えるとされた。東洋の周期の観念を取り入れている。出典:神智学協会(1875年創設)
現代スピリチュアル
宇宙そのものを意識だとする語り方が多い。人と宇宙はつながっているという形で語られ、境目を置かない。出典:系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」
臨死体験の研究
報告に、すべてが一つにつながっていると感じたという語りが含まれる。扱い方は解釈が分かれる。研究は体験の記録として扱う。出典:ムーディ『Life After Life』1975
信仰を持たない立場
唯物論・無神論
宇宙は物質とエネルギーからなり、造った者はいないとされる。目的も、どこにも置かれてはいない。説明に、造った者を必要としない。出典:ワインバーグ『宇宙創成はじめの3分間』エピローグ(小尾信彌訳・ちくま学芸文庫)
02

どこで割れているか

一つめ 造られたのか、自ずと成ったのか

一神教は、神が言葉によって無から造ったとします。『古事記』は「成る」という言い方をします。造った者がいて、造られたものがある、という形をとりません。ジャイナ教と仏教は、造った者そのものを置きません。この違いは、動詞ひとつに表れています。

二つめ 始まりの一点を置くか、周期とするか

一神教は始まりを置きます。インドに始まる系統の多くは、生じては壊れる周期の繰り返しとして語ります。ストア派も、焼き尽くされてまた始まると説きました。現代の宇宙論は膨張の来歴をたどれますが、始まりそのものには手が届いていません。

三つめ 宇宙は一つか、数えきれないか

浄土教は数えきれない仏の世界を、シク教は数えきれない世界を、エピクロスは無数の世界を語ります。二千年以上前から、宇宙が一つだとは限らないと語られてきました。近年の物理学で話題になる複数宇宙とは前提が違いますが、問いの形は重なります。

03

原典に降りる

天地初めて發ひらけし時、高天原に成なれる神の名は、天之御中主神。 『古事記』上巻 冒頭

「造れる」ではなく「成れる」と書かれています。造った者を先に置かない語り方です。

天と地の創造者。何かを定められると、ただ「在れ」と仰せになる。すると、それは在る。 クルアーン 2章117節/趣意

造る者と、造られるものが、はっきり分けられています。前の一節と正面から向き合う形になります。

04

出典の確認状況

どこまで確かめたかを隠さないことが、引用される条件だと考えています。

出典使った箇所状況
『古事記』上巻 冒頭(天地初発之時・造化三神)01・03節原文を確認
クルアーン 2章117節(在れと言えば在る)01・03節節まで特定
『論語』述而篇 第20章01節章まで特定
イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』01節照会済
『阿毘達磨倶舎論』世間品/破我品01節照会済
世親『唯識三十頌』/護法釈『成唯識論』01節照会済
『阿弥陀経』/浄土三部経01節照会済
『グル・グラント・サーヒブ』01節照会済
カバラー文献(ツィムツーム)01節照会済
スピノザ『エチカ』第一部01節照会済
神智学協会(1875年創設)01節照会済
ムーディ『Life After Life』197501節照会済
ジャイナ宇宙論(ロカ)01節照会済
『マールンキヤ小経』中部63(無記)01節原文を確認
世親『阿毘達磨倶舎論』世間品(四劫=成・住・壊・空)01節照会済
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』6章2節1/シャンカラ『ブラフマ・スートラ註解』序論01節原文を確認
『老子』第四十二章(道生一)/『荘子』01節原文を確認
創世記 1章3節(言葉による創造)01節原文を確認
『カトリック教会のカテキズム』296〜298(無からの創造)01節原文を確認
グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)01節照会済
イブン・アラビーの存在一性論01節照会済
プラトン『ティマイオス』28a〜29a01節原文を確認
エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節01節原文を確認
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第七巻141〜142節(世界の焼尽と再生)01節原文を確認
デカルト『哲学原理』1644年 第二部9〜10・64項01節原文を確認
カント『純粋理性批判』(超越論的感性論)01節照会済
ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)01節照会済
カミュ『シーシュポスの神話』1942年01節照会済
ユングとパウリ『自然現象と心の構造』(河合隼雄・村上陽一郎訳・海鳴社1976年)/フランクル『死と愛』第二章第一節「人生の意味」(霜山徳爾訳・みすず書房)01節章まで特定
フツイマとカークパトリック『Evolution』第5版 2022年/プランク共同研究『Planck 2018 results VI』2020年/サクライとナポリターノ『Modern Quantum Mechanics』第3版 2020年 1章4節01節掲載誌・版元を確認
カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)01節掲載誌・版元を確認
ワインバーグ『宇宙創成はじめの3分間』エピローグ(小尾信彌訳・ちくま学芸文庫)01節章まで特定
系譜「引き寄せ・波動はどこから来たか」(刊行年と版元をつけた一覧)01節系譜のページに集約
ヴィタル『エツ・ハイム』第1門「円と直線の講」(ツィムツーム)01節章節を特定
『バガヴァッド・ギーター』01節章節を特定
『倶舎論』破我品に引かれた説01節章節を特定
世親『唯識三十頌』(玄奘訳)01節章節を特定
道元『正法眼蔵』01節章節を特定
世親『阿毘達磨倶舎論』世間品(四劫)01節章節を特定
『古事記』上巻(天地初発之時)01節章節を特定
柳田国男『先祖の話』1946年01節章節を特定
カルヴァン『キリスト教綱要』1536年01節章節を特定
クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)01節章節を特定