この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。
生も死も、気が集まり散じる移り変わりにすぎない。春夏秋冬がめぐるのと同じことなので、嘆く理由がないとされる。出典:『荘子』至楽篇
気が集まり散じるだけなので、死者という相手が別に立たない。荘子は妻の死を嘆かなかった。往き来を語る枠組みを持たない。出典:『荘子』至楽篇
始まりを問えばその前があると重ね、行き止まりを示す。変化の連なりのほうが語られることになる。出典:『荘子』斉物論篇・大宗師篇
聖人に名は無いとされている。名を求めることは身を損なうものだとして、繰り返し退けられてきた。出典:『荘子』逍遥遊篇/『老子』第四十四章
作為をやめることが説かれる。願って何かを動かそうとする構えそのものが、退けられる側に置かれることになる。出典:『荘子』斉物論篇
夢と現の境そのものが問い直される。目覚めている側を確かなものとして先に置く構えが、退けられる。出典:『荘子』斉物論篇(胡蝶の夢)
定めた形で人に関わろうとすることを退ける。分けて比べる構えのほうが、先に問い直されることになる。出典:『荘子』斉物論篇
変化そのものに身を任せることが説かれる。逆らって動かそうとする構えのほうが、退けられる側に置かれる。出典:『荘子』大宗師篇
万物は変化し続けるとされ、人の腕が鶏に変わるといった語りもある。個が同じ姿で戻る形としては語られない。出典:『荘子』大宗師篇・至楽篇
足るを知る者は富むとされる。禍いは足るを知らないことより大きなものはない、とも語られている。出典:『老子』第三十三章・第四十六章
私と他のものとの境そのものを疑う。夢で蝶になった話は、どちらが本当かを決められないところに置かれている。出典:『荘子』斉物論篇(胡蝶の夢)
道は万物を生じさせるが、意図を持って造る者ではない。そもそも名づけようのないものとして語られる。出典:『老子』第一章/『荘子』
幸せを求めること自体を退ける。分けて比べるのをやめたところに、そのままの安らぎがあるとされる。比べることをやめるだけでよい。出典:『荘子』斉物論篇
生きることに目的を立てない。作為を減らし、自ずと然るにまかせることのほうが説かれていく。目的を立てるのも作為とされる。出典:『老子』/『荘子』
夢と現の境が問い直される。胡蝶の夢では、どちらが本当かを決めないまま、変化そのものが語られる。出典:『荘子』斉物論篇(胡蝶の夢)
成し遂げようとすること自体を退ける。役に立たないものにこそ、長い寿命があると語られている。成そうとしないことが説かれる。出典:『荘子』人間世篇(櫟社の木)
始まりがあり、始まりの前があり、その前があると重ねて、始まりを問うこと自体の行き止まりを示す。出典:『荘子』斉物論篇
万物は道から生じ、絶えず移り変わるとされる。始まりの一点も境目も置かず、一つの流れとして語られる。出典:『老子』第四十二章/『荘子』
気が集まり散じるだけなので、赴く先が別に立たない。のちの時代の道教には地獄が現れるが、荘子はそれを語っていない。出典:『荘子』至楽篇
大いなる道が廃れてから仁義が現れたとされる。善悪を掲げること自体が、崩れの後に来たものと見られる。出典:『老子』第十八章・第三十八章
道の自然なはたらきとして生じるとされる。なぜ生じたのかを人が問うこと自体が、作為として退けられている。出典:『老子』/『荘子』至楽篇
苦しみは、物事を分けて良し悪しをつけるところから生じるとされる。分けなければ、苦も立ち上がらない。出典:『荘子』斉物論篇