立場 / ギリシアに始まる哲学

デカルト

この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。

01

問いごとの答え(22件)

死んだらどうなるのか

思考する精神と、広がりを持つ身体は別のものだとする。身体が壊れることが、ただちに精神の消滅を意味しない、という筋道が開かれる。出典:『省察』

死者と生者はつながれるのか

精神と身体を分けたが、死者との関わりは論じない。関心は、確かに知りうることの範囲を定めることに置かれている。出典:デカルト『省察』1641年

生まれる前の私はいたのか

論じない。精神と身体を分けたが、精神が生まれる前に在ったかどうかには踏み込んでいないことになる。出典:デカルト『省察』1641年

名を残すことに意味はあるのか

名を主題としない。確かに知りうることの範囲を見定めることのほうに、関心がはっきり置かれている。出典:デカルト『省察』1641年

祈りは届くのか

祈りを主題としない。神の存在は論証の対象として扱われ、祈りが届くかどうかは論じられていない。出典:デカルト『省察』第三・第五省察

意識はどこから来るのか

精神と身体を分けたうえで、両者が触れ合う場を脳の小さな腺に求めた。対をなさない器官である点を根拠にする。出典:デカルト『情念論』1649年 第31〜32項

他者とどう関わるのか

他者との関わりを主題としない。確かに知りうることの範囲を見定めることのほうに、関心が置かれている。出典:デカルト『省察』1641年

運命は決まっているのか

この問いを主題としない。確かに知りうることの範囲を見定めることのほうに、関心がはっきり置かれている。出典:デカルト『省察』1641年

生まれ変わりはあるのか

論じない。精神と身体を分けたが、精神が別の身体へ移ることについては何も述べていない。確かに知りうる範囲の外に置かれる。出典:デカルト『省察』1641年

欲は満たすべきか、減らすべきか

欲を主題としない。意志を正しく用いることに満足があると述べるにとどめ、規範は組み立てていない。出典:デカルト『情念論』1649年 第148項

私とは何か

疑っている自分が在ることだけは疑えないとした。私は、そこで考えているはたらきそのものとして立てられる。出典:デカルト『方法序説』第四部/『省察』第二省察

神とは何か

完全な存在という観念から、神が在ることを論証しようとした。神は、知の確かさを支える位置に置かれる。出典:デカルト『省察』第三・第五省察

幸せとは何か

幸せを主題としない。ただし、意志を正しく用いることに満足があると書き残してはいる。主題としては前に出てこない。出典:デカルト『情念論』1649年 第148項

生きるとは何か

生きる意味を主題としない。確かな知を組み立てることと、そのための方法のほうが論じられている。問いの向きが違う。出典:デカルト『方法序説』1637年

現実は心が作るのか

精神と物体を分けた。物体は広がりを持つものとして、精神とは別に在るという形で立てられている。出典:デカルト『哲学原理』1644年 第二部9〜10項

成功とは何か

成功を主題としない。確かな知に達することと、その方法を示すことのほうが目指されている。主題としては置かれていない。出典:デカルト『情念論』1649年 第148項

時間とは何か

時を主題としない。世界を広がりとして数学で記述する枠組みのほうが、正面から組み立てられている。出典:デカルト『哲学原理』1644年 第二部9〜10項

宇宙とは何か

世界は広がりを持つものとして数学で記述できると考えた。ここから、機械としての自然像が生まれる。出典:デカルト『哲学原理』1644年 第二部9〜10・64項

天国・地獄・浄土はどこにあるのか

死後の場所を論じない。関心は、確かに知りうることの範囲を定めることに置かれ、その外にあるものは扱わない立場をとる。出典:デカルト『省察』1641年

善悪はどこで決まるのか

善悪そのものを主題としない。意志を正しく用いることに満足があると述べるにとどめ、規範を組み立てていない。出典:デカルト『情念論』1649年 第148項

なぜ生まれてくるのか

生まれる理由を論じない。関心は、疑いえないものから知を組み立て直すことのほうに置かれ、目的は扱われない。出典:デカルト『省察』

なぜ苦しみがあるのか

苦しみの意味を論じない。心と身体の関わりを説明する枠組みのなかで、感覚の一つとして位置づけられる。出典:デカルト『情念論』1649年