この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。
死は我々にとって何ものでもない。我々が在るとき死は無く、死が在るとき我々は無い。だから恐れる相手ではないとされる。出典:『メノイケウス宛書簡』124〜125節
死者はもはや存在しないので、関わる相手が残らない。恐れる対象も、語りかける対象も無いという立場になる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節
原子が集まって生じ、散れば終わるとされる。集まる前の私というものは、そこには置かれていない。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節
隠れて生きよという語が伝えられている。名声を求めることは、心の平静を乱すものとして退けられる。出典:エピクロス断片551(プルタルコスが批判する書に引かれた語)
神々は在るが、人の世に関わらないとされる。祈って何かが動くという考え方は取られず、恐れる相手にもならない。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
心も原子でできているとされる。身体が解ければ心も散るという形で、はっきり物の側から説明される。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節
友情が、生涯にわたる幸いのうち最も大きなものだとされる。共に暮らす仲間との関わりが重んじられる。出典:エピクロス『主要教説』27
すべてが決まっているのではないとされる。原子がわずかに逸れるという説明が、その根拠に置かれた。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
認めない。人は原子の集まりであり、散れば戻らない。繰り返す主体そのものが残らないので、問い自体が成り立たないとされる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節
欲を三つに分けた。自然で必要なもの、自然だが必要でないもの、自然でも必要でもないものである。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』127〜128節/『主要教説』29
私は原子の集まりであり、散れば残らない。だからこそ、いま感じている快と苦のほうが問題になるとされる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
神々が在ることは否定しないが、人の世には関わらないとした。だから恐れる必要はないのだと説かれる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
幸せは、身体に痛みがなく心が乱れていない状態とされる。欲を減らすことが、その近道になる。減らすことが、そのまま近道になる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
生きることは、要らない欲と恐れを減らして静かな心を保つことだとされる。友との時間が重んじられる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
世界は原子と空虚からなるとされる。心もまた原子でできており、外の世界は心とは別に在るとされる。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節
成功は、静かな心を保てているかで測られる。名声や政治への参加は、むしろ避けられている。名声はむしろ避けられる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
時は原子や空虚と並ぶものではないとされる。出来事に伴って捉えられるものとして説明されている。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節
宇宙は原子と空虚だけからなり、限りがないとされる。世界は一つではなく無数にあるとまで論じた。限りがないことが恐れを解く。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節
地獄の物語は人を恐れさせるための作り話であり、恐れる理由はないとされる。赴く場所は存在せず、残るのは恐れだけである。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節
苦しみが無いことを基準に置く。ただし放埒を勧めるのではなく、思慮によって欲を整えることが説かれている。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
目的として問わない。人は原子の集まりとして生じるとされ、快と苦をどう扱うかのほうが主題として置かれる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』
苦しみの多くは、要らない欲と、根拠のない恐れから来るとされる。取り除けば、苦は小さくなっていく。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』