立場 / ギリシアに始まる哲学

エピクロス

この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。

01

問いごとの答え(22件)

死んだらどうなるのか

死は我々にとって何ものでもない。我々が在るとき死は無く、死が在るとき我々は無い。だから恐れる相手ではないとされる。出典:『メノイケウス宛書簡』124〜125節

死者と生者はつながれるのか

死者はもはや存在しないので、関わる相手が残らない。恐れる対象も、語りかける対象も無いという立場になる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節

生まれる前の私はいたのか

原子が集まって生じ、散れば終わるとされる。集まる前の私というものは、そこには置かれていない。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節

名を残すことに意味はあるのか

隠れて生きよという語が伝えられている。名声を求めることは、心の平静を乱すものとして退けられる。出典:エピクロス断片551(プルタルコスが批判する書に引かれた語)

祈りは届くのか

神々は在るが、人の世に関わらないとされる。祈って何かが動くという考え方は取られず、恐れる相手にもならない。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』

意識はどこから来るのか

心も原子でできているとされる。身体が解ければ心も散るという形で、はっきり物の側から説明される。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節

他者とどう関わるのか

友情が、生涯にわたる幸いのうち最も大きなものだとされる。共に暮らす仲間との関わりが重んじられる。出典:エピクロス『主要教説』27

運命は決まっているのか

すべてが決まっているのではないとされる。原子がわずかに逸れるという説明が、その根拠に置かれた。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』

生まれ変わりはあるのか

認めない。人は原子の集まりであり、散れば戻らない。繰り返す主体そのものが残らないので、問い自体が成り立たないとされる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節

欲は満たすべきか、減らすべきか

欲を三つに分けた。自然で必要なもの、自然だが必要でないもの、自然でも必要でもないものである。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』127〜128節/『主要教説』29

私とは何か

私は原子の集まりであり、散れば残らない。だからこそ、いま感じている快と苦のほうが問題になるとされる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』

神とは何か

神々が在ることは否定しないが、人の世には関わらないとした。だから恐れる必要はないのだと説かれる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』

幸せとは何か

幸せは、身体に痛みがなく心が乱れていない状態とされる。欲を減らすことが、その近道になる。減らすことが、そのまま近道になる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』

生きるとは何か

生きることは、要らない欲と恐れを減らして静かな心を保つことだとされる。友との時間が重んじられる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』

現実は心が作るのか

世界は原子と空虚からなるとされる。心もまた原子でできており、外の世界は心とは別に在るとされる。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節

成功とは何か

成功は、静かな心を保てているかで測られる。名声や政治への参加は、むしろ避けられている。名声はむしろ避けられる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』

時間とは何か

時は原子や空虚と並ぶものではないとされる。出来事に伴って捉えられるものとして説明されている。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節

宇宙とは何か

宇宙は原子と空虚だけからなり、限りがないとされる。世界は一つではなく無数にあるとまで論じた。限りがないことが恐れを解く。出典:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』45節

天国・地獄・浄土はどこにあるのか

地獄の物語は人を恐れさせるための作り話であり、恐れる理由はないとされる。赴く場所は存在せず、残るのは恐れだけである。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』124〜125節

善悪はどこで決まるのか

苦しみが無いことを基準に置く。ただし放埒を勧めるのではなく、思慮によって欲を整えることが説かれている。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』

なぜ生まれてくるのか

目的として問わない。人は原子の集まりとして生じるとされ、快と苦をどう扱うかのほうが主題として置かれる。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』

なぜ苦しみがあるのか

苦しみの多くは、要らない欲と、根拠のない恐れから来るとされる。取り除けば、苦は小さくなっていく。出典:エピクロス『メノイケウス宛書簡』