この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。
死にあらかじめ与えられた意味はない。意味は生きている側が作るものであり、死はその可能性が終わることだとされる。出典:『存在と無』/『シーシュポスの神話』
死者は遺された者の記憶と行いのうちにのみ残る。向こう側との往き来は想定されず、意味は生きる側が引き受ける。出典:サルトル『存在と無』1943年/カミュ『シーシュポスの神話』1942年
前は無いとされる。人はまず存在し、そのあとで自分が何であるかを作っていくという形が先に置かれる。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
名を残すことに、あらかじめの意味は無いとされる。何を価値とするかも、選ぶ側に委ねられている。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
祈る相手を置かない。応えるものが無いところで、それでもどう生きるかのほうへ問いが向けられている。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
起源を論じない。人はまず存在し、そのあとで自分が何であるかを作っていくという形が先に置かれる。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
他者のまなざしが、私を対象へ変えると論じた。地獄とは他人のことだ、という台詞もここから来る。出典:サルトル『存在と無』第三部第一章第四節/『出口なし』1944年
定めは無いとされる。だからこそ選ぶほかなく、選ばないという選び方さえ選んだことになると論じられる。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
認めない。やり直しは与えられない。一度きりであることが、いまの選択の重さを支える根拠として積極的に置かれている。出典:サルトル『存在と無』1943年/カミュ『シーシュポスの神話』1942年
あらかじめの基準を置かない。何をどこまで求めるかということも、選ぶ側に委ねられていることになる。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
私はあらかじめ決まっていない。人はまず存在し、そのあとで自分が何であるかを作っていくのだとされている。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
サルトルは神を置かない。置かないからこそ人は自由であり、そのぶん重い責任を負うことになると論じた。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
幸せをあらかじめ定義しない。カミュは、報いのない営みのうちにも幸福を見ようとしている。定義は先に置かれていない。出典:カミュ『シーシュポスの神話』1942年
生きる意味はあらかじめ無いとされる。だからこそ選び、そのつど作っていくのだと論じられている。選び直しは繰り返し起こる。出典:サルトル『実存主義とは何か』
世界そのものは意味を持たずに在るとされる。意味を与えるのは人の側だが、世界を作るのではない。出典:サルトル『存在と無』1943年
成功にあらかじめの基準は無いとされる。何を成功と呼ぶかも、選ぶ側に委ねられている。呼び方も選ぶ側に委ねられる。出典:カミュ『シーシュポスの神話』1942年
時は与えられた枠ではなく、選び続けることのうちに現れるとされる。一度きりであることが重く置かれる。出典:サルトル『存在と無』1943年
宇宙に意味は与えられていないとされる。カミュは、その沈黙と人の問いとの落差を出発点に置いた。落差そのものが主題になる。出典:カミュ『シーシュポスの神話』1942年
赴く場所を想定しない。カミュは、報いを当てにせずにそれでも生きることのほうを問いの中心に置き、行き先を問わなかった。出典:カミュ『シーシュポスの神話』1942年
あらかじめの基準は無いとされる。だからこそ選ぶことに責任が伴い、選んだ側がその重さを引き受けるとされる。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
生まれてくる理由はあらかじめ与えられていない。人はまず存在し、そのあとで自分が何であるかを作っていくとされる。出典:サルトル『実存主義とは何か』1946年
苦しみに、あらかじめ与えられた意味はないとされる。カミュは、それでも生きることのほうを問うた。出典:カミュ『シーシュポスの神話』1942年