この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。
死後がどうなるかを論じない。人は自分の死へ向かう存在であり、そのことを引き受けるかどうかが問われる、という形に問いを変える。出典:『存在と時間』第二篇第一章(第46〜53節)
他者の死は経験できるが、それは自分の死の代わりにならないと論じる。交わりではなく、自分の死へ向き直ることを問う。出典:ハイデガー『存在と時間』第二篇第一章(第46〜53節)
前を問わない。理由を与えられないまま投げ入れられているところから、問いが始められることになる。出典:ハイデガー『存在と時間』第29節(被投性)
他者との差を気にすることが、世人に支配された在り方だと論じた。名声は、その支配の一部になる。出典:ハイデガー『存在と時間』第27節(世人)
この問いを立てない。存在をどう問うかのほうへ向かい、神に呼びかける営みそのものは主題に入っていない。出典:ハイデガー『存在と時間』1927年
意識という語から問いを立て直す。世界のなかで関わりながら在ることのほうへ、問いが移し替えられている。出典:ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)
人は初めから他者とともに在るとされる。ただし、その在り方が世間に流されている場合も問われている。出典:ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)
決まっているかを問わない。投げ入れられているところから、そこでどう在るかへ問いが向けられている。出典:ハイデガー『存在と時間』第29節(被投性)
論じない。問いを、自分の死へ向き直ることのほうへ移し替えている。その先に何があるかは、主題として扱われていない。出典:ハイデガー『存在と時間』第二篇第一章(第46〜53節)
欲を主題としない。世間の尺度に沿って何かを求め続けることのほうが、むしろ正面から問い直される。出典:ハイデガー『存在と時間』1927年
私を実体としてではなく、世界のなかで何かに関わりながら在ること、そのはたらきそのものとして捉え直している。出典:ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)
神を主題としない。存在をどう問うかのほうへ向かい、これまでの神の論じ方そのものを退けることになる。出典:ハイデガー『存在と時間』1927年
幸せを主題としない。本来の自分として在るかどうかのほうへ、問いが移し替えられている。問いの向きが変えられている。出典:ハイデガー『存在と時間』1927年
生きることは、自分の死へ向き直りながら、そのつど引き受けることだとされる。目的は与えられない。そのつど引き受けるほかない。出典:ハイデガー『存在と時間』(先駆的覚悟性)
世界を、物の集まりとしてではなく、人が関わりながら在る場として捉え直す。作る作らないの問いを外す。出典:ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)
成功を主題としない。世間の尺度に沿って生きることのほうが、むしろ問い直されている。世間の尺度が問い直される。出典:ハイデガー『存在と時間』1927年
時間を、人が将来へ向かって在るあり方の側から捉え直した。将来・既在・現在の三つが結ばれるとする。出典:ハイデガー『存在と時間』第65節(気遣いの存在論的意味としての時間性)
宇宙の構造を論じない。世界を、物の集まりとしてではなく、人が関わりながら在る場として捉え直す。問いは関わり方のほうへ移る。出典:ハイデガー『存在と時間』第12〜13節(世界内存在)
死後の行き先を論じない。どこへ赴くかという問いを、自分の死へ向き直ることのほうへ移し替えている。場所は主題にならない。出典:ハイデガー『存在と時間』第二篇第一章(第46〜53節)
規範を立てることを主題としない。本来の自分として在るかどうかのほうへ、問いの向きが移し替えられている。出典:ハイデガー『存在と時間』1927年
理由を与えられないまま投げ入れられている、というところから始める。なぜかは問わず、そこからどうするかを問う。出典:ハイデガー『存在と時間』第29節(被投性)
苦しみを主題としない。ただし不安を、世界のなかで在ることが露わになる場面として重く扱っている。出典:ハイデガー『存在と時間』第40節(不安)