この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。
意識の働きは脳の活動と強く結びついて観察される。脳が停止すればその働きも止まる。ただし、なぜ主観的な経験が生じるのかは説明できていない。出典:チャーマーズ「意識の難問」1995年
死者と交流した体験は、生者の脳の活動として観察の対象になる。体験があることと、相手がいることは分けて扱われる。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
胎児期の音の学習は、出生後の脳の反応として確かめられている。ただし出来事の想起は確かめられていない。出典:パルタネンら『米国科学アカデミー紀要』2013年/ドゥキャスパーとファイファー『サイエンス』1980年
人から良い評価を受けたときに、金銭を得たときと同じ部位が働くことが報告されている。仕組みの側の説明である。出典:イズマら『ニューロン』58巻 2008年(社会的報酬と金銭的報酬)
祈るときの脳の働きは観察の対象になる。ただし相手に届いたかどうかは、そもそも扱う範囲の外に置かれる。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
脳の活動と結びつくことは観察されるが、なぜ主観的な経験が生じるのかは説明できていないとされる。出典:チャーマーズ「意識の難問」1995年 第2節(『意識研究誌』2巻3号)
他者の痛みを見るとき、痛みの情動に関わる部分が働くとされる。感覚そのものの部分は働かないという。出典:シンガーら『サイエンス』303巻 2004年(痛みへの共感)
動こうと意識する前に脳の活動が始まるという報告がある。ただしその読み取り方には異論も出ている。出典:リベットら『Brain』106巻 1983年 623〜642頁/シュルガーら『PNAS』109巻 2012年
この問いを立てない。記憶と人格は脳の働きに強く結びついて観察され、身体を離れた持ち越しは扱われない。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
求めることと、好むことは別の仕組みだとされる。強く求めていても、快が伴うとは限らないと説明される。出典:ベリッジとロビンソン『Brain Research Reviews』28巻 1998年
私という感覚は、脳の複数のはたらきが作り出す像として説明される。ただし主観が生じる理由は説明できていない。出典:チャーマーズ「意識の難問」1995年
この問いを立てない。信仰にともなう脳の活動は観察するが、神が在るかどうかは対象には入っていない。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
快や満足に関わる脳の働きは扱うが、幸せとは何かという問いそのものは立てていない。問いの形そのものが違っている。出典:ベリッジとクリンゲルバッハ「脳の快の仕組み」2015年
この問いを立てない。人が意味を求める働きは扱っても、生の意味そのものは対象には入っていない。扱うのは求める側の仕組みだけ。出典:ステーガーらの人生の意味尺度 2006年
見えているものは、脳が入力から組み立てた像だと説明される。ただし外界が無いとは述べていない。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
達成に伴う脳の働きは扱うが、何を成功と呼ぶかという問いそのものは立てていない。何を成功と呼ぶかは扱わない。出典:シュルツらの報酬予測の研究 1997年
人が時間を感じる仕組みは調べられている。ただし時間そのものが何かは、扱う範囲の外に置かれている。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
この問いを立てない。人が宇宙をどう捉えるかは扱っても、宇宙そのものは対象には入っていない。扱うのは捉える側の仕組みだけ。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
この問いを立てない。ただし、そうした像を人が見る体験は脳の活動として観察される。像があることと場所があることは分けて扱う。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
道徳の判断にともなう脳の働きは観察される。ただし何が善いかという問いそのものは、対象に入っていない。出典:グリーンら『サイエンス』293巻 2001年(道徳判断のfMRI研究)
この問いを立てない。個体が生じる仕組みは扱うが、なぜという目的の形での問いは、そもそも対象にしていない。出典:カンデルら『カンデル神経科学』第2版 2022年(原著第6版2021年)
痛みが生じる仕組みは扱うが、なぜ苦しみがあるのかという目的の形の問いは立てていない。扱うのは仕組みである。出典:国際疼痛学会による痛みの定義 2020年改訂