この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。
魂は身体より先にあり、身体が滅びても滅びないと論じられる。死とは魂が身体から解き放たれることであり、恐れる相手ではないとされる。出典:プラトン『パイドン』(岩波文庫・岩田靖夫訳)
魂は不滅とされるが、遺された者との往き来は論じられない。関心は魂の行方そのものにあり、交わりの手立ては語られない。出典:プラトン『パイドン』(岩波文庫・岩田靖夫訳)
魂は身体より先にあったとされる。生まれる前に真実在を見ており、学びはその想い起こしだと説かれる。出典:プラトン『パイドロス』246a〜249d/『メノン』81c〜86c
名誉を愛する部分が、魂のなかに認められている。ただし知を愛する部分の下に置かれることになる。出典:プラトン『国家』第九巻580d〜581c
祈りは、神々に善きものを求めることとして語られる。ただし何が善きものかを知ることが先に置かれる。出典:プラトン『パイドン』
魂は身体より先にあるとされる。学ぶことは、忘れていた知を想い起こすことだという形で説明されている。出典:プラトン『メノン』81c〜86c/『パイドン』72e〜77a
他者との関わりは、正義という徳の側から論じられる。魂の秩序が、そのまま国の秩序に重ねられている。出典:プラトン『国家』第四巻441c〜444e
魂が生まれる前に自ら選ぶという物語が語られる。ただし論証としてではなく、物語として置かれている。出典:プラトン『国家』第十巻614a〜621d(エルの物語)
あるとされる。魂は身体より先にあり、忘れていた知を想い起こすという説明が、繰り返しと結びついている。出典:プラトン『メノン』81c〜86c/『パイドン』72e〜77a(想起説)
魂の各部分が正しい秩序にあることが説かれる。欲の部分は、理を司る部分に導かれる側に置かれる。出典:プラトン『国家』第四巻441c〜444e
私とは魂であり、身体はそれが宿る器とされる。魂は身体より先にあり、身体が滅びても滅びないと論じられる。出典:プラトン『パイドン』
善そのものを、すべてのものの上に置いた。世界を組み立てた者も語られるが、無から造る神とは異なる。出典:プラトン『国家』第六巻509b/『ティマイオス』28a〜29a
幸せは、魂の各部分が正しい秩序にあることだとされる。快の多さによって測られるのではない。秩序のほうが先に問われる。出典:プラトン『国家』第四巻441c〜444e
生きることは、魂を整え、知に向かうことだとされる。ただ生きるのではなく、よく生きることが問われている。出典:プラトン『クリトン』48b/『パイドン』
目に見える世界は、変わらない原型を写したものとされる。写しであるかぎり、完全ではありえない。出典:プラトン『ティマイオス』28a〜29a
成功を、外の評判では測らない。魂が秩序を保っているかどうかのほうが、はるかに重く見られる。評判は尺度に入らない。出典:プラトン『国家』第四巻441c〜444e
時は、永遠を写したものとして造られたとされる。変わらないものの側が、先に置かれる構えになっている。出典:プラトン『ティマイオス』28a〜29a
世界は、変わらない原型を写して組み立てられたとされる。写しであるかぎり、完全ではありえない。原型のほうが先に在る。出典:プラトン『ティマイオス』28a〜29a
死後の裁きと行き先を語る物語が置かれる。ただし論証としてではなく物語として語ることが、本文のなかで断られている。出典:プラトン『国家』第十巻614a〜621d(エルの物語)/『パイドン』
神々に愛されるから善いのか、善いから愛されるのかと問い返した。神の命令の手前にある基準が問われる。出典:プラトン『エウテュプロン』10a
魂は身体より先にあり、生まれることは魂が身体に宿ることだとされる。学びは、忘れていた知を想い起こすことになる。出典:プラトン『パイドン』72e〜77a/『メノン』81c〜86c(想起説)
苦しみは、魂が身体に囚われていることから生じるとされる。知に向かうことで、その縛りは弱まっていく。出典:プラトン『パイドン』82e〜83a