この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。
身体とともに滅びない部分が精神にはあると論じる。ただしそれは、個人の記憶や人格が続くという意味ではないとされる。出典:『エチカ』第五部 定理23
精神に永遠なる部分を認めるが、それは個人の記憶が続くことではない。死者と語り合うという形にはならない。出典:スピノザ『エチカ』第五部 定理23
個としての先在は説かない。すべては唯一の自然の必然のうちに生じているという形で、説明が組まれる。出典:スピノザ『エチカ』第一部 定理29
名声への欲も、人が自らを保とうとする力の現れとされる。ただし理に導かれる必要があるとされる。出典:スピノザ『エチカ』第三部 定理9 備考
自然に目的は無く、祈りによって順序が変わることもないとされる。祈る側の心の変化として捉え直される。出典:スピノザ『エチカ』第一部 付録
精神と身体は、同じ一つのものの二つの現れとされる。どちらかが他方を生むという関係には置かれない。出典:スピノザ『エチカ』第二部 定理13
理に従う人どうしは、互いにとって最も有益だとされる。他者を避けることは説かれていないことになる。出典:スピノザ『エチカ』第四部 定理35
自然のうちに偶然なものは何一つないとされる。自由と思えるのは、原因を知らないからだと説明される。出典:スピノザ『エチカ』第一部 定理29
認めない。個人の記憶や人格が続くという形の存続を退ける。永遠はそれとは別の意味で語られ、繰り返しとは結びつかない。出典:スピノザ『エチカ』第五部 定理23
欲は、人が自らを保とうとする力そのものだとされる。減らすべきものとしては、そもそも置かれていない。出典:スピノザ『エチカ』第三部 定理9 備考
私は独立した実体ではなく、唯一の自然のあらわれの一つとされる。自由意志は、原因を知らないだけだとされる。出典:スピノザ『エチカ』第二部 定理13/第三部 定理2 備考
神と自然は同じものだとした。世界の外に立つ人格を持った神を退け、意図も目的も認めない立場をとる。出典:スピノザ『エチカ』第一部
幸せは徳の報酬ではなく、徳そのものだとされる。理解が深まることが、そのまま喜びになる。理解が、そのまま喜びになる。出典:スピノザ『エチカ』第五部
生きることは、理解を深めて動かされにくくなっていく過程とされる。それがそのまま自由と呼ばれる。理解が自由の度合いになる。出典:スピノザ『エチカ』第四部・第五部
精神と物体は、同じ一つのものの二つの現れとされる。どちらかが他方を作るという関係には置かれない。出典:スピノザ『エチカ』第二部 定理13
成し遂げるとは、外に動かされる度合いが減ることだとされる。世の評価は尺度に入らない。世の評価は尺度にならない。出典:スピノザ『エチカ』第五部
時は物そのものの性質ではないとされる。永遠の相のもとで捉えることが、認識の高い段階に置かれる。出典:スピノザ『エチカ』第五部 定理23
自然そのものが唯一の実体だとされる。外に立つ造り主も、世界の目的も、どちらも置かれていない。必然だけが残される。出典:スピノザ『エチカ』第一部
賞罰の場としての天国と地獄を退ける。永遠は時間の先にあるのではなく、物事をどう見るかのうちにあるとされている。出典:スピノザ『エチカ』第五部
善悪は物そのものの性質ではないとされる。人にとって役立つか否かの関係を指す語として捉え直されている。出典:スピノザ『エチカ』第四部 序言
目的として問うこと自体を退ける。自然に目的は無く、人はその必然のうちに生じているのだと論じられている。出典:スピノザ『エチカ』第一部 付録
苦しみは、外のものに動かされている度合いとして説明される。理解が進むほど、動かされにくくなる。出典:スピノザ『エチカ』第三部・第五部