立場 / ギリシアに始まる哲学

スピノザ

この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。

01

問いごとの答え(22件)

死んだらどうなるのか

身体とともに滅びない部分が精神にはあると論じる。ただしそれは、個人の記憶や人格が続くという意味ではないとされる。出典:『エチカ』第五部 定理23

死者と生者はつながれるのか

精神に永遠なる部分を認めるが、それは個人の記憶が続くことではない。死者と語り合うという形にはならない。出典:スピノザ『エチカ』第五部 定理23

生まれる前の私はいたのか

個としての先在は説かない。すべては唯一の自然の必然のうちに生じているという形で、説明が組まれる。出典:スピノザ『エチカ』第一部 定理29

名を残すことに意味はあるのか

名声への欲も、人が自らを保とうとする力の現れとされる。ただし理に導かれる必要があるとされる。出典:スピノザ『エチカ』第三部 定理9 備考

祈りは届くのか

自然に目的は無く、祈りによって順序が変わることもないとされる。祈る側の心の変化として捉え直される。出典:スピノザ『エチカ』第一部 付録

意識はどこから来るのか

精神と身体は、同じ一つのものの二つの現れとされる。どちらかが他方を生むという関係には置かれない。出典:スピノザ『エチカ』第二部 定理13

他者とどう関わるのか

理に従う人どうしは、互いにとって最も有益だとされる。他者を避けることは説かれていないことになる。出典:スピノザ『エチカ』第四部 定理35

運命は決まっているのか

自然のうちに偶然なものは何一つないとされる。自由と思えるのは、原因を知らないからだと説明される。出典:スピノザ『エチカ』第一部 定理29

生まれ変わりはあるのか

認めない。個人の記憶や人格が続くという形の存続を退ける。永遠はそれとは別の意味で語られ、繰り返しとは結びつかない。出典:スピノザ『エチカ』第五部 定理23

欲は満たすべきか、減らすべきか

欲は、人が自らを保とうとする力そのものだとされる。減らすべきものとしては、そもそも置かれていない。出典:スピノザ『エチカ』第三部 定理9 備考

私とは何か

私は独立した実体ではなく、唯一の自然のあらわれの一つとされる。自由意志は、原因を知らないだけだとされる。出典:スピノザ『エチカ』第二部 定理13/第三部 定理2 備考

神とは何か

神と自然は同じものだとした。世界の外に立つ人格を持った神を退け、意図も目的も認めない立場をとる。出典:スピノザ『エチカ』第一部

幸せとは何か

幸せは徳の報酬ではなく、徳そのものだとされる。理解が深まることが、そのまま喜びになる。理解が、そのまま喜びになる。出典:スピノザ『エチカ』第五部

生きるとは何か

生きることは、理解を深めて動かされにくくなっていく過程とされる。それがそのまま自由と呼ばれる。理解が自由の度合いになる。出典:スピノザ『エチカ』第四部・第五部

現実は心が作るのか

精神と物体は、同じ一つのものの二つの現れとされる。どちらかが他方を作るという関係には置かれない。出典:スピノザ『エチカ』第二部 定理13

成功とは何か

成し遂げるとは、外に動かされる度合いが減ることだとされる。世の評価は尺度に入らない。世の評価は尺度にならない。出典:スピノザ『エチカ』第五部

時間とは何か

時は物そのものの性質ではないとされる。永遠の相のもとで捉えることが、認識の高い段階に置かれる。出典:スピノザ『エチカ』第五部 定理23

宇宙とは何か

自然そのものが唯一の実体だとされる。外に立つ造り主も、世界の目的も、どちらも置かれていない。必然だけが残される。出典:スピノザ『エチカ』第一部

天国・地獄・浄土はどこにあるのか

賞罰の場としての天国と地獄を退ける。永遠は時間の先にあるのではなく、物事をどう見るかのうちにあるとされている。出典:スピノザ『エチカ』第五部

善悪はどこで決まるのか

善悪は物そのものの性質ではないとされる。人にとって役立つか否かの関係を指す語として捉え直されている。出典:スピノザ『エチカ』第四部 序言

なぜ生まれてくるのか

目的として問うこと自体を退ける。自然に目的は無く、人はその必然のうちに生じているのだと論じられている。出典:スピノザ『エチカ』第一部 付録

なぜ苦しみがあるのか

苦しみは、外のものに動かされている度合いとして説明される。理解が進むほど、動かされにくくなる。出典:スピノザ『エチカ』第三部・第五部