立場 / 日本

神道(古典神話)

この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。

01

問いごとの答え(22件)

死んだらどうなるのか

死者の行く先として黄泉国が語られる。明るい場所としては描かれず、生者の世界とのあいだに境が置かれ、行き来ができなくなった由来が語られる。出典:『古事記』上巻

死者と生者はつながれるのか

黄泉から戻ろうとした話の末に、生者と死者の世界のあいだは大岩で塞がれる。行き来ができなくなった由来として語られる。出典:『古事記』上巻(黄泉比良坂・千引の石)

生まれる前の私はいたのか

生まれる前を教義として定めない。いのちは産霊のはたらきによって生じるという語り方が置かれている。出典:『古事記』上巻 天地初発(高御産巣日神・神産巣日神)

名を残すことに意味はあるのか

名を残すことを教義として説かない。神々の名が伝えられていること自体は、記録として重んじられる。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)

祈りは届くのか

祝詞が古くから伝えられている。ただし神に願いを申し上げる形と、神の意を宣り下す形の両方が含まれる。出典:『延喜式』巻第八 祝詞(927年撰進)

意識はどこから来るのか

起源を教義として定めない。神々のはたらきによって成ったという語り方のなかに、置かれたままである。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)

他者とどう関わるのか

人と人の関わりを教義として定めない。ともに祓い、ともに祝うという営みの形のほうが受け継がれてきた。出典:『延喜式』巻第八 祝詞(大祓詞)

運命は決まっているのか

定めを教義として立てない。神々のはたらきによって成るという語り方のなかに、置かれたままである。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)

生まれ変わりはあるのか

生まれ変わりを説かない。死者は黄泉へ行き、戻る道は物語のうえで大岩によって塞がれる。往き来そのものが断たれている。出典:『古事記』上巻(黄泉比良坂・千引の石)

欲は満たすべきか、減らすべきか

欲を罪として数え上げない。祓い清めることが繰り返され、汚れを落とす営みのほうが前に置かれる。出典:『延喜式』巻第八 祝詞(大祓詞)

私とは何か

私とは何かを主題として論じない。いのちは神々と祖先から連なるものとして受けとめられ、定義は置かれない。出典:『古事記』上巻

神とは何か

神は数多くあり、自然も祖先もはたらきそのものも神とされる。唯一の造り主という形は、そもそもとらない。出典:『古事記』上巻 天の石屋戸

幸せとは何か

幸せを定義しない。清らかであること、明るく直くあることが、望ましい状態とされてきた。定義よりも、状態が語られる。出典:『古事記』/祝詞

生きるとは何か

生きる意味を教義として定めない。清らかであること、明るくあることが望ましいとされてきた。生きる理由は定義として置かれない。出典:『古事記』/祝詞

現実は心が作るのか

世界は神々のはたらきによって成ったとされる。人の心が作るという語り方は、そもそも取られていない。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)

成功とは何か

成功を定義しない。事が成ることは、人の力だけではなく神の働きとして受けとめられてきた。人の力だけとはされない。出典:『古事記』/祝詞

時間とは何か

天地の初めから神々が次々に成ったと語られる。時そのものを論じる形は、そもそも取られていない。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)

宇宙とは何か

天と地が分かれるところから語り出される。無から造られたのではなく、神が自ずと成ったとされる。造る者は先に置かれない。出典:『古事記』上巻(天地初発之時)

天国・地獄・浄土はどこにあるのか

黄泉が地の下として語られ、海の彼方には常世が置かれる。いずれも賞罰の場としては描かれず、ただ隔たった場所として現れる。出典:『古事記』上巻(黄泉・常世)

善悪はどこで決まるのか

汚れを祓い、清らかであることが重んじられる。善悪という語よりも、清と濁の対比によって語られてきた。出典:『延喜式』巻第八 祝詞(大祓詞)

なぜ生まれてくるのか

いのちは産霊のはたらきによって生じるとされる。生まれる理由を教義として定めることは、そもそも行われない。出典:『古事記』上巻 天地初発

なぜ苦しみがあるのか

苦しみの起源を教義として説かない。穢れは祓うものとされ、原因を問うよりも清めることが行われる。出典:『古事記』上巻/祓の儀礼

02

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