同じ系統のなかの二つの立場が、それぞれの問いに何と答えているかを並べます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。どちらが正しいかの判定はしません。
存在の構成要素は過去・現在・未来のすべてにわたって実在するとし、生から生への連続を、その実在によって説明した。出典:『阿毘達磨倶舎論』
身心を構成するものと、同じでも別でもない人格を立てた。輪廻するものを説明するための立場で、他の部派から強く批判された。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
教理の分析を主題とし、死者との交わりを論じない。死と次の生のあいだの期間は論じられるが、生者との往き来としては扱われない。出典:『阿毘達磨倶舎論』
輪廻するものが何かという一点をめぐって立てられた立場で、死者と生者の交わりについては固有の主張を残していない。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じく問いを立てないが、生まれ替わりの仕組みのほうは、要素の因果として細かく分析されている。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』世間品
この問いには踏み込まない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じ枠組みを取りながら、名声を求める心も要素の一つとして分類され、細かく位置づけられている。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じ枠組みを取る。行いの結果がどう働くかを要素に分けて分析し、祈りを別の力としては立てていない。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』業品
この問いには踏み込まない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられている。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
識も、世界を構成する要素の一つとして分類される。実在する要素の側から、細かく整理されていく。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じ枠組みを取りながら、心の状態を要素として細かく分類した。慈しみもその分類のなかに置かれる。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じ枠組みを取りながら、業がどう働いて結果を生むのかを、要素の因果として細かく分析している。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』業品
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
ある。存在の要素が過去・現在・未来のすべてにわたって実在するとし、その連続によって生から生への持ち越しを説明した。出典:『阿毘達磨倶舎論』
ある。身心と同じでも別でもない人格を立て、それが繰り返しを担うとした。他の部派から強く批判された立場である。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じ枠組みを取りながら、心の状態を要素として細かく分類した。欲もその分類のなかに置かれている。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
自己は認めないが、それを構成する要素のほうは実在するとした。私は無くても要素は在る、という位置に立つ。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』破我品
要素と同じでも別でもない人格を立てた。無いとも在るとも言い切らないところに私を置こうとした試みである。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じく創造主を立てない。世界は要素どうしの因果によって成り立つとされ、造る者をどこにも要さない。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別根品
この点では部派に共通する枠組みを出ず、創造主については独自の主張を残していない。関心は輪廻の主体にある。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じ枠組みを取りながら、心の状態を要素として細かく分類した。安らぎもまた分析の対象になる。安らぎも要素として分けられる。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品
幸せについては部派に共通する枠組みを用い、そこを離れる独自の主張を残してはいない。関心は輪廻の主体の側にあった。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じ枠組みを取りながら、道の段階を細かく分析した。歩みの手順のほうが、主題として前に出てくる。手順が具体的に示される。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』賢聖品
生きることの意味については、部派に共通する枠組みをそのまま用い、そこを離れる独自の主張を残していない。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
世界を構成する要素のほうは実在するとした。自己は認めないが、外界まで否定する立場は取らない。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』分別界品
この問いには踏み込まない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかのほうに置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
達成の段階を細かく分類し、どこまで進んだかを示した。世の成果は、その尺度には入らない。段階が具体的に示される。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』賢聖品
成功については部派に共通する枠組みを用い、そこを離れる独自の主張を残してはいない。関心は輪廻の主体の側にあった。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
過去も未来も、現在と同じく実在するとした。この主張のゆえに、すべてが有ると説く部派と呼ばれている。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』随眠品5章25〜27節
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
須弥山を中心とした構造として詳細に体系化された。世界は生じては壊れる周期を繰り返すとされる。数も距離も示される。出典:『阿毘達磨倶舎論』世間品
宇宙の構造については部派に共通する枠組みをそのまま用い、そこを離れる独自の主張を残していない。関心は輪廻の主体に向く。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
世界の構造が細かく体系化され、須弥山を中心とした地誌のなかに、天界も地獄も高さの順で位置づけられる。数と距離まで示される。出典:『阿毘達磨倶舎論』世間品
世界の地誌については、部派に共通する枠組みをそのまま用い、そこを離れる独自の主張を残していない。関心は輪廻の主体の側にある。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じ枠組みを取りながら、行いを善・不善・どちらでもないものの三つに分け、細かく分類して整理している。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』業品(本頌8〜9)
この問いに独自の説を立てない。関心は、輪廻する主体をどう説明するかという一点に置かれていたと伝えられる。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じ枠組みを取りながら、生じる仕組みを存在の要素の実在によって細かく説明した。目的としての理由は置かれない。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』世間品
繰り返しを担うものとして人格を立てたが、なぜ生まれるのかという目的については、部派に共通する枠組みを出ていない。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説
同じ枠組みを取りながら、苦が生じる仕組みを要素の因果として細かく分析した。原因は外側には求められない。出典:世親『阿毘達磨倶舎論』業品
苦の説明そのものは部派に共通する枠組みを用い、そこを離れる独自の主張を残していない。関心は主体の側にある。出典:『倶舎論』破我品に引かれた説