この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。
死後の状態を細かく定義せず、神との関わりの深まりとして語る。人が神に似た者へ変えられていく過程の一部として死が置かれる。出典:新約聖書/ギリシア教父(エイレナイオス以降)
死者のための祈りが定められた形で営まれる。生者と死者を分けず、一つの共同体として捉える見方が保たれている。出典:パニヒダ(ギリシャではパラスタス)/末尾に「永遠の記憶」
同じく創られたものとする。加えて、その始まりから神へ近づいていく過程として人の歩みが見られている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
同じ教えを受け取る。加えて、隠れて行うことが神へ近づいていく過程として受けとめられ続けてきた。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
短い祈りを絶えず繰り返す道が伝えられてきた。願うことよりも、名を憶え続けることが重んじられる。出典:ディアドコス『霊的知識と識別についての百章』(『フィロカリア』第1巻所収)
同じく神から与えられたものとする。加えて、神へ近づいていく過程のなかで捉える見方が保たれている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
同じ戒めを受け取る。加えて、他者に仕えることが神へ近づいていく過程として受けとめられている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
同じく自由を認める。加えて、神へ近づいていく過程として人の歩みを受け取る見方が保たれている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
認めない。同じく一度きりの生を前提とし、死後は繰り返しではなく、神との関わりが深まっていく過程として語られる。出典:新約聖書/ギリシア教父(エイレナイオス以降)
同じく節制を重んじる。加えて、断食や祈りを神へ近づいていく過程として受け取る見方が保たれている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
人は神に似せて造られ、神に似た者へと変えられていく途上にあるとされる。私は完成した何かではなく、過程である。出典:新約聖書/アタナシオス/グレゴリオス・パラマス(神化)
同じ三位一体を立てる。神の本質は知りえず、そのはたらきを通してのみ関われるという区別が保たれる。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
幸せを、神との関わりが深まっていく状態として語る。到達点ではなく、過程として置かれる。終わりは設けられていない。出典:アタナシオス/グレゴリオス・パラマス(神化)
生きることは、神に似た者へと変えられていく過程だとされる。終わりのない歩みとして語られている。完成は先に置かれない。出典:アタナシオス/グレゴリオス・パラマス(神化)
同じく造られたものとする。加えて、世界を神のはたらきの現れとして受け取る見方が保たれている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
成功を到達点として置かない。神に似た者へ変えられていく途上にあるかどうかが問われる。到達点としては置かれない。出典:アタナシオス/グレゴリオス・パラマス(神化)
同じく造られたものとする。加えて、神の永遠と人の時とを区別したうえで、両者の関わりが語られる。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
同じく無からの創造を立てる。世界は神のはたらきに貫かれているが、神そのものではないとされる。区別は保たれ続ける。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
地獄を、死後の場所に限らず、神を愛せないことの苦しみとして語る見方が保たれている。二つの場所を分けて置かない。出典:正教における地獄の理解
同じ二つの戒めを受け取る。加えて、善悪を守ることが神へ近づいていく過程として受けとめられている。出典:グレゴリオス・パラマス(本質とエネルゲイアの区別)
同じく神の創造による。人が神に似た者へと変えられていく、その長い過程の始まりとして生が置かれている。出典:新約聖書/ギリシア教父(エイレナイオス以降)
同じく自由に由来するとしたうえで、苦しみを神へ近づいていく過程として受け取る見方が保たれている。出典:エイレナイオス『異端反駁』第四巻37〜39章