立場 / インドに始まる系統

ヒンドゥー教(信愛の道)

この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。

01

問いごとの答え(22件)

死んだらどうなるのか

神への献身によって、死後は輪廻に戻らず神のもとに至るとされる。解脱を自力の悟りとしてではなく、神との関係のうちに置く。出典:『バガヴァッド・ギーター』第十八章ほか

死者と生者はつながれるのか

死者との関わりよりも、神との関わりが前面に置かれる。神に至った者は神のもとにあり、遺された者も神を通して結ばれる。出典:『バガヴァッド・ギーター』8章5節

生まれる前の私はいたのか

同じ枠組みを共有する。加えて、これまでも神との関わりのうちに在ったという受けとめが置かれている。出典:『バガヴァッド・ギーター』9章26節

名を残すことに意味はあるのか

不名誉は死に勝ると語られる箇所と、名誉も不名誉も等しく見よとする箇所が、同じ書のなかにある。出典:『バガヴァッド・ギーター』2章34節/12章18〜19節

祈りは届くのか

葉でも花でも水でも、愛をもって捧げれば受け取られるとされる。供物の値打ちではなく、捧げる心が問われている。出典:『バガヴァッド・ギーター』9章26節

意識はどこから来るのか

起源を主題としない。神との関わりのなかに置かれているという点のほうが、繰り返し語られてきた。出典:『バガヴァッド・ギーター』9章26節

他者とどう関わるのか

他者への行いも、神に捧げるものとして受け取られる。誰に向けてなされたかが問われることになる。出典:『バガヴァッド・ギーター』9章26節

運命は決まっているのか

主はすべての心に宿り、機械に乗せたように動かすと語られる。そのうえで、委ねることが説かれている。出典:『バガヴァッド・ギーター』18章61節

生まれ変わりはあるのか

あるとされる。ただし神に至った者は戻らない。繰り返しから出る道が、神への献身という形で示されている。出典:『バガヴァッド・ギーター』

欲は満たすべきか、減らすべきか

快もまた、人の目的の一つに数えられると説かれる。務めと利益と快の三つが、並べて置かれている。出典:『マヌ法典』2章224節(三つ組)

私とは何か

私は神に属する部分であり、神との関わりのなかで初めて自分になるとされる。独立した個としては置かれていない。出典:『バガヴァッド・ギーター』

神とは何か

神は人格を持ち、名を呼べば応える相手とされる。愛し、愛されるという関係のうちに神が置かれている。出典:『バガヴァッド・ギーター』

幸せとは何か

幸せは、神との関わりのうちに与えられるとされる。条件が整うことによって得られるのではない。与える側が先に立っている。出典:『バガヴァッド・ギーター』

生きるとは何か

生きることは、神との関わりを深めていく道とされる。行いはすべて、神に捧げるものとして置かれる。献身が、そのまま生き方になる。出典:『バガヴァッド・ギーター』

現実は心が作るのか

世界は神のものとして在り、人の心が作るのではないとされる。心が向かう相手のほうに、重心が置かれる。出典:『バガヴァッド・ギーター』

成功とは何か

成し遂げたことよりも、誰に捧げたかが問われる。結果は神に委ねるべきものとされている。捧げる相手が問われている。出典:『バガヴァッド・ギーター』

時間とは何か

四つの時代がめぐり、神々の一日は膨大な年数にわたると語られる。人の一生は、その尺度のなかに置かれる。出典:『マヌ法典』第1章69〜73節(四つのユガ)

宇宙とは何か

世界は神の身体であり、神のあらわれだとされる。神と切り離された自立の宇宙としては置かれていない。出典:『バガヴァッド・ギーター』

天国・地獄・浄土はどこにあるのか

神の世界が語られ、そこに至ることが目指される。輪廻のなかの一区画としてではなく、神のもとという関係の側に置かれる。出典:『バガヴァッド・ギーター』/『バーガヴァタ・プラーナ』第三巻15章

善悪はどこで決まるのか

誰に捧げたかが問われる。同じ行いでも、神に向けて捧げられたかどうかによって意味が変わるとされている。出典:『バガヴァッド・ギーター』9章26節

なぜ生まれてくるのか

神との関わりのうちに置かれて生まれるとされる。目的は、神を知り、神へ向かっていくことのうちに見いだされる。出典:『バガヴァッド・ギーター』

なぜ苦しみがあるのか

苦しみは神との隔たりとして受け取られる。神に身を委ねることで、苦は消えなくともその意味を変えるとされる。出典:『バガヴァッド・ギーター』

02

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