この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。
来世の教えを保ちながら、生きているうちに自我が死ぬことを重んじる。死は隔てが取り除かれ、神と向き合うことだと語られる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
聖者とされる人物の墓所へ参詣し、そこで祈ることに意味が置かれる。同じイスラムのなかで、これを退ける側と長く対立してきた。出典:聖者廟参詣(ズィヤーラ)
同じ節を、前永遠に結ばれた契約として重んじる。いまの求めは、その記憶の呼び覚ましとして語られる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
名を消していくことが道とされる。自分が在るという意識そのものが、退けられる側に置かれることになる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
神の名を繰り返し唱えることが道とされる。願いを叶えるためではなく、隔たりを取り去るために行われる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
内側を澄ませていくことで、隔たりが取り去られるとされる。起源よりも、いま何に覆われているかが問われる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
他者への振る舞いを、内側の澄み具合の表れとして見る。外の作法と内の状態が、分けずに語られている。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
定めを受け入れることが説かれる。抗うのではなく、そこに置かれた意味を読み取る側へ向きが変えられる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
来世の枠組みは保たれる。ただし死後の繰り返しよりも、生きているうちに自我が死んで生まれ直すことに重心が置かれる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
欲そのものより、心が何に向いているかが問われる。内側を澄ませていくことのほうへ重心が移される。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
自我が消え去り、神だけが残る状態が目指される。私が無くなることそのものが、道の到達点として語られている。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』(ファナー)
在るのは神だけだとする語り方が現れる。世界も自分も、神のあらわれとして受け取られていくことになる。出典:イブン・アラビーの存在一性論
幸せは、自我が薄れて神との隔てがなくなることだとされる。恍惚として語られることもある。隔てが消えることが目指される。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
生きることは、自我を薄めて神へ近づいていく道とされる。愛が、その道を語る言葉として使われる。愛は道の全体を貫いている。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
在るのは神だけだとする見方がある。世界は独立して在るのではなく、神の現れとして受け取られる。出典:イブン・アラビー(存在一性論)
世で得たものは、道を妨げるものとして扱われることがある。神に近づくことだけが成就になる。得たものが妨げにもなりうる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
いまこの瞬間に神の前に在ることが重んじられる。過ぎた時と来る時への心の散らばりが退けられる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
世界は神が自らを顕したものだとされる。神と世界を切り離さない語り方が、この系統には強く現れる。世界は神を隠すものではない。出典:イブン・アラビーの存在一性論
楽園を報いとして求めること自体を低く見る流れがある。目指されるのは場所ではなく、神そのものとの近さのほうである。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
外に定められた規範を守りながら、内側の心の清めを重ねていく道が説かれる。行いの奥が問われることになる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
神が知られることを望んだために世界と人が在るとされる。生まれることは、神へ還っていく道の出発点として置かれる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
苦しみは、自我を削るための道具として受け取られる。神に近づくために欠かせないものとされている。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』