同じ系統のなかの二つの立場が、それぞれの問いに何と答えているかを並べます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。どちらが正しいかの判定はしません。
死から復活までの道筋は、スンナ派と同じ骨組みをとる。そのうえで、復活と裁きの場において、イマームによる執り成しがあると語られる点が異なる。出典:クルアーン/サドゥーク『イーティカーダート』第21章(取り次ぎ)
来世の教えを保ちながら、生きているうちに自我が死ぬことを重んじる。死は隔てが取り除かれ、神と向き合うことだと語られる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
祈願に加えて、預言者の家系に連なる者への取り次ぎの願いが重んじられ、その墓所への参詣も広く行われている。出典:サドゥーク『イーティカーダート』第21章/イブン・クーラワイフ『カーミル・アッ・ズィヤーラート』(10世紀)
聖者とされる人物の墓所へ参詣し、そこで祈ることに意味が置かれる。同じイスラムのなかで、これを退ける側と長く対立してきた。出典:聖者廟参詣(ズィヤーラ)
同じ節を受け取りながら、実際の出来事としてではなく、理性や生来の傾きとして読む注釈が多いとされる。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
同じ節を、前永遠に結ばれた契約として重んじる。いまの求めは、その記憶の呼び覚ましとして語られる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
同じ枠組みを共有する。加えて、殉じた者の名を記憶し悼むことに、大きな意味が置かれてきた点が異なる。出典:『ズィヤーラト・アーシューラー』(『カーミル・アッ・ズィヤーラート』所収)
名を消していくことが道とされる。自分が在るという意識そのものが、退けられる側に置かれることになる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
同じ枠組みを共有する。加えて、預言者の家系に連なる者への取り次ぎの願いが重んじられてきた点が異なる。出典:サドゥーク『イーティカーダート』第21章(取り次ぎ)
神の名を繰り返し唱えることが道とされる。願いを叶えるためではなく、隔たりを取り去るために行われる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手を通して知が保たれるという構えが置かれている点が異なる。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
内側を澄ませていくことで、隔たりが取り去られるとされる。起源よりも、いま何に覆われているかが問われる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手に連なる者への敬いが、人と人の関わりのなかに置かれている。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
他者への振る舞いを、内側の澄み具合の表れとして見る。外の作法と内の状態が、分けずに語られている。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手を通して定めがどう受け取られるかが語られてきた点が異なる。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
定めを受け入れることが説かれる。抗うのではなく、そこに置かれた意味を読み取る側へ向きが変えられる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
同じく認めない。死後の道筋の骨組みをスンナ派と共有しており、繰り返しを説く立場はとらない。異なるのは取り次ぎの扱いである。出典:クルアーン/サドゥーク『イーティカーダート』第21章(取り次ぎ)
来世の枠組みは保たれる。ただし死後の繰り返しよりも、生きているうちに自我が死んで生まれ直すことに重心が置かれる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
同じ枠組みを共有する。加えて、悼むことや耐えることに、より積極的な意味が置かれてきた点が異なる。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
欲そのものより、心が何に向いているかが問われる。内側を澄ませていくことのほうへ重心が移される。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
基本の枠組みはスンナ派と共有する。加えて、導き手との結びつきが、自分が何者かを定める要素として置かれる。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
自我が消え去り、神だけが残る状態が目指される。私が無くなることそのものが、道の到達点として語られている。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』(ファナー)
同じ唯一の神を立てる。加えて、導き手を通して神の教えが保たれるという枠組みが置かれている点が異なる。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
在るのは神だけだとする語り方が現れる。世界も自分も、神のあらわれとして受け取られていくことになる。出典:イブン・アラビーの存在一性論
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手への愛と、悼むことのうちにも意味が置かれてきた。悼むことにも意味が置かれてきた。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
幸せは、自我が薄れて神との隔てがなくなることだとされる。恍惚として語られることもある。隔てが消えることが目指される。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手に倣って生きることが、具体的な指針として置かれている。倣うべき手本が示されている。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
生きることは、自我を薄めて神へ近づいていく道とされる。愛が、その道を語る言葉として使われる。愛は道の全体を貫いている。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手を通して世界の秩序を読み解くことに、積極的な意味が置かれてきた。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
在るのは神だけだとする見方がある。世界は独立して在るのではなく、神の現れとして受け取られる。出典:イブン・アラビー(存在一性論)
同じ枠組みを共有する。加えて、正しさのために耐えられたかどうかが、強く重んじられてきた。耐えたかどうかが重んじられる。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
世で得たものは、道を妨げるものとして扱われることがある。神に近づくことだけが成就になる。得たものが妨げにもなりうる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
同じ枠組みを共有する。加えて、時のなかで導き手が果たす役割について語られてきた点が異なっている。出典:クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
いまこの瞬間に神の前に在ることが重んじられる。過ぎた時と来る時への心の散らばりが退けられる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
同じ枠組みを共有する。世界の秩序を読み解くことに、より積極的な意味が置かれてきた点が異なる。読解そのものが重んじられる。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』(10世紀)
世界は神が自らを顕したものだとされる。神と世界を切り離さない語り方が、この系統には強く現れる。世界は神を隠すものではない。出典:イブン・アラビーの存在一性論
同じ枠組みを共有する。加えて、預言者の家系に連なる者の取り次ぎによって行き先が変わりうることが語られる点が異なる。出典:クルアーン/サドゥーク『イーティカーダート』第21章(取り次ぎ)
楽園を報いとして求めること自体を低く見る流れがある。目指されるのは場所ではなく、神そのものとの近さのほうである。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
理性によっても善悪は知りうるとする側に立つ。神は理に反することを命じないという枠組みが置かれている。出典:ムウタズィラ派の立場(アブドゥル・ジャッバール没1025年)
外に定められた規範を守りながら、内側の心の清めを重ねていく道が説かれる。行いの奥が問われることになる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』
同じ枠組みを共有する。加えて、導き手に従って生きることが、生の目的のうちに位置づけられている点が異なる。出典:クルアーン/クライニー『アル・カーフィー』
神が知られることを望んだために世界と人が在るとされる。生まれることは、神へ還っていく道の出発点として置かれる。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』
同じ枠組みを共有する。加えて、殉じた者の苦しみを記憶し、悼むことが信仰の中心に置かれてきた。出典:『ズィヤーラト・アーシューラー』(『カーミル・アッ・ズィヤーラート』所収)
苦しみは、自我を削るための道具として受け取られる。神に近づくために欠かせないものとされている。出典:ガザーリー『宗教諸学の再興』/ルーミー『マスナヴィー』