立場 / インドに始まる系統

仏教・上座部

この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。

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問いごとの答え(22件)

死んだらどうなるのか

死とともに身心を構成するものは解体する。行為の力によって次の生が起こるが、移っていく「私」という実体は無い。出典:相応部12.1・12.2(縁起の定型と分別)

死者と生者はつながれるのか

生者が積んだ功徳を死者に振り向けられるとされる。ただし受け取れる境涯は限られ、誰にでも届くわけではないと説かれる。出典:『餓鬼事経』ティロークッダ経/届く境涯の限定は『ミリンダ王の問い』

生まれる前の私はいたのか

「私は過去に存在したのか」という問い自体が退けられる。正しくない向け方の例として名指しされている。出典:中部2(一切漏経)/相応部15.3(輪廻の始まりは知られない)

名を残すことに意味はあるのか

愚者の得る名声は、ただ害をなすと説かれる。利得と恭敬と名声は、安らぎを妨げるものとされている。出典:『法句経』72偈/相応部17.1(利得と恭敬相応)

祈りは届くのか

祈願で行き先は変わらないとされる。池に沈んだ岩に浮かべと祈っても浮かばない、という喩えで説かれている。出典:相応部42.6(アシバンダカプッタ経)

意識はどこから来るのか

識は縁って生じるとされる。眼と色によって生じたものを眼識と呼ぶように、条件のほうから名づけられる。出典:中部38(大愛尽経)/相応部12.2(縁起の分別)

他者とどう関わるのか

四方に慈しみを遍く満たすことが説かれる。慈・悲・喜・捨の四つが、限りない心として並べられる。出典:『慈経』小部・経集1.8/長部13(三明経・四無量心)

運命は決まっているのか

すべては過去の業ゆえだという説を、名指しで退けている。それでは、なすべきことへの努力が失われるからである。出典:増支部3.61(ティッターヤタナ経)

生まれ変わりはあるのか

ある。ただし移っていく実体は無い。前の生と次の生は、同じでも別でもない連なりとして、火の喩えを用いて説明される。出典:相応部12.46(同一とも別とも説かない)/『ミリンダ王の問い』(灯から灯へ移る火の喩え)

欲は満たすべきか、減らすべきか

渇きこそが苦の因とされる。快への渇き、在ることへの渇き、無くなることへの渇きの三つに分けられる。出典:相応部56.11(転法輪経・三種の渇愛)

私とは何か

変わらない自己は無い。私と呼ばれているのは、絶えず生じては滅びていく要素の集まりにすぎないと説かれる。出典:『無我相経』相応部22.59

神とは何か

創造主を立てない。神々は輪廻のうちの一つの境涯とされ、人より長く生きるが、やはり無常な存在である。出典:イティヴッタカ83(天にも死の前兆が現れる)/長部21(帝釈天が自ら死没を語る)

幸せとは何か

楽を求めることそのものが苦の因とされる。渇きが尽きた状態が、最も高い安らぎと呼ばれている。求めないことが近道とされる。出典:『法句経』203・204偈

生きるとは何か

生きることは、苦から離れる道を歩むことだとされる。生そのものに目的が与えられているのではない。道を歩むこと自体が生とされる。出典:中部63(毒矢の喩え)/相応部56.11(四諦と八正道)

現実は心が作るのか

外の世界を無いとはしない。ただし、私たちが見ているものは感官と心の働きを通ったものだと説かれる。出典:『無我相経』相応部22.59

成功とは何か

世の成功を目的としない。渇きが尽きることが、達成と呼べる唯一のものとして説かれている。達成の語は限定して使われる。出典:『法句経』203・204偈

時間とは何か

すべては瞬間ごとに生じては滅びるとされる。生・住・滅の三つで一つの心の刹那をなすと説かれている。出典:『アビダンマッタ・サンガハ』第4章(心路の分析)

宇宙とは何か

世界に始まりは示されない。世界の広がりを問うことは、解くべきでない問いとして退けられている。答えないことが答えになる。出典:『マールンキヤ小経』中部63

天国・地獄・浄土はどこにあるのか

生まれ変わる先が三十一に数えられ、地獄も天界もそのうちに入る。いずれも一時のもので、涅槃はその三十一の外にある。出典:『アビダンマッタ・サンガハ』第5章(欲界11・色界16・無色界4)

善悪はどこで決まるのか

意図こそを業と呼ぶと説かれる。同じ行いでも、どういう心で行われたかによって善悪が分かれることになる。出典:増支部6.63(意図こそが業)/増支部10.176(十の善業道)

なぜ生まれてくるのか

創造主の意図によるのではない。無明と渇きによって、行いの結果が次の生を引き起こすという形で説明される。出典:相応部12.1・12.2

なぜ苦しみがあるのか

苦しみがあることが、教えの出発点そのものに置かれる。原因は渇きであり、それが尽きれば苦も尽きると説く。出典:四諦(苦・集・滅・道)/初転法輪

02

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