立場 / インドに始まる系統

仏教・唯識

この立場が、それぞれの問いに何と答えているかを縦に読みます。文はいずれも問いのページから取ったもので、書き直していません。

01

問いごとの答え(22件)

死んだらどうなるのか

深層の識(阿頼耶識)が行為の種子を蓄え、生から生へ持ち越す。実体としてではなく、絶えず移り変わる流れとして説明される。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

死者と生者はつながれるのか

心の深層の働きを説明する体系であり、死者との交わりを主題としない。追善の儀礼は、のちの時代に別の系統から入る。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

生まれる前の私はいたのか

身を執り取る識が、胎に宿るところから生が始まると説かれる。種子を持つ識が、生を越えて連なる。出典:『解深密経』第5章(阿陀那識)/世親『唯識三十頌』第2頌

名を残すことに意味はあるのか

名への執着も、深い層に残された種子から現れるとされる。表の言動を抑えるだけでは足りないとされる。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

祈りは届くのか

祈りそのものを主題としない。心の働きの構造を説く枠組みのなかで、行がどこに位置するかが論じられている。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

意識はどこから来るのか

深い層の識がすべての種子を持つとされる。表に現れる心は、その層からの現れとして説明されている。出典:世親『唯識三十頌』第2頌(阿頼耶識)/護法釈『成唯識論』

他者とどう関わるのか

他者もまた識の現れとして捉えられる。ただしそれは、他者を軽んじてよいという意味では説かれていない。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

運命は決まっているのか

行いの結果が深い層に種子として残り、次の現れを生むとされる。ただし固定した運命としては説かれない。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

生まれ変わりはあるのか

ある。深層の識に行為の種子が蓄えられ、それが次の生を生む。移る実体ではなく、絶えず移り変わる流れとされる。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

欲は満たすべきか、減らすべきか

欲は、深い層に残された種子から現れるとされる。表に出た欲だけを抑えても足りないと説明されている。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

私とは何か

外の世界も私も、深層の識の現れとされる。私という感覚は、その深層を自分だと思い誤るはたらきから生じる。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

神とは何か

世界は識の現れとされるため、外に立って世界を造った者を置く必要がない、という形の説明に落ち着く。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

幸せとは何か

幸せも苦しみも心の現れとされる。外の条件を整えることでは届かない、という形の説明になる。向きは外ではなく内へ戻される。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

生きるとは何か

生きることは、心の深いところにある種子を変えていく過程として説明される。外の条件は主題にならない。変えるのは内の側になる。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

現実は心が作るのか

外界の対象は識のあらわれだとされる。眼を病んだ人が、実在しない毛の輪を見てしまう例によって説明される。出典:世親『唯識二十論』第1偈/護法釈『成唯識論』

成功とは何か

成し遂げるとは、心の深いところにある種子が変わることだとされる。外の成果では測られない。測る場所が内側に移される。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

時間とは何か

時は、識の現れが移り変わっていくこととして捉えられる。外を流れているものとしては立てられていない。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

宇宙とは何か

外の世界は識の現れとされる。心を離れて独立に在る宇宙を立てない、という形の説明に落ち着いていく。世界の側に基盤を求めない。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

天国・地獄・浄土はどこにあるのか

外の世界そのものが心の現れとされるため、地獄も天界も、場所としてではなく心のありようとして説明し直されることになる。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

善悪はどこで決まるのか

行いの結果が心の深い層に残り、次の現れを生むと説かれる。善悪は、その積み重なりの側から説明される。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

なぜ生まれてくるのか

深層の識に蓄えられた行為の種子が熟して、次の生が生じるとされる。外から与えられた目的としては説明されない。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

なぜ苦しみがあるのか

苦しみもまた心の現れとされる。外の出来事そのものではなく、それを受け取る側の働きに原因が求められる。出典:世親『唯識三十頌』(玄奘訳)/護法釈『成唯識論』

02

同じ系統のなかで並べて読む